この男だらけのこのアジトに、今のトリッシュの苦しみをわかるものはだれもいない。
とりあえず適当に頭痛薬と書いてある錠剤を用量通り二錠だけとりだし、一気に水で胎内に放り込む。
血の気のひいた青い顔であまり綺麗とは言えないソファまでよろよろと歩く。潔癖症なトリッシュだが、今日ばかりはもうどうでもいいという気持ちで沢山だった。それほどにトリッシュをおそう鈍痛は重苦しく、判断を適当とさせた。
わりと陽当たりの良い黒のソファにたどり着くと、猫が寝ていたが、まるで猫など視界に入らないかのようにばたりと横になる。
腰部をおそう痛みがすこし和らいだ気がしたが、まだ腹部と頭部の痛みはちっとも収まらない。それどころか寒気と吐き気がトリッシュの体調をさらに狂わす。
寒気をどうにかしようと手探りで毛布を探すが、それらしいものは見つからないので諦めてそのままソファに突っ伏した。
こんなにも強い痛みにおそわれるのは久しぶりだった。ストレスもあるのだろうかとぼんやり考えながら、トリッシュは目をぎゅと閉じる。
「おや、トリッシュ。こんなところでお昼寝か?」
陽を遮るようにトリッシュの目の前に現れたのは、奇妙なマスクを目につけ、ところどころ肌を露出させた格好の男だった。ふつうの格好であればある程度顔のいい男にみえるだろうが、トリッシュはこの男の面倒な性格を数ヶ月で充分すぎるくらいに理解させられていたので今では到底そうは思えなかった。
痛みに対する苛立ちも含めて舌打ちでもしてやりたい気分だったが、今のトリッシュにはそんな元気もない。うっすら目を開けて、嫌な顔をすることだけで精一杯だった。
しかしこの男はそんなことでトリッシュがご機嫌斜めであることを察するような性格ではない。
「その顔色、んーもしかして生理か? 二日目だな? 生理痛ツライ?」
思春期の女性に向かって、堂々とこんな言葉を吐く男はほかにいないだろう。それに男は嬉しそうににやにやと気味の悪い笑みを浮かべているのだから尚更たちが悪い。
トリッシュは握りこぶしをつくってぐっと我慢する。こんな男に構っていてはさらに痛みが悪化しそうに思えた。
男のふさげた質問をシカトしたまま、トリッシュはソファの背もたれのほうへ顔を向け、男を完全に無視する姿勢にはいる。
はやく他の人間が帰ってきて、この男をどこかに声の聞こえないところに連れ去ってくれと祈らんばかりである。
しかしそんなトリッシュの思惑など叶うはずもなく、トリッシュの横腹へと男の手が滑りこむ。
「こんなにお腹出してたら寒いだろう? オレの手で温めてあげよう!」
手袋越しの男のごつごつとした手が、腰部と腹部を撫で上げる。
あまりの気持ち悪さに手をひっぱたきたくなったが、そんなことをしてもこの男が喜ぶのは重々承知しているので、抵抗もせずそのまま放っておくことにした。
そうして放っておくと、手はだんだんと上へ登ってくる。トリッシュは慌てた形相で男をにらむ。すると、男は手を胸のすぐ下でとめ、腹部のほうへまた手を撫でおろす。
手が下のほうへ移ったことにすこしほっとしていると、なにを思ったか男の手はトリッシュのへそ周辺の皮膚をつまんでは放し、つまんでは放しを繰り返す。
「ほんとうに細いなあ。あまり細すぎると身体を悪くするし、健康なベイビィも生めないぞ」
「…………」
「不健康だから生理痛もひどいんじゃあないか? 毎月こんなにつらいと大変だろう?」
「…………」
「オレが毎月なでてあげようか! そうだ、それがいい!」
「………………」
「……いつものようにキレのいいビンタが飛んでこないな。そんなにつらいのか?」
どうやらビンタをご所望だったらしい。つくづく気持ちが悪いという言葉が似合う男である。
一方のトリッシュは少しづつ薬が効いてきたようで、痛みは少し収まり、眠たくなってきていた。まぶたをゆっくり閉じたり開けたりの動作を繰り返す。寝てしまえばこちらのものなので、さっさと眠りに落ちてしまいたかった。
眠気が増してきた今、男のことはもうあまり眼中になかった。口には出さないが、患部を刺激したりなどしなければもう勝手にしてくれといったような気分になっていた。
「眠たいのか? 毛布いる?」
トリッシュが眠たそうにしているところに気づいたのか、珍しく気をきかせてどこからひきずり出したかわからない毛布を持ってくる。
上からふわりと毛布がトリッシュの身体を覆った。毛布の暖かさが眠気をさらに誘う。
「……ありがと……メローネ」
トリッシュは背もたれの方から向き直り、男にお礼を言う。
「はやく元気になれよ、トリッシュ。抵抗しない君はつまらないからな」
メローネと名前を呼ばれた男はトリッシュの髪にくしゃりと触れて、床に座る。
暖かみのある陽が部屋に差さる今は正午過ぎ。人がもっとも眠たくなる時間である。
トリッシュが眠るソファに肘をかけ、ぼーっとトリッシュの顔を眺め続ける。さきほどまでの鈍痛に耐えている表情とは異なり、非常に穏やかな寝顔をしている。
メローネの手は再びトリッシュの腰へ伸びているが、すっかり寝にはいったトリッシュはそんなことにはもう気づかない。
寝顔を眺めていると、陽だまりのような生暖かさに、メローネもつられてうつらうつらとしてしまう。
いまのイタリア人にシエスタの風習はないが、それでも昼寝はだれでも好きなものである。それはこの奇怪な性格をした男も例外ではない。
そうしてふたりの男女は、無防備にも深い眠りへ落ちていく。
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