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 雨が降って蒸し暑い熱帯夜。ローシェンナの薄明かりが灯るベッドの上で寝転がる男女ふたりはそれこそ身体の奥から熱く茹だるような、おかしくなるようなひとときを過ごしたばかり。
 トリッシュはベッドの上で上半身を起き上がらせ、枕元に投げ捨てられていたラベンダーカラーのブラジャーを取ろうと手を伸ばしたが、横から手が伸びてきて奪われてしまう。眉間にしわを寄せて手の先、顔を見やるとにたにたと気味悪く笑って上半身にぴたりと密着してきた。されるがまま下着の肩紐を両腕に通され、胸部を支えるようにフロントのホックがぱちりと留まった。それからカップの中に手を突っ込まれ、胸のおさまりを整えられる。声こそ出さないものの、満足そうな雰囲気が背後から伝わってくる。
 事が終わった後はいつもこうで、最初にやられた時は変態とか最悪だとか散々詰り、喧嘩中の猫みたいにぎゃあぎゃあ喚きながら必死に抵抗したトリッシュだったが、今では腑に落ちてはいないもののこの流れにも慣れてしまってすっかりされるがままだ。男の、メローネの性格と性癖を知っていれば最初から抵抗は無駄なのだと分かりきっていることだが、それでもトリッシュは女の矜持のようなものを守りたかったのだ。
 下着の上からナイトウェア代わりのノースリーブを被ると、トリッシュはシーツを引っ張って横になろうとする。ばかみたいに暑い夜でもいつもと変わらないように火照り昂ぶった身体はすっかりくたくただ。熱が冷めることはないだろうが早く寝てしまいたい。そして朝になって熱いシャワーを浴びたい。そのためには早く眠らなければならない。
「もう寝るのか? トリッシュ」
 だがメローネはそんなトリッシュの気も知らず、覆いかぶさるように抱きついてくる。天井知らずなのか終わった後はいつも足りないと言わんばかりにべったりとくっついてくる。寒い日は低体温でもそれなりに人肌で心地よくていいのかもしれないが、この茹だるような暑さの中では鬱陶しくてしかたがない。人の体温が移ってますます眠れない。
「もう、うざったいからくっつかないで」
 手でばしばしと身体を退かすように肩辺りを叩いた。そしてそっぽを向くように横向きに寝転がって冷たく突き放した。そしてトリッシュがベッドの端に寄るように身体をずらすと、男の身体は固いベッドの上にどさりと落ちた。夢中になって互いの身体を貪っている内はこの暑さすらも自分たちを燃え上がらせるエッセンスだが、今となってはただ暑苦しくてうざったいだけ。元々トリッシュは人の体温やべったりくっつく暑さは苦手なのだ。恋人がくっつきたがるのは自分がそういう男を選んでしまった以上仕方がないと思うが、それでもやはり湿った暑さと生ぬるい体温が合わさると流石に居心地が悪いのだ。
「……え、あ、そう」
「もうくたくたよ。寝ましょ」
 なんだか歯切れの悪い小さな声が返ってきた。メローネが一度で納得するのは珍しいと感じたが、トリッシュは振り返らないまま会話を終わらせる。
「……ああ」
 思った以上に疲れていたのか、まぶたを閉じればすぐに眠気が襲ってきた。暑い日はつい眠れなくて途中で起きたりしてしまうものだが、結局朝までぐっすり、トリッシュは眠っていた。カーテンの隙間から差し込む陽の光にあてられて目を覚ますと、隣に寝ているはずのメローネの姿はもうなかった。朝から仕事という話は聞いていないが、いつもトリッシュが起きるまで眠っているないしは寝たふりをしている彼がいないのはいないのはルーティンを崩されたみたいで違和感を抱いたが、特に気に留めずにトリッシュはシャワールームへと立ち上がった


 暑さもピークを過ぎた頃、どうしてか最近メローネが余所余所しいことがトリッシュの頭の中で引っ掛かっている。気づけば控えめにみても三日に一回は夜を共にしていたはずなのにここ三週間はベッドが別だ。それどころか昼夜問わず仕事で出ていることが多く、会う隙間すらない。なんだか意図的に避けられているような気がして面白くない。そしてなにより、いつもうざったいくらい構い倒してくる癖にぱったり干渉してこなくなると、認めたくはないがようは寂しいのだ。
 なにか理由があって距離を置かれているのならともかく、はっきりした理由も明示されずにいつまでもこんな中途半端を続けるトリッシュでもない。今夜は仕事がないと把握している。最近は仕事がないにもかかわらず外出することもあるようなので、いよいよひとりの女では飽きたのだろうかなんてくだらない想定までして、彼が自室から出てくるのをリビングのソファで待った。
