夜の店にもかかわらず目立たない看板をぶら下げたパブの中に入ると、白い背中をぱっくりとあけた白の柔らかな素材の五分袖のブラウス、タイトな黒のスカートを履いた女がカウンターにいるのが見えた。午後九時、背筋はすっかり崩れていて、左手でシャンパングラスをあおりながらカウンター越しに店主に管を巻いている。ひとりぼっちの女はどうやら相当酔っ払っているようで、制御できていない音量の声が落ち着いた店内でとびきり響く。いくら正面を向いて美人だったとしても関わりたくないと思わせられるような乱暴な振る舞いに、プロシュートは咥えていたタバコを口から外して煙を吐く。そして女の肩に手をかけ、店主のほうを見て言った。
「マスター、いくらだ?」
「ああ、プロシュート。助かったよ」
店主はほとほと困り果てたといっ苦笑いを浮かべながらテーブルの上に金額を書いたメモをプロシュートに手渡す。ここはプロシュートが贔屓にしているパブだ。いい酒も取り揃えているし軽食もおいしい。それに店主は物分りがよく度胸がある。気に入りの店だったから行きずりの女だろうと付き合った女だろうと連れ込んだことはなかった。今まであらゆる女をたらし込んできたプロシュートといえども、女に会わず落ち着ける店というのは持っておきたい。そのはずだった。
「……プロシュート……?」
店主が名前を口にすると、女は恨めしそうに名前を反復して右隣を向いた。うるんだマラカイトグリーンの瞳とひどく赤らんだ頬、乱れた青みがかった口紅はこのカウンターに座ってから相当時間が経っているのだと伺える。かろうじて目元の化粧はウォータープルーフなのか落ちていないようだが、そんなことを気にしている間もなく、女はプロシュートのワイシャツの襟を右手でぐいと掴んで揺さぶる。
「遅いのよ! いったい何時間待たせる気だったのかしら!!」
「ったく、どんだけ飲んだんだよこのガキ」
プロシュートは財布から差し出されたメモにチップも加えた分の紙幣を乗せて店主に渡すと、女の左手からグラスを奪い取り、最後の一杯を飲み干してからテーブルに置いた。そして女を背の高いイスから抱きかかえるようにしておろして肩を抱く。それでも女はまだプロシュートの耳元でわあわあと喚いているが、店主がほっとしているような、はたまたほほ笑ましいものでも見るようににっこりと笑み、手を振ってプロシュートと女を見送った。
パブから出ると夜風に女が体を震わせた。まだまだ春先のひやりとする夜に薄着は厳しい。プロシュートは財布を胸ポケットにしまってからジャケットを女の背中にかける。すると女はその場にうずくまってしまい、どうしたものかとプロシュートはしゃがんで目線を合わせる。
「おい、どうし……」
「三時間よッ! わたし、三時間待ったのよ!」
「仕事だから仕方ねえだろうが。分かってんだろ、トリッシュ」
「仕事を理由に人を待たせるのね、あんらって! できないやくそく、するんじゃあないわッ!」
ろれつの回らない口から吐き出されるのは至って正論なものだから、プロシュートは言い返せない。トリッシュを待たせてしまったのは事実。それもこれも不規則な暗殺業のせいだ。ふだんは時間ぴったりに終わらせられるスペシャリストなはずのプロシュートも今日はどうしてか手こずった。複数いたターゲットのうちひとりが仕留める前に逃げ出したのだ。どうにかして仕留めることはできたが随分と時間がかかった。それは仕事の後、トリッシュの元に無傷でたどり着くためだった。スタンドの能力からして基本的に無傷で仕事を終えられるプロシュートだったが、顔を見られてしまっては警戒され、容易にターゲットに近づけない。距離を詰めるのに時間がかかり、仕留めた後に腕時計を見れば約束の時間をとっくに過ぎていたというわけだ。仕事は無傷だったが、トリッシュとの約束はぼろぼろだ。
怒っているんだろうと思いながら約束のパブに向かったが、案の定怒っているわ酔っ払っているわで散々な様子にできあがっている。以前に酒は嗜む程度なんて小生意気言っていたトリッシュだったが、どれだけ飲んでいたかは会計の金額と店主の苦笑いからなんとなく想像つく。きっと今まで飲んだこともない量を飲んだに違いない。
