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 出発の日はあっという間に訪れた。歌仙兼定も審神者も変なところばかり似ているのは互いに旅行へ持って行く荷物が非常に多い。きちんと設備の整った旅館なのだから、そんなに重装備で行かなくともと加州は助言したが、心配性なふたりにはいとも簡単に突っぱねられてしまった。そんな慎重派な主と近侍は出発するまで本丸に残る刀剣たちに時間ぎりぎりまで細かく自分たちが居ない間のことに関して指示を与える。そんなに言われずとも分かっていると、刀剣たちも言葉を返してやりたい気持ちでいっぱいだったが、何しろ主と近侍が揃って三日ほど本丸を空けるのはまだ例がない。審神者たちの心配を余所に、なにも知らない短刀や太刀の一部なんかは「お土産よろしく」とのん気なものだ。
「主、そろそろ時間だよ」
「えっ、嘘! じゃ、じゃあいってきます! お留守番よろしくね!」
「はーい、任せといてー」
「楽しんでくるんだよー」
 歌仙がいつもの調子のまま主に呼びかけると、審神者は拙いといった表情を浮かべて歌仙に駆け寄る。最後まで彼女は不安そうな顔のままであった。この旅行の言い出しっぺの加州と、この本丸の初期刀である蜂須賀が彼らの後ろ姿が見えなくなるまで確認すると、二振り揃って軽くため息をついた。
 結局当日になっても駄々をこねず、大人しく旅行へと出立してくれたことに二振りは心底安堵していた。「やっぱり行かない」などと片方が言い出したらどうしようだなんて思っていたものだが、やはりお互い好き同士であるだけあって、この旅行を心から楽しみにしていてくれたようだと加州は旅行に向かうふたりの気持ちが手にとるように分かる。なんせ、ふたりとも旅行に行ってこいと言い渡した日からやけにそわそわし始めて、ぎこちない生活を送っていたからだ。
 主と歌仙にとってはいつも通り振舞っていたつもりなのだろうが、加州にはお互いを意識しすぎて仕事がままならないようにも見えた。どうしてふたりが恋仲ではないのか不思議なくらいだ。お互い考え深いのか、ある種捻くれているのか分からないが、それもこの旅行で親交をより一層深め、一歩でも二歩でも進展を願うばかりだ。
「行ってしまったね。帰ってきた時に嬉しい報告が聞けるといいが……」
「ふっふーん、帰ってきた時、ねえ。蜂須賀、あまいよ」
「あまい? なにがだい」
 ふたりを旅行に行かせる企画を企てておいて、加州はただ結果待ちなんてしていられない性分だ。訝しげな表情を浮かべる蜂須賀に対し、加州は着物の袖からごそごそと、審神者と歌仙に手渡したものとまったく同じ宿泊券を四枚取り出す。それを見た途端、察しのよい蜂須賀は加州の作戦はまだ続いているのだと即座に理解した。


「わーすごい……」
「へえ、ずいぶん趣味のいい旅館を選んだじゃないか」
 降り立った旅館は、荘厳という言葉が似つかわしい。中世建築を感じさせる門をくぐれば旅館の入り口までは石畳が敷き詰められており、庭にはきれいに剪定された木々が立ち並ぶ。高級感溢れる外観に緊張している審神者に対して歌仙は旅館を選んだ刀剣たちの趣味を褒める余裕がある。風流とか雅だとか、彼の感じているものがよくわからないまま、審神者は歌仙の後に続いて旅館へと足を踏み入れた。
 旅館の中へ入るとをすこし見渡しただけでもちらほらと刀剣の姿が見える。やはりここは政府管轄の施設なのだと再認識させられた。確かに安心ではあるが、それと同時に飼いならされているような気がしてなんだか胸がむずむずとする。
 仲居の女性に部屋を案内されると、そこはふたり部屋のはずなのにとても広々としており、窓から見える景色は絶景だ。見頃を迎えた枝垂れ桜と力強い勢いで流れる滝の組み合わせが素晴らしく、審神者も思わず窓際へ駆け寄って眺めてしまう。さらに部屋には専用の露天風呂がついており、風景を眺めながら入浴することもできる。なんて贅沢な部屋なのだろうと、審神者は浮足立ってしまう。
「歌仙、見て。すごく景色がいい」
