小腹が空いたのでなにか食べようかと自室から出てきたところ、耳に飛び込んできたのは駄々をこねる少女の声だった。どうせ自分には関係のないことだろうとイルーゾォは我関せず顔でそのままリビングへのドアノブをひねった。険しい顔をした少女といつもとあまり変わらないようにみえるがどことなく難しい顔をしている大男が対峙している。ふたりの横を通り過ぎ、キッチンの冷蔵庫を漁ると、たしか自分が買ってきた気がするスモークサーモンのサンドイッチがあった。ほかに自分の気分と合う食べ物がないかキッチンを物色している間もにらみ合いは続いていたが、しばらくして少女が沈黙を破る。
「もう何ヶ月も外に出てないわ。ショッピングに行きたい! ステキな洋服と化粧品に会わないと死んじゃう!!」
「雑誌ならいつも買ってきているだろう。服も化粧品もあいつらが買ってきてるし何が不満なんだ、トリッシュ」
少女は声を荒げる。シンプルでシックなこのアジトのインテリアに似つかわしくないキンキンした声で喚く彼女はイルーゾォらが所属する組織のボスの娘だ。その娘と対峙しているのが暗殺を専門とする荒くれ者を束ねる男、リゾットなのだが、今は少女の言い分に防戦一方といったところだ。一時お預かり状態になっているこのトリッシュは現在このアジトで軟禁状態にあり、数ヶ月はまともに外に出ていないとイルーゾォも記憶している。
気の強い女が多いイタリア。例に漏れずトリッシュもそうで、年相応な部分もところどころ垣間見えるが基本的にはこのアジトにいる暗殺者に平然と食って掛かってくるのだ。自分たち暗殺者がいつ逆上して襲うかも分からないのに大した肝っ玉だ。いや、わがままというべきか。どちらにしろ普通のメンタルではギャング相手に要求を通そうなんてしてこないだろう。
「実物がみたいのよ実物が! 悩んだり、思いがけない出会いにときめきたいのよ! それにあいつら、私がオーダーしたものと違うもの買ってくるじゃあないの!」
リゾットの言う通りトリッシュの欲しいものは最低限聞き入れられている。しかし「うちは託児所じゃねえんだ」とトリッシュをアジトで軟禁することを最も反論していたプロシュートなんかは「この色よりこっちの色のほうが似合う」とまったく違う色の口紅を買ってきて口論に発展したり、「女店員と喋っていたらこっちを勧められた」とまったく別の洋服を買ってきたりしてしまう女ったらしのホルマジオのような奴がいるのでおつかいが平穏に達成されることは少ないように思う。ようはだれも女の買い物なんて向いていないということだ。トリッシュがむくれるのも理解できなくはない。
しかし話に巻き込まれたいかというとそれは別だ。イルーゾォは今の気分には多少合わないが結局スモークサーモンのサンドイッチを手に自室へ戻ろうとした。いつまでもこの空間に長居するものではない。そんな予感がする。またふたりの横を通り過ぎてリビングを出ようとした。それなのに、マラカイトのような瞳がタイミング悪くイルーゾォを見た。目が合って数秒、閃いたような喜びの沸き立つ顔をして、リゾットに向き直る。
「イルーゾォのマン・イン・ザ・ミラーなら安全に歩けるじゃない!」
予感がど真ん中に的中した。イルーゾォのスタンド、マン・イン・ザ・ミラーはトリッシュを捕らえる時に既に認識されている。能力も粗方把握されてしまっている。「どうしてこんなかんたんなこと思い浮かばなかったのよ!」とトリッシュはさも自分が買い物に行けるのが決定したかのように喜んでいる。まだリーダーの許可もおりていなければイルーゾォ自身も許可していないのに。
女の買い物なんてイルーゾォは御免だ。とにかく長いし優柔不断。それなのに口を挟めばうるさいと一喝される。あまりいい思い出がない。おそらく目の前の少女も同じような買い物の仕方だ。女は大体そうだ。
自分のスタンドは自分だけのものだ。生まれながらにしてスタンド使いで、険しい道のりを生き残るために能力を使ってきたイルーゾォには特にその意識が強い。それが女の買い物の護衛に使われるなんていうのはまっぴらだ。