 待つこと数十分、ぎい、と建てつけの悪いドアの開く音がした。つまらないテレビ番組をすこし眠たい頭でぼうっと見ていると聞き逃してしまいそうなほど小さな音だったが、トリッシュはメローネが必ず通るはずだろう二階の部屋に通じる階段のすぐ下に駆けつけた。思惑通り降りてきた。一瞬だけメローネの口元がわずかに引きつったのをトリッシュは見逃さなかった。人の機微に敏感なタイプではないが、さすがに間近で何度も顔を確かめた男のことなら分かる。
 なにも言わぬまま向き直って自室に戻ろうとするメローネを追いかけて階段を駆け上り、寸のところで手首を掴んだ。生身で男のパワーに勝てるとは思わなかったが、捕まえられたメローネは抵抗すること無く引きずられていく。トリッシュの部屋に身体を押し込みドアを閉めた。ドアにもたれ掛かり、逃げ道を塞いだ。窓から飛び出しでもしない限りは逃げられないだろう。慌てる素振りも見せないメローネは思いのほか大人しくトリッシュを見下ろしている。無口なのがなんとも不気味で怯みそうになったが、トリッシュはさっさと話を切り出す。
「ねえ、最近どうしたのよ。いつもみたいにベタベタしてこないし……べつに、寂しいってわけじゃあないんだけど」
 強がりを添えて問いただした。ふだんからなにをしていなくとも接触の多い男だった。それなのにまるで好き合う前よりも接触が少ないなんてどうかしている。どうかしているなんて、今更この男の常識を疑っても無駄ではあるのだが、それでもトリッシュなりの正常に当てはめるとどうかしていると思いたくなるのだ。
「……だって君が言ったんだろう。うざったいからくっつかないでって。そういうならその通りにするさ」
「はぁ?! 私そんなこといつ言ったのよ!」
 メローネの言い分に思い当たることがなく、トリッシュはすぐさま反論した。まさか自分のせいだと言われると思っていなかったのできつい口調がつい口をついて出た。
「7月18日の22時。セックスした後言っただろ」
 いじけたようなむすっとした表情で髪の毛を指でいじりながらしれっとした口ぶりで言い返され、トリッシュは特に思い当たらない日付に首を傾げた。薄々思い当たるのは、最後に身体を結んだのはそのぐらいの時期。たしか酷暑の熱帯夜。なんとなくそのようなニュアンスのことを言ったかもしれないとトリッシュは思い出す。
「…………あれは、べつにそういう意味で言ったんじゃあなくって、暑いからくっつかないでって意味だったのだけれど」
 余計に暑くなるからくっつかないでという意味で言ったつもりだったが歪曲されていたようだ。普通なら「暑いから」と言わずとも分かってくれるものだと思ったが、どうも違うらしい。
「じゃあ……暑くない日なら触れても?」
 トリッシュが訳を説明すると、メローネはきょとんとした顔で先ほどまで合わなかった視線を送って尋ねる。トリッシュよりも一回り二回りも大きい体躯のくせにまるで親などに叱りつけられている子どものような目だ。夜を共にする時は無遠慮極まりないくせして、こうやって時折ずれた感情の受け取り方をするし、コミュニケーション不得手な面をみせるのだ。
「ええ、まあ……そうね」
 どう答えるのが正解なのか分からないまま、トリッシュは肯定した。
「…………」
 肯定を受け取ると、メローネはドアにもたれかかっているトリッシュへ一歩前に踏み出すが口を開いて、なにも言わずに閉じてしまう。下唇を噛み、物怖じしているように目線を下げてはちらりとトリッシュを見て、を繰り返す。
「…………なによ」
「抱きしめてくれないか、君から。そうしたら安心できる」
 不安を感じていたのか。言われて初めて気がついた。軽く投げつけるように言った言葉が不安を与えていたのだとトリッシュはようやく理解した。そんなことあるはずないと無意識のうちに決めつけていたが、それはトリッシュの常識に過ぎなかった。
 歩み寄り、手をひろげてメローネの背中を抱き込むと、顔は胸板のあたりに落ち着く。落ち着くのかどうかは分からなかったが広い背中を擦っていると深く息をついて抱きしめ返された。したことはないがまるで子どもをあやすみたいで、傍から見ればちぐはぐな光景だろうか。
 しばらくして離れようとすると、まだ足りないと言わんばかりに胸から離れた顔の辺りに擦り寄られる。「……もううざったいなんて言わないでくれ」耳元でぼそりと呟かれた言葉はやけにさみしげで、そのまま肩に顔を埋められた。当分離れることは許されなさそうだと考えながら、せめていつまでも立ったままでいるのはやめさせようと身長差ゆえ歩きづらそうな足取りで間近のベッドへ向かうのだった。

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