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 トリッシュがプロシュートと喧嘩したのは数日前。最初はプロシュートの好物であるカッペリーニのゆで具合のことからはじまり、果ては互いの性格のことまで散々と罵り合った。今までにないぐらいの大喧嘩だったかもしれない。スタンドバトルにまで発展していないだけ、不幸中の幸いとも言えるだろう。
 なぜそんなところまで発展したのかは当の本人たちにもわからない。その場の感情に身を任せた罵倒語の応酬は尾を引き、ふたりの間に大きな溝をつくった。
 その証拠に、プロシュートは外で買ってきたらしいピッツァを昼食代わりにつまんでるし、トリッシュも食事は作ったが、プロシュートには一切、食事を出そうとはしなかった。
 それにますます怒ったプロシュートは嫌煙家のトリッシュの目の前で煙草を吸うし、それに対抗するようにトリッシュはプロシュートの目の前で霧状の消臭剤をまき散らす。無言のふたりの間にはばちばちと火花が散っているようにもみえた。
 気まずい雰囲気を察したのか、他の暗殺チームの面々は買い物行ってしまったり、自室に引きこもってしまったり、元から家にいなかったり。ダイニングルームにはプロシュートとトリッシュ。それから暗殺チームのリーダーであるリゾットだけがいる。だれも見ていないであろう恋愛ドラマが流れるテレビだけが騒がしい。
 ブツッ、ときゅうにテレビが消えた。リモコンを持っていたのはプロシュート。
「ちょっと、なんで消すのよ」
「あァ? 見ていたのかよ」
「ええそうよ、見てたわ。勝手に消すなんてばかじゃないの」
 火に油を注ぐようにトリッシュは余計な言葉を連ねる。大人げないが、それに苛立つのがプロシュートである。手に持っていたピッツァを置き、テーブルに肘をついてトリッシュのほうを睨み上げる。この世界で何年も生きている彼の眼光は、立派な体格の男も道の端に寄ってしまうほどのものだ。それぐらい、人を怯ませるのには充分なものである。
 しかしトリッシュはそんな強い視線にもまったく怯まず、むしろ睨み上げるほどの勢いをみせる。ただ無知なのか、それとも肝が据わっているのか。
 トリッシュはイスから立ち上がり、プロシュートの掌におさまっているリモコンを奪うと、再び雑音の蔓延するテレビの電源をいれた。
「ばかは余計だろーが、このアバズレ!」
「あ、アバズレってなによ! この……」
「ふたりともやめないか」
 はたまた喧騒が始まりそうなところでリーダーの制止がはいる。
「トリッシュ、ちょっとこっちに来い」
「なによ」
「早くしろ」
 きゅうに呼び出したリゾットに渋々トリッシュはついていく。
 そんなふたりの後ろ姿をみて、プロシュートは煙草の箱をぐしゃりと潰した。


 リゾットは勝手にトリッシュの部屋へはいる。あえてトリッシュの部屋を選んだのはトリッシュが他の人間の部屋にいれるのを嫌がるからである。
 トリッシュはベッドに座り、高圧的な態度でリゾットを睨みつける。
「なんの用かしら。お説教なら結構よ」
「プロシュートは今日の夜から仕事がある」
「へえ」
 仕事がある、というだけでトリッシュは驚くわけがない。
 暗殺チームはその実かなり多忙であり、長い休みは自分で早く仕事を終わらせて作り出すしかないし、何日も姿が見えないのはいつものことである。
「今までのものより格段に危険な仕事だ」
「べつにあいつなら大丈夫でしょ」
 危険、という言葉に反応して少し肩が動く。動揺を見破られないようにそっけない言葉を口にするが、トリッシュはリゾットと目を合わせない。
 リゾットはその黒目がちの瞳をトリッシュに合わせたまま、淡々と話を続ける。
「後悔したくなければ物事は清算しておいたほうがいい」
「なによそれ……まるでしぬみたいじゃない……」
「死ぬかもしれないということを念頭に置けと言っている。オレ達はそういう仕事をしているんだ」
 常に生と死の間に生きているのだという現実を突きつけられ、トリッシュは口ごもってしまう。
 リゾットは静かに部屋を退出する。トリッシュはベッドに横たわり、シーツをぎゅっと握る。
「……後悔なんて……」
 よく、喧嘩別れしたカップルの片方が死んでしまい、生きているほうが後悔するなんて脚本のドラマがよくある。リゾットの言うとおり、自分も後悔するのだろうとかとぼんやり考えてしまうが、自分たちはそもそも恋人同士ではない、と頭の中の雑念を取り消して小さく溜め息を吐く。
 ベッドに横たわると、昼間の暖かい日差しと、食事をした満腹感による眠気がトリッシュに襲いかかる。

 意識は次第に遠のき、気がつけばトリッシュは四時間も眠りに落ちていた。
 窓の外はもう陽が落ちかかって暗がりになっている。まぶたを微かにひらくと、明らかに自分のものではない骨張った手が見えた気がした。
「ん……」
 目を覚ましたトリッシュから後退る手の主はプロシュートだった。
 しくじった、とも言いたげなプロシュートは手を引っ込めて顔を背け、部屋を出て行こうとする。
「あ、ちょっと、まって……」
 トリッシュは身体を起こして呼びかける。
 陽は没する寸前。日が沈む頃、プロシュートはもうここにはいないだろう。そう考えてしまうと自然と呼び止めてしまった。トリッシュは喉に突っかかる言葉を出そうと勇気を振り絞る。
 立ち止まったプロシュートは、なにも言わずに後ろ姿のままトリッシュの言葉の続きを待つ。
「あの、……ごめん、なさい。あたし、子どもだったわ」
「……オレも悪かった」
 プロシュートが非を認めることはかなり奇異である。その言葉にトリッシュは思わず頬が緩んでしまう。
「ねえ、こっち向いてよ」
「……なんでだ」
「いいから! あっ、あとちょっとしゃがんで」
 トリッシュのすぐそばに来て大人しくしゃがむプロシュートの顔はどこか赤い。謝るという行為が慣れていないのだろう。
「……しんじゃいやよ、まってるから」
「ハン! オレが帰ってくる間にカッペリーニのゆで時間でも覚えてろ」
 プロシュートはくしゃっ、とトリッシュの前髪をかき上げると、励ますように頭をなでる。
 トリッシュはプロシュートの手をすり抜け、頬に唇を近づけた。軽く触れると、トリッシュはすぐに顔を離し、俯いてしまう。
「いってらっしゃい」
 俯いたままトリッシュがそう送り出すと、プロシュートもトリッシュの頬にくちづけを落とし、「いってくる」とだけ言って部屋を去った。
 光の差し込まない部屋で、少女の瞳からこぼれる一筋の涙だけが光ってみえた。

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