id="container">

 しばらく散策し、旅館へ戻ると、膳が運ばれてきた。地域と季節を活かした食材がふんだんに使われた料理に、審神者は思わず目を輝かせる。本丸では料理当番を決めており、料理の上手な刀剣や審神者が交代しながら食事を作っている。味付けは誰か作るかによって異なるが、それでもやはりいつも食べていると新鮮味がなくなってくる。自分の作った料理はもはや食べるのが嫌になってきている節もあった。旅館で出される料理は審神者にとって密かな楽しみでもあった。
「わーおいしそう! いただきまーす!」
 手を合わせ、膳に向かって拝み、さっそく山菜の天ぷらを口に運ぶ。自然を感じられる清香とほどよい甘みが塩でよりいっそう引き立てられ、審神者は舌鼓を打つ。本丸では人数分作る手間がかかる天ぷらはなかなか食べることができず、久しぶりの触感に思わず口角が上がる。ここ最近は刀剣の数も増え、さらに全員男性で食欲旺盛なこともあってか、仕込みが大変な料理はあまり作らなくなってしまった。一気に同じ味で作れるカレーライスやパスタ、ハンバーグなど、とにかく一度にたくさん作れる料理ばかり。まるで大家族だ。みなで囲む食卓も良いが、たまにはこうして静かにふたりで向き合って食べる食事も良い。
 きっと美味しい料理を食べることができて歌仙も喜んでいるだろうと審神者は口を動かしながら歌仙の顔を見やる。しかし歌仙の顔は想像とまったく逆の表情をしていた。箸を持ち、口を動かしてはいるものの、その唇はたいそう不満そうにへの字に曲がっており、審神者をじっと見つめている。つまらなさそうな表情にも見えて、審神者は箸を止める。
「歌仙……どうしたの?」
「いや……君がそんなに天ぷらが好きだなんて知らなかったよ」
「ええっと、特別好きってわけではないんだけど……久しぶりに食べたらおいしいなあ、と思って」
「へえ」
 歌仙の厳しい視線と言葉の棘がちくちくと体に突き刺さるようで審神者は思わず目を逸らしてしまう。本丸でよく料理を振る舞ってくれる歌仙は料理の腕に自信があり、中でも和食を得意としている。もちろん味付けには口うるさく、自分の思い通りの味でなければ気が済まない性格だ。審神者も歌仙とは何度か濃いだの薄いだのと揉めた経験があるせいか、面と向かって彼の料理を褒めたことほとんどない。褒めたからといって付け上がったり調子に乗るような性格ではないが、どうも審神者の口はうまく動かない。おいしいと、ただ素直に一言口にすれば良いだけなのに、歌仙のことを好いているからこそ口が動かなくなってしまう。へたなことを言って彼の機嫌を損ねたら……きっと彼は冷ややかな目で自分を見るだろう。歌仙の顔色を伺っているうちに、タイミングを逃してしまう。
 審神者は動揺を誤魔化すように薄味の汁物をすすりながらちらりと歌仙の顔色を伺う。天ぷらに塩をつけ、味を確かめるようによく咀嚼している。厳しい目元が不変なのが審神者には怖くて仕方がない。歌仙は箸を止めると、審神者の方へと向き直る。目が合って、審神者はなにも悪いことをしているわけでもないのにびくりと肩を揺らす。
「帰ったら、君の好きなものを作ろう」
「……え?」
 思ってもいなかった歌仙の一言に、審神者は思わず聞き返してしまう。
「……先の甘味処でもそうだったが、君がおいしいと言っているのを久しぶりに聞いた。その言葉をもっと聞きたいと思っただけさ」
「ご、ごめん……」
「なにを謝ることがあるんだい。君に喜んでもらいたいと思うのは、当然のことだろう?」
 口先だけではつらつらと綺麗ごとを並べるが、歌仙の心中はまったく穏やかではなかった。自分の料理を食べてもなんの反応も示さなくなってしまった主が、さぞおいしそうに他人の料理を頬張るのが腸が煮えくり返るほど気に食わない。目尻を下げ、笑みを溢す彼女の姿が見ていられない。確かに自分の作る料理は毎日食べているだろうから、味にも慣れてしまっただろう。おいしいと言われなくとも、いただきますとごちそうさまさえ聞ければ歌仙は満足していた。いや、そう言い聞かせていただけだ。本当は満足などしていない。喜びを与えたいのは当然のことだ。いつだって彼女の笑顔を見たいに決まっている。しかしそれが他人のもので引き出されては意味がない。
 歌仙のたった一言でしゅんと萎縮してしまった審神者を見て、歌仙は不味ったと目を細める。そんな怯えたような表情をさせたかったわけではないのに、結局は彼女を消沈させてしまった。彼女は妙に察しのよいところがあり、押し黙る癖がある。自分はそんなにもとっつきにくい性格だろうか。こんなことではいつまでたっても主との距離を縮められない。焦燥感が、歌仙の心を蝕んていく。焦っているのは自分だけなのだろうと考えると、歌仙はますます自分がおかしくなりそうだった。
「ごちそうさま。……さて、すこし休んだら湯殿にでも行くかい?」
「あ、うん。そうだね。温泉、楽しみだなあ」
 静々と食事を摂り、少々腹を休ませた後、歌仙と審神者は浴場へ向かうこととした。部屋にも露天風呂はついているが、恋仲ならまだしも主と臣という関係でしかないふたりは無意識のうちに露天風呂の存在を頭から抹消し、旅館の最上階にある大浴場に足を運んだ。男女で分かれた入り口の前で審神者ははた、と立ち止まり、歌仙の浴衣の裾を掴む。
「あ、歌仙。男のひとのほうがお風呂早いだろうから、待ってないで部屋に戻ってていいからね?」
「なにを言っているんだい。僕は君の近侍だ。傍を離れるわけにはいかない。僕が先に上がったら近くで待っているから、気にせずゆっくりしておいで」
 審神者の申し出をきっぱり跳ね除けると、歌仙はさっさと男湯ののれんをくぐって行ってしまう。どこに行っても結局、歌仙が近侍であることは変わりない。この旅行中ぐらい少しは忘れられたらと審神者は思っていたのだが、やはりそう簡単にはいかない。歌仙にとっては旅行のお供も近侍の仕事なのかもしれない。些細な一言がとても突き放されたような気がして、審神者は肩を竦める。
 先の夕餉の時といい、ぎくしゃくしてしまうのは自分たちが友人や恋仲ではなく主従だからだろう。片方に従者としての意識があれば、対等な関係は生まれない。そもそも対等でありたい、主従ではなく、それ以上の関係になりたいというのは所詮独りよがりでしかないのかもしれない。審神者は気落ちしながら、女湯ののれんをくぐる。いつもは長風呂なんてしないのに、今日のお風呂は長くなりそうだ。





