「ねえ、ギアッチョ、これ一緒に見てくれない?」
「あ゛?」
そう言って、ドアのすき間から姿を覗かせるトリッシュが見せてきたのは、著名なホラー映画のDVDだった。
こんなものがどういう経緯で彼女に渡ったのかはわからないが、青ざめた顔の彼女を見るに、おそらく本人の趣味ではないことが伺える。
非番だったギアッチョは、部屋に引きこもって何をしているわけでもなく、暇つぶしにはまあ丁度よかったので彼女を部屋に招き入れることにした。
「いいぜ、べつに」
「ありがとう」
「オメーの趣味か? ソレ」
「そんなわけないでしょう! こんな趣味の悪いもの!」
部屋にぱたぱたと入ってきたトリッシュはてきぱきとDVDプレーヤーにディスクを挿入し、再生を試みる。
しばらくは制作会社のロゴなどが流れ、本編までわずかに時間がある。
「……友だちが、無理に見ろって押しつけてくるから。それで見るだけよ」
「断ればいいじゃあねえか」
「女同士はむずかしいのよ」
ギアッチョは簡単に断れというが、トリッシュが言うように女同士の関係というものは非常に気難しい。
断れば相手の趣味を否定するような形になる。断ることによって相手が傷つく。表面上だけでも円満を築くには、趣味に話を合わせることは必須だ。
「つーかなんで一人でみねえんだよ」
「別に……。わたしの部屋にはテレビもないし、あなたが暇そうだったからあなたの部屋で見てあげようと思って!」
「ヘッ、よく言うぜ」
トリッシュなりの強がりだということは、ギアッチョにはすぐわかった。
この少女は自分の弱点というものを人に晒すようなことはしないが、非常にわかりやすいのだ。
ディスクを入れたあと、いつ始まるのかと妙にそわそわとしているし、表情も固くなってぎこちない。それに、落ち着かない動きを封じるためか、無意識に掴んだクッションをぎゅっと抱きしめている。テレビを見つめるその眼は、不安で濁っていた。
画面が暗転してしばらく、雨がしとしとと降る森の映像に切り替わる。
暗がりのなか、だんだんと雨は強くなり、雷の音が不規則に鳴り響く。その度にテレビを見つめるトリッシュは体をびくっと振るわせているが、決して声をあげようとはしなかった。
森の最深部へとカメラは進んでいく。やがて穴ぐらのようなところへ辿りつく。なにかに怯える幼い少女がふたり、互いの身を寄せあって震えている映像が流れた。
こんな悪趣味な映画を好む女なんて相当な奴だな、とギアッチョは知らないトリッシュの友人に悪態をつく。
少女ふたりに覆いかぶさる影があった。影は頭上に斧のようなものを振りかざしていた。そしてそれを一気にひとりの少女へ振り下ろす。
鋭利な刃物で首を掻っ捌かれた幼さの残る少女の映像が映る。見るも無残な死体が映った途端、トリッシュが少し悲鳴をあげかけたのを、ギアッチョは聞き逃さなかった。
隣を向くと、トリッシュの顔は早々に引きつっていて、幼女殺害なんて趣味の悪い映像に引いているようだった。
「怖いンじゃあねーのか?」
「そっ、そんなわけないでしょう! 集中するから邪魔しないで」
すこしだけ青ざめた顔のトリッシュは強がって流れる映像に集中する。
話が進むに連れて、残虐性は増していき、映像のほとんどは血と死体にまみれていた。
中盤に差し掛かってきた頃、母子が、殺人鬼の主人公に追い詰められるシーンが流れる。母親は子どもをクローゼットへと隠す。視点は子どもへと移り変わり、クローゼットの僅かなすき間から外の様子を覗くと、必死で抵抗する母親の姿が垣間見えた。子どもは叫びたくなるような、今にも出て行きたくなるような気持ちを抑えて目を瞑り、耳を塞ぐ。それと同時に、映像も暗くなり、不気味な音だけが聞こえる。
しかし、考えることを放棄した子どもにはいま外でなにが起こっているかまったくわからなかった。しばらくして母親の声も、だれの足音すらも聞こえなくなり、暗転した映像はゆっくりと、外の風景を取り戻す。
子どもの目から見たものは、殺人鬼の満面の笑みだった。
「っ……!」