「ほう……これは素晴らしいね」
 穏やかな笑みを浮かべて外を眺める上機嫌な歌仙の顔を見ていると、審神者は心底連れてきてよかったと安堵した。刀剣としての戦働きや近侍の仕事に加えて厨番までしてくれている歌仙は審神者が見ている限りでもあまり休んでいない。審神者が非番をやっても審神者の部屋に訪れては仕事を手伝ってくれる。本丸だといつ何時も神経を張り詰めているだろうから、こうして仕事をなにも考えなくてよい場所に連れてきて正解かもしれない。
 しかし主である自分が一緒ではあまり意味がないのではと審神者は頭を悩ませながらも一旦窓際から離れ、部屋に備え付けられたお茶を沸かす。
「ああ、そんなことは僕がやるよ」
「こういう時ぐらい上下関係なんて忘れていいから、歌仙は座ってて!」
 動き出そうとする歌仙を窓際に置かれた椅子に座らせ、審神者は意気揚々とお茶の準備をする。茶葉を蒸らす時間、お湯の温かさはいつも歌仙がしてくれている通りにやれば間違いはないはずだ。審神者は背中に不安げな視線を感じながらもお茶を入れて歌仙の前へ差し出す。
 そっと口をつけると、とくに問題はなかったようで、困ったように寄せていた眉もすっと伸びる。歌仙から尖った空気感を感じることのない日はなんだか久しぶりな気がして、審神者も思わず顔が緩む。
 移動で少々疲れてしまった体を椅子に預けると、若干の眠気が審神者を襲う。夕食まで時間はあるが、足を伸ばして観光をできるほどの時間があるわけではない。せいぜい近場の店や景色を見て回るぐらいだろう。審神者はぼんやりと夕食の時間までどうするかを考えながら湯のみに口をつける。
 思えば旅行前に歌仙とはなんの打ち合わせもしていない。なにがみたいとか、あれがほしいとか、歌仙の要望をまったく聞いていなかった審神者ははっとなり、向かい合っている歌仙に対して座卓をはさみながらやや前のめりになり、歌仙の目をまじまじと見つめる。
「歌仙、どこか行きたいところはない?」
「そうだね……僕は君を連れて行きたい場所があるのだけれど、それは明日にしたいと思っている」
「えっ、そ、そうなの? どこなのかな」
「ふふ、まだ秘密だよ。……今日はあまり時間もないし、近くを散策するにとどめようか」
 歌仙がいたずらっぽくほほ笑んでいるのが審神者にとってはたまらない。彼の楽しそうな顔が審神者は心底好きだった。連れて行かれる場所はどこでもいい。彼の笑顔が見られるのなら、それだけで審神者の心は弾んでしまう。結局下調べの足りない審神者は行きたい場所もとくに思い浮かばず、歌仙の提案通り近くを散策することにした。
 旅館を出て坂を下ると店もあり景色もよいと仲居に教えてもらい、審神者たちは言うとおりにゆるやかな坂を下る。この辺りは旅館が密集した地域になっているようで、すこし人が多いものの、はぐれたり人混みに飲まれるほどではない。しかしそれでも、ただ隣を歩いているだけのふたりにはいつの間にか距離ができてしまって、歌仙は後ろを歩く審神者の様子をちらちらと伺う。歩幅が合わないせいか、人の多いところだとふたりの間に距離ができてしまうのだ。本当は手を繋いで歩くなりすればよいのだが、生憎ふたりは恋仲ではない。それなのに手を繋ぐことは気が引けた。
 歌仙にとっては嫌なことでもなんでもないし、むしろ喜ばしいことなのだが、審神者が困った顔を浮かべて手を伸ばそうとしないのが目に見えている。そんな当惑した審神者の姿を見ると、自分のほうが心に傷を追ってしまいそうで怖かった。しかしなにかよい案はないものかと唸っていると、がくん、と急に引っ張られる感覚に陥る。
「ごめん、歌仙……ちょっと掴まらせて」
 歌仙の着物の裾を掴む審神者は歌仙を見上げ、申し訳なさそうに着物を握りしめる。その仕草と上目遣いが歌仙の心臓を締めつけて真一文字に閉じた口に力がはいる。歌仙は冷静になるために審神者から視線を外し、地面を見つめながら呟く。
「ああ……別に構わないよ」