勘弁してくれという眼差しでリゾットを見るが、その暗闇のような眼とは正しくアイコンタクトがとれているのか分からない。しかしながらリゾットはなにかを察したようにゆっくりと首を縦に振ったので、イルーゾォは安堵する。なんたって付き合いはお互い長い部類に入る。これは周りがくたばっていく所為もあるが。
「それもそうだな」
安堵したのも束の間だった。トリッシュの案を肯定してしまったリゾットにイルーゾォは食って掛かる。まったく意図が伝わってない。
「おい、オレのスタンドはガキの子守りのための能力じゃあないんだぞッ!」
「トリッシュがストレスでアジトをぐにゃぐにゃにしてしまうのも時間の問題だ。イルーゾォ、ついていってやれ」
「正気かよ……」
ボスの娘もまたスタンド使い。リゾットはストレスによるスタンドパワーの暴発があると推測し、正式にイルーゾォに護衛の任務を言い渡す。チームを束ねるリーダーに言われてしまっては頑なにノーを突き通すのも難しい。
一方のトリッシュは険しかった顔がぱあっと笑顔になり、両手をあげて喜びを表現する。彼女の感情表現は実に年相応だ。
「グラッツェ! 理解のあるリーダーで助かるわ。一時間で支度するから!」
たいそうご機嫌よくイルーゾォにそう言い残すと、娘はさっさと外出の支度をしに洗面所のほうへと向かっていった。
ここでトリッシュがいないうちに姿を消すことも可能だが、近距離パワー型のスパイス・ガールの逆襲がおそろしい。仕方なしにリビングのソファにどっかりと腰かける。さらにリゾットが今夜の仕事は別の奴に任せると非番を言い渡してきたので、イルーゾォはとうとう観念するしかなかった。
個性溢れる衣服、色とりどりの靴、ちかちか煌めくアクセサリー、香水と化粧品の匂いが脳を刺激するそこはトリッシュにとっては望みに望んだ愛すべき天国そのものだが、イルーゾォにとっては煙たい地獄でしかなかった。
鏡の中を移動して辿り着いたのはこの近辺で最も大きなデパート。比較的安価な若者向けのファッションからハイソサエティなシニョリーナ御用達のブランドが軒を連ねている。女に高価な餌をばら撒く質でもないイルーゾォとはほとんど無縁の世界だ。体がこの一帯にいることを拒んているが、トリッシュから目を離すといけないので結局はそばを離れることはできない。
一目散にお気に入りのショップに駆け込んでいくトリッシュの後ろをついていって、売り場からすこし離れた場所で待機する。対象から目を離してはならないのは暗殺仕事と通じるところがあるが、それがまた馬鹿げていると感じる。
ところ狭しと陳列されたハンガーの中から気に入りの物を引き出しては鏡の前に持っていって、色違いを見つけてすこし悩む素振りをして。と思ったらどちらも元のハンガーラックに戻してしまう。女っていうのはだいたいこれの繰り返しだ。
ちょっと買い物している姿を見ただけでも、トリッシュがそこいらの女たちと同じように選ぶ時間がひたすらに長い買い物をするのだとイルーゾォは即座に理解してしまった。今だってヌーディカラーのサンダルを履いて鏡の前で難しい顔をしている。鏡の中に人を引き込む能力のイルーゾォとはいえども、女が鏡を一生分見る時間には敵いそうにもない。
結局しばらくしてトリッシュはなにも買わずに店から出てきてイルーゾォと合流した。
「次行くわよ、次」
なにも買っていないのに意気揚々としている。まるで水を得た魚のようだ。次に連れて行かれた店も一目と同じようなニュアンスの服を扱うショップだ。ころころ表情を変えながらああでもないこうでもないと服を鏡の前で合わせている姿を見ること二十分。また何も買わずに出てきた。これは先が思いやられる。
イルーゾォはトリッシュに気づかれないようにため息をつくが、娘はそもそも外出できたこと自体が嬉しいのかアジトを出てからずっと陽気な足取りだ。
閉鎖的なアジトでイライラを八つ当たりされるよりは上機嫌な小娘の子守りをするほうが幾分ましだろうか。そう思い込むことでイルーゾォは自分の調子を立て直す。
三店目では女店員とご機嫌に喋っている。かと思えばすこし欠伸でもして目をつむったうちに会計をしている。紙製のショップバッグを片手にぶら下げて帰ってきたトリッシュは興奮気味にイルーゾォの腕を引っ張って歩みを促す。
「さっきのサンダル、やっぱり買う!」
「あ? 最初に入った店で履いてたやつか」