殺人鬼の笑顔が画面いっぱいに広がった瞬間、トリッシュは声には出さないものの、驚いた表情をしていた。
隣にいたギアッチョの手とトリッシュの手が重なり、トリッシュは恐怖心をあらわすかのように手をぎゅっ、と握る。ギアッチョはそのトリッシュの行動におもわずどきりとしてしまうが、彼女はどうやら無意識らしい。表情からするに、怖いながらも映像に夢中であり、隣を見る余裕などなさそうだ。
一方のギアッチョは、手に伝わる彼女の手のやわらかな肌触りと、微温のぬくもりに意識が集中してしまい、元々見る気のない映画にさらに集中できなくなってしまう。
だからといって、トリッシュに手をどけろと言うわけでも、自分が手をどかすわけでもなく、手が重なっているという事実がすこし嬉しくもあり、なんだか心地よい気がした。
映画はしばらくして奇妙な終わりを迎え、エンドロールが流れ始めたところでやっとトリッシュは緊張が解けたかのようにため息をついて、片手で抱きしめていたクッションを投げ出す。
「……やっと終わったわ。もう、こんな映画のなにがいいんだか理解できないわ!」
「思わずオレの手ェ握るぐらい怖かったみてえだしな」
「本当よ……」
ため息混じりの言葉を呟いたところで、トリッシュは非常に焦った表情でギアッチョの方をむいた。
繋がりっぱなしの左手をみて、トリッシュは一気に赤面する。
「ちっ、違うわよ! 怖かったわけじゃないってば!」
「どうだかなァ~」
あれだけ強がっていたのにも関わらず、恐怖していたことが相手に伝わってしまったことほど恥ずかしいことはない。
トリッシュは急いで手を離して、すこしギアッチョと距離をとる。
あまりにも握られすぎたギアッチョの手は痺れていて、勢いよく手を引き剥がされたせいでじんわりと痺れが手に広がる。
手が離されたことでなんだか名残惜しい感じもして、ギアッチョは自身の手を見てぼうっとする。
「絶対ほかの人には言わないでよ!」
「トリッシュがホラー映画みて泣いて怖がってた、って言っちまうかも」
「なっ、……そんな嘘言いふらしたら承知しないわよ!」
表情をころころと変えて忙しいトリッシュの顔を眺めながら、ギアッチョは悪そうな顔で笑う。
ふたりが言い争っている最中、エンドロールと、エンディングテーマのじめじめとした音楽は終わりを迎えた。
しばらく暗転した絵が続いたが、突如映像が切り替わる。森の中にひとり、血で汚れたピンクのワンピースを着た女の子の映像が映る。ふたりはその映像には気づいていない。
電波が悪いようなぶつぶつとした音声に、砂嵐が混ざったような映像が流されている。不気味な雰囲気のまま、女の子の顔がアップになり、ゆっくりと口が動く。
『タスケテ』
「!」
くっきりと入ってくる女の子の声に、油断していたトリッシュは、驚きのあまりギアッチョの腕を強く抱きしめる。
「なっ、なんか聞こえた! 今!」
「あァ?」
「女の子の声が聞こえたのよ!」
必死にトリッシュは訴えるが、どうやらギアッチョは聞こえていなかったようで、映像もすっかり暗転しているのでトリッシュがひとりでビビっているような図になる。
ギアッチョの腕に抱きついたまま訴えるトリッシュの顔は蒼白としている。よっぽどおどかされることがきらいなのだろう。
「本ッ当、怖がりだな」
「怖がりじゃないってば……」
「ま、また借りてきた時もオレのところ来いよ。トリッシュがビビってるのおもしれえから」
ギアッチョはぐしゃぐしゃと腕に抱きつく彼女の頭を撫で、上から目線のままそう言った。
なんだか負かされたような気持ちになったトリッシュは頬をふくらませてすこしいじけたふうになる。
「言われなくてもそうするわよ……こんな恥ずかしい姿、ほかの人に見せられないもの」
それはつまり「彼になら弱みを見せられる」ということなのだが、言われたほうも、言った張本人すらも気づいてはいなかった。
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