べろべろに酔っ払った女なんてたとえ自分が悪かったとしても面倒はみたくない。同じチームで仕事をする弟分からは兄貴と慕われていても、女に対しての面倒見はそれほどよくない。プロシュートにとって女は向こうから寄ってくるもので、自分から甲斐甲斐しく世話をするものではないのだ。だから女の扱いは熟れていてもそれはアクセサリーみたいな飽いたら捨てる女の話。トリッシュは今まで履いて捨てるように扱ってきたものとは明確に違う。放っておけないというのか、可愛がりたいという感情を初めて女に抱いた。
うずくまって罵詈雑言を飛ばしながらバッグで殴ってくるたくましい小娘のバッグを取り上げ、自分の肩にかける。女のかばん持ちをするのは趣味じゃないが、バッグで叩かれ続けるのはもっと勘弁だ。
「ジャケットはタバコくさいし、さいあくよ。お酒のにおいと混ざってなおさらクサイわ!」
「酒はテメーで飲んだんだろうがよ」
タバコの火を地面に押しつけて消し、わあわあと文句を言い続けるトリッシュを無理やり立ち上がらせ、脇を抱えてタクシー乗り場に向かう。
「どこに行くのよ!」
「お前を家に帰すんだよ! ひとりでこんなにベロベロになりやがって……危ねえだろうがこのガキが!」
プロシュートを押し退けようとするものの、トリッシュは千鳥足でまともに歩けない。腕にも力が入っておらず、プロシュートは押されてもびくともしない。
トリッシュはスタンド使いとはいえども女で、まだうら若い。そんな彼女がいくらプロシュートの馴染みの店とはいえなりふり構わず酔っ払って無防備になるのはよくない。しっかりお灸を据えたいところだが、この酔っ払った状態に何を言っても無駄だろう。説教は今度正気の状態でみっちりするとプロシュートは心の中で誓う。殺しの仕事なら思った時にはすでに実行に移しているものだが、今はそういうわけにもいかない。
「だって……あなたが来ないのが悪いわ」
先ほどまで騒ぎ立てていた様子と打って変わって、トリッシュはしゅんと落ち込んだ様子でプロシュートに体を預ける。酔っ払いの情緒は実に不安定で扱いにくい。シラフで向き合うプロシュートはなおさら困り果てる。
捕まえたタクシーにトリッシュを押し込み、プロシュートはその隣に座る。運転手に住所を言うと、トリッシュは帰されるのだと分かって帰りたくないと駄々をこね出したが、走り出した車は止まらない。ドアロックもかかっているし、ただひたすらプロシュートに当たり散らす。
会う機会はそんなに頻繁じゃないからせっかくお洒落してきたんだとか、化粧だって最近買ったリップグロスもつけてきたのにグラスで何回も飲んだから落ちてしまったとか、想像していたディナーとぜんぜん違うだとか、とにかく愚痴が止まらない。しかしなんだか自分を思っての愚痴ばかりで、プロシュートは怒られているのにもかかわらず、可愛げにあてられて悪い気はしない。思わず緩んだ口元を頬杖をついて隠す。
トリッシュは自宅につく頃にはタクシーに揺られて眠くなったのか、口数少なくとろんとした眠そうな目でプロシュートの肩にもたれかかっていた。
清潔感のある白のシーツがきっちり整えられたセミダブルベッド。足をもつれさせながら歩くトリッシュをぼふりとおろす。そのまま寝転がらせると首元までかっちりシーツをかけ、寝ろと言わんばかりにピンクの髪をわしわしと撫でつける。
「……今日は悪かったな。埋め合わせは必ずする」
ようやく謝罪の言葉が口から出た。だがこの様子だと起きても覚えていなさそうだ。プロシュートはトリッシュの前髪をすくって額から退かすと、口づけを落とす。まるで寝つけずぐずる子どもをあやすようだ。
「またそうやって、子ども扱いするんだわ」
トリッシュは面白くなさそうに眉間にしわを寄せ、プロシュートの腕を掴む。そのまま揺すぶられ、体勢を崩したプロシュートはトリッシュに覆いかぶさるように密着してしまう。それを逃さないとばかりにトリッシュはプロシュートの首に腕を回し、体温を移すように額をごちりと合わせる。アルコールとタバコのにおいに混ざって香るトリッシュの熱っぽくも甘い香りが正常な判断力を奪おうとしてくる。
「悪かったと思うなら、今埋め合わせてちょうだい」
プロシュートはすぐに起き上がろうとベッドに手をついたが、耳元に擦り寄ってきた声音に抗えず白いシーツの海に溺れていく。
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