さも当たり前のようにショップバッグはずいとイルーゾォの胸元に押しつけられた。無理やり手渡された紙袋を背負い、早歩きのトリッシュを後ろから歩いて追いかける。
お目当てのサンダル目がけて入店したかと思うと、ものの五分足らずで会計を終えて出てきた。買うと決めたのなら迷った目の色は見せない。丁度靴が入りそうなサイズ感の紙袋がひとつ増えて、また押しつけられた。子守りはしたかがないが荷物持ちまでするとは言っていない。だがここで機嫌を損ねられても面倒なのでイルーゾォは口をつぐむ。
「さっき買ったワンピースと絶対合うのよ」
「そうかよ」
全部の買い物が今みたいな早さで終わるならいいのに、なんてことを考えながらイルーゾォは空返事をした。
しばらく服飾のフロアを回って、結局ショップバッグは五つにまで増えた。荷物持ちを喜んでやる世間の男どもの気がしれないと思いながら預けられる荷物をしかたがなく持ってやる。本当なら鏡の世界に置いておきたいぐらいだ。死体を運ぶよりは軽いが、女の荷物持ちをしながらあちこちを巡る後ろを追いかけるのは骨が折れる。やはりこういう役は性に合わない。他にもっと適役がいただろうと考えを燻らせる。たとえばリーダーのリゾットはイルーゾォよりも体躯がよく、スタンド能力を使わずともその見た目の威圧感で周囲に人を寄せつけないだろうし、またイタリアーノらしい美丈夫のプロシュートがそばにいたら声をかける気も失せるだろう。自分のスタンド能力が損だと考えたことはないが、性格そのものは女の買い物にはほとほと向いていない。
「次は化粧品が見たいわ。あなたついてくる?」
「あー……いや、三階のバールにでもいる」
化粧品売り場の強烈な匂いを思い出し、イルーゾォは険しい顔をする。今この状況でも酔ってしまいそうなのに化粧品売り場を連れ回されるのは流石につらいものがある。トリッシュのそばを離れるのは危険だろうかと考えたが、彼女自身もスタンド使いであるし、大した問題はないだろうとイルーゾォは判断した。
「そう。終わったらそっちに行くから」
トリッシュもとりわけ反論を抱かず、ふたりはエスカレーターの前で分かれた。どこを歩いても人の多いこのデパートの中、イルーゾォはようやく大衆的なバールに入り、カフェシェケラートを注文する。人混みの暑さでエスプレッソは飲む気にはなれない。
久しぶりの買い物だから化粧品を選ぶのだってきっと男のイルーゾォからすると途方もない時間がかかることだろう。しかし一時間、いいやもうすぐ二時間といったところか。ずいぶんと遅いものだ。バールを出て近くのベンチには自分と同じように荷物持ちにされている男が腰をおとしているが、もう何度人が入れ替わっただろうか。鏡の世界から本来の世界を覗き込みながらイルーゾォはため息をつく。こっちだって折角の非番を潰されているのだ。早く帰れるに越したことはない。
「……いくらなんでも遅い」
待ちくたびれたという感情が不安に変わり、胸を撫でる。もしも見ていなかった隙に彼女に危険が及んだとしたら。つくづく詰めが甘いと仲間内で言われたことがある。今だってそれは当てはまるかもしれない。
自身の過失を思うといてもたってもいられず、イルーゾォはベンチから立ち上がり誰もいない鏡の世界を歩き始める。
化粧品売り場に着いて鏡の外に出ると、ハイブランドのコーナーにひしめく女たち。トリッシュを探すのはそう容易ではなさそうだ。そもそもまだこのフロアに留まっているのかすらも分からない。荷物を背負いながらトリッシュを探す。男が一人で化粧品売り場をちょろちょろ動き回るのはあまり気が進まないが致し方ない。やはり離れるべきではなかっただろうか。ただの女ならこんな心配で頭がいっぱいになどならないのに。
「やはりガキの子守りなんか請け負うんじゃなかったぜ」
ブランドごとに分かれた売り場をうろつくこと十分、カールしたピンクのミディアム、まだあどけなさの残る線の細い背中が目に入る。距離にして十五メートルほど離れている。
「トリッシュ、か……?」
カウンターでイスに腰かけた後ろ姿。肩にかけている黒のショルダーバッグ、たしかトリッシュも持って出歩いていた気がする。なにやら正面にいる男性店員と話し込んでいるようで、イルーゾォは合点がいった。楽しそうに話しているのならそれはそれでいいが、無理に引き止められているのなら話は別だ。