 その言葉が歌仙の精一杯だった。見栄を張っているわけではない。だが彼女の前では常に余裕を持った歌仙兼定でいたかった。些細なことで慌てふためいたり、頬を染めているようなみっともない自分は見せたくないのだ。ふたりで旅行というのは何事にも代えがたい幸せな時間だが、その間はずっと気を抜くことができないというわけだ。
 普段は近侍といえども四六時中、審神者に付きっきりなわけではない。審神者の傍にいて仕事をすることもあるにはあるが、やはり刀剣として働いている時間のほうが長い。審神者の存在を気にしなくともよい時間が多いのだ。恋しいひとが視界にいるということはそれだけそのひとに気をとられることも多い。彼女の挙動のひとつひとつが気になって仕方がなく、彼女のことばかり考えてしまう。
 しばらく温泉街を歩いていると土産屋や甘味処が立ち並ぶ通りに出る。歌仙が審神者の様子を伺うと、しがみつきながら歩いている審神者はきれいな小間物屋より甘い香りのする甘味処のほうが気になっているようだ。そういえば昼前に軽食を摂ってからなにも食べていない。旅館に帰れば夕食の時間になってしまうが、甘味処に目を奪われている。
「主、甘味処に入るかい?」
「えっ、いいの?」
 やはり甘味処が気になっていたようだ。審神者の気持ちを汲み取ることができて歌仙は気分がいい。驚きつつも嬉しそうにほほ笑む審神者に癒やされながら甘味処に入ると、心の落ち着くような抹茶の香りとそれに混ざる餡のまろやかな香りが立ち込めていた。なにを食べようか甘味のメニューを見ては頭を悩ませた審神者は悩んだ末に旅館での夕餉を考慮して小ぶりなあんみつを、歌仙は抹茶だけを頼んだ。
 しばらく談笑しながら待っていると、あんみつと抹茶が運ばれてきて、審神者は写真通りの美味しそうなあんみつに目を輝かせ、さっそく匙で果物を掬う。
「んんーおいしい!」
「ふふ、よかったね」
 穏やかに同調してくれる歌仙を見て審神者はほっとした。夕餉の前に間食などと怒られるものかと思ったが、やはり旅先では気分も変わるのかもしれない。本丸で夕餉の前におやつなど食べようものなら凄まじい剣幕で包丁を持ったまま殺気を向けられるものだが、今日はいつもよりも寛容なようで審神者は安心してあんみつを食べ進める。しかししばらく食べ進めているとなにやら頭に突き刺さる視線を感じ、審神者はおそるおそる顔をあげた。
 すると微睡んでいるかのように緩やかな顔をした歌仙と目が合った。先ほども穏やかな笑みを浮かべていたが、それとはまたちがう、愛玩動物やきれいな風景でも眺めているかのような眼差し……楽しいのか怒っているのかよくわからない。
 歌仙の笑みには二種類あると審神者は思っている。ひとつは本当に嬉しいと、喜ばしいと思っている時。あまり感情を表に出すことは雅ではないと歌仙は言いつつも、楽しい気持ちなどは抑えきれず顔に出てしまうことが多々ある。溢れそうな笑みを抑えている時と、それが弾けた歌仙の笑顔が審神者は心底好きで、そちらであればよいのだがと審神者は歌仙の顔をちらちらと見ながら様子を伺う。もうひとつは苛立っているのに、それを我慢するためにあえて笑みで煮えたぎる感情を隠している時だ。抑えている怒りが暴発した時が一番怖いことを審神者はよく知っている。身を持って経験済みだ。
 どんな感情を抱えているのかわからない視線が気になって仕方がない。抹茶にも口をつけず自分のほうを見続ける歌仙に審神者は我慢できず問いかけた。
「歌仙……どうかした?」
「いいや……なんでもないよ。君が気にすることのない話さ」
 歌仙はふっと笑い、上品な所作で抹茶を味わう。どうやら自分に怒っているわけではないようだと分かって、審神者は再び安堵して器に入っていた最後の果物を味わう。しかしなにやら思わせぶりな歌仙の言葉が気になって、どうにも後味が悪い。思わず眉をハの字に、口をへの字に曲げてしまう。
 審神者の心配を余所に、歌仙が見つめていたのは審神者よりももっと奥だ。審神者の視界に隠れ、客のふりをして座っている加州清光と陸奥守吉行がいることに歌仙は入店後すぐに気がついた。姿を見ていない審神者は分かっていないが、歌仙は仲間の存在を容易に認識した。他の本丸の刀剣だと見紛うはずがない。紛れもなく自身と同じ本丸で戦う加州と陸奥守だ。さらに斜め前方の席には不自然に顔を隠した蜂須賀虎徹と山姥切国広が座っている。
 なぜこの四振りが、自分と審神者のことを笑顔で見送ってくれた四振りがここにいるのか。四振りの策にはめられたことは宿泊券を受け取ったその瞬間から分かっていたが、まさか尾行されていたとは。後をつけられていたことに気づかないほど浮かれていた自分に余計腹がたった。苛立ちを抑えこむために審神者の前では笑顔で取り繕う必要があったが、それも審神者には怪しまれている。審神者は察しがよく、歌仙の感情の変化にもよく気がつく。気を使わせることはしたくなかったのにと思いながら抹茶を飲み干し、席を立とうとする。
「……そろそろ出ようか」
「あ、うん」
 主に不快な思いはさせていないだろうかと不安になりながらちらちらと顔色を伺いながら会計へ向かう。加州らはまだ席に座っている。
「主、僕が払っておくから君は先に出ていていいよ」
「ん、わかった。じゃあ向かいのおみやげ屋さんにいるね。ありがとう」
 審神者の後ろ姿を笑顔で見送り、歌仙は踵を返す。もちろん目標は自分たちを尾行していた四振りのところだ。歌仙の放つ凄まじい殺気には気づいているはずだが、四振りは目を逸し、他人の振りをし続ける。だが歌仙は遠慮なしに主犯格と思われる加州清光の頭部を思い切り掌で引っ叩く。
「いったあ!」
「……どういうことかな、君たち。加州や陸奥守はともかく、蜂須賀と山姥切まで!」
「まあ……初期刀の俺としても主と君の行く末が気になってしまってね。加州の口車に乗ってしまったんだ」
 潔い晴れやかな笑みを浮かべて蜂須賀は白状する。蜂須賀は嘯くことが苦手だから、言っていることは間違いなく本当なのだろうと歌仙は察する。しかしそれにしたって恥ずかしい。つまりは四振りとも心配で後を追いかけてきたのだ。これではまるで保護者同伴のようではないか。歌仙は恥ずかしさと怒りに体を震わせながら口を開こうとすると、けたたましい陸奥守の笑い声が響く。どうも怒られている自覚はあまりないらしい。
「なんちゃあないって! なにもおんしらにちょっかいだそうっちゅうわけがやない!」
「そーそー、俺たちは影から見守ってるだけだって」
「それが不安なんだ、それが!」
 暢気な陸奥守に同調するように加州は深く頷いた。彼らの姿を見て、歌仙の頭の中には様々な不安が駆け巡る。自分の、主への煮え切らない態度に助け舟を出してくれたことは感謝してもしきれないが、それとこれとは話が別だ。背中を押してくれるのは有難いが、甲斐甲斐しく世話を焼かれるのは好きではなかった。
 それに、もしも審神者が加州らに気がつけば、驚きつつも一緒に観光しようなどと言い出すだろう。なんとしてもそれだけは避けなければならない。せっかくのふたりきりが台無しになってしまう。最初は四振りの前では審神者への恋心を否定していたが、そんなことを気にしていられるほど歌仙には余裕がなく、自分の想像よりも緊張している。主の傍で平静を保つのもやっとの状態だ。
「……おい、いいのか。あんたを探しているみたいだぞ」
 大きな窓から外を眺めていた山姥切は、向かいの店先にいながらもきょろきょろと歌仙を探している主の姿を指差す。数分で終わるようなたかが会計に時間がかかるのは不自然だ。もしかすると審神者ははぐれたと思っているのかもしれない。
「っ……頼むから大人しくしててくれよ! 君たちには感謝しているが、これは僕と主の問題なんだ!」
 歌仙は早口でそう吐き捨てると、さっさと会計を済ませて主の元へと駆けていく。歌仙がすこし不安げな表情を浮かべる審神者の元へ駆け寄ると、数分離れていただけなのに会った途端に互いに笑みを溢すふたりの姿を見て、四振りは見守るような暖かい眼差しでふ、とほほ笑む。そうして四振りは、再び寄り添って歩き始めたふたりの姿を追いかけるのだった。

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