トリッシュの表情を伺えるような距離まで近づくと、男性店員がトリッシュの手を触ろうとした寸前のところで手を退かしたようにみえた。化粧品売り場のカウンターではお試しでメイクをしてもらえるとはイルーゾォもなんとなく知っているが、今の行為は果たして本当に必要なものだったのか。視線を手から上に移し、トリッシュの顔色を伺うと困惑と苛立ちを抱えたような苦々しい横顔をしている。楽しげに買い物をしているようなら近くで待っていようかとも考えたが、困っているのなら話は別だ。幸い化粧売り場には鏡はいくらでもある。
「マン・イン・ザ・ミラー」
自身のスタンドを呼び、イルーゾォは近くの鏡から世界に入り込む。トリッシュの目の前にも小さな円型の鏡がある。不可思議不自然極まりないが、おそろしい女にちょっかいをかけた罰だ。男の店員には奇怪を味わってもらうことにした。
鏡の世界でトリッシュの背後に回り込むと、正面に置かれた鏡でそのままトリッシュを鏡の世界へ連れ込む。マン・イン・ザ・ミラーに腕を引っ掴まれたトリッシュはものの数秒で現実の世界からこつ然と姿を消した。トリッシュと会話をしていた店員はきょろきょろと辺りを見渡し、さっきまで接客と称して絡んでいた少女の行方を探す。だがどこを探したって少女はいない。コスメカウンターのイスだけがはずみでくるりと方向を変えた。まるで先ほどまで少女が座っていたことを示すかのように。
「きゃあッ!」
「おい、大丈夫か」
とつぜん鏡の世界に引き込まれて体勢を崩しそうになったトリッシュの体を支えて建て直させる。イルーゾォの胸に体を預けるような体勢になっていたトリッシュはばっと顔を上げて辺りを見渡す。やけにがらんとした無機質なデパート。正面に飾られた電子パネルは文字が逆さになっている。鏡の世界に引き込まれたことを認識したトリッシュはほっと胸を撫で下ろした。
「もう……引き込むなら一言かけてちょうだい」
「お前がいつまでも喋っているのが悪い」
「…………そうね。ありがとう」
トリッシュはイルーゾォから離れると、引き込まれた際に床に落としたショルダーバッグと手荷物を拾う。
まさかお礼を言われるとは思っておらず、イルーゾォは目をまんまるにしてトリッシュを見る。よっぽどあの男性店員にしつこく絡まれていたのだろうか。もっと早く迎えに行ってやればよかったとイルーゾォは柄にもなく他人のことを考える。
「買う物も買ったし、帰りましょ!」
先ほどまでとは打って変わってはつらつとした表情でトリッシュはイルーゾォに向き直る。ショルダーバッグをぶんぶんと振り回してまだ元気が有り余っているかのように振る舞う。しかしトリッシュが満足したというならイルーゾォは即座に帰りたい。特に異論も示さず、鏡の中を歩いてアジトまで帰ってきた。
スタンドパワーの酷使と待ちくたびれたので二重に疲れたイルーゾォは直ちにリゾットに談判したい。夜の仕事がなくなったことくらいでは代わりにならないくらい精神的にも疲れたので、もう二度はないと思っている。
アジト前でイルーゾォは常に持ち歩いている手鏡から外に出、次にトリッシュを鏡の世界から出す。
「あ、ちょっと待って」
「あぁ? なんだよ」
鏡の中から戻って玄関のドアを開けようとした折、トリッシュはイルーゾォの腕を引っ張って引き止める。
「今日はありがとう。もうすこし優しかったら満点だけど」
トリッシュはイルーゾォの腕を引いて中腰にさせると、自身も少し背伸びをして頬に軽く触れるだけのキスをする。たった一瞬の柔らかな感触、短いリップ音だけを残し、トリッシュはさっさとアジトの中に入っていってしまう。
頬に残す微かな感触に思わず赤面して頬をおさえる。からかわれているようにも感じて、即座に言い返せず言葉に詰まる。
「っ、この……! ガキの子守りなんてもうしないからなッ……」
説得力のない独り言を吐き捨て、トリッシュの後に続いてアジトに入る。リゾットへの直談判は一旦取りやめとすることにした。なんたってあんなこと、他の奴らにされては堪らない。
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