 湯けむりが立ち込める大浴場を抜け、審神者は星空の麗しい露天風呂で一息ついた。風呂の傍に植えられた桜は月明かりに照らされ、そよそよと吹く風に花びらが静かに散って、湯に浮いた。心浮き立つ幸せな景色であるはずなのにどこか虚しい。瞬く星々の美しさにときめきすら感じない。一日が無駄になったような気すらした。
 それすらに、悲しい言葉だった。彼の言葉に勝手にショックを受けている自分がみっともなくて、ため息を吐きながらがっくりと項垂れる。きれいな満月に顔向けができないぐらいに審神者の心は曇っている。
 彼の、歌仙の言い放った「僕は近侍だ」という言葉は至極当たり前なのだ。勝手に期待して、勝手に落ち込んでいる自分があまりにも愚かすぎた。歌仙兼定はただの傍付きで、自分が勝手に好きになっただけにすぎない。期待などしてはいけないのかもしれない。崇高なる神様に恋をしてしまった自分が悪いのだ。それに、旅行好きの彼のことだ。相手などはだれでもよく、ただついてきただけにすぎないのかもしれない。
 宿泊券をくれた加州らには申し訳ないが、残りの時間をなんとか彼にとっても、自分にとってもせめて快いものであるように気をつけようと審神者は決心した。むしろそれぐらいしか傷心の審神者の気を紛らわさせるものはない。
 それに先ほど、夕食の時に歌仙を怒らせてしまったかもしれないと審神者は今更になって後悔していた。歌仙は自分の好きな物事にはこだわりがあって、非常に神経質だ。しかしそんな神経質な彼の性格を差し引いても、戦や雑務の合間を縫って厨に立ち、料理を振る舞ってくれる彼に対して自分は無神経なことを言ってしまった。
 歌仙の料理は美味しい。なにを食べても、当たり前のように美味しいのだ。例えるならまさに母親の料理と同じだ。自分の舌に馴染む、ごくごく当然の食事で、感謝することを忘れていた。こんなことでは歌仙に呆れられて当たり前だ。歌仙が目に見えて不機嫌になったのは審神者にもすぐ分かったが、機嫌を損ねた彼になんと声をかけるのが正解か分からず狼狽えてしまい、ますます失望させてしまったかもしれない。
 その後、彼は機嫌を直したかのようにいつも通りの声音で審神者に声をかけてきたが、あれは感情を抑圧しているように見えた。歌仙は感情をむき出しにする行為は子どものようで見っともないと思っているらしく、起伏の激しい己の感情をどうにか押さえつけている。これ以上怒らせないようにしなくてはと思うと、審神者の頭の中には暗雲が立ちこめた。歌仙とは仲も良いがその分衝突もする。諍いが起きない自信はない。それに今はつねにふたりきりの状況で、審神者に助け舟を出してくれる者はいない。
 歌仙のことはなんとなく分かっているようなつもりでいたが、考えれば考えるほど彼のことが分からなくなっていった。ふたりきりだという緊張も加えて、どんな些細な行動も、表情の変化も気になってしまう。彼のせいで頭がおかしくなってしまいそうだった。そんな思いをしているのはきっと自分の方だけで、審神者は膝を抱えてひっそりとため息を吐いた。
 ひとり情けなく落ち込んでいると、隣にあると思われる男風呂からはなにやら賑やかな声が聞こえる。まるで浮き足立っている修学旅行生のようながやがやと騒がしい声の中に、ふと審神者の心中にあった彼の、歌仙兼定の声が聞こえた。しかしまさかそんなはずはない。彼は他者と仲良くなるまでに時間がかかる性格だ。まったく見知らぬ者に話しかけるなんてもってのほか。もしかすると他の歌仙兼定もこの旅館に滞在しているのかもしれない。いや、そうに違いない。少なくとも審神者の本丸にいる歌仙兼定は人見知りな性格なのだから。
 ぼうっと喧騒を耳に入れていると、なにやら聞き覚えのある声が複数入り乱れる。壁一枚隔てた向こう側にいる刀剣たちはきっと自分の本丸の彼らではない。だが、それでも、彼らの元気な声が耳心地がよくて、これでは本丸にいるのとあまり変わらないと思いながら爽やかな夜風に身を任せてゆっくりと目を閉じた。


 審神者がひとり湯船で落ち込んでいる頃、歌仙は大浴場の広さに圧倒されていた。本丸についている風呂も一気に十人程度が入れるほどの大きさはあるが、さすがは旅館の大浴場……比べ物にならない大きさだ。一般人に紛れて洗髪し、体を洗い終えて屋外にある湯船に足先から入っていく。
 ゆっくりと肩まで浸かり、ごつごつとした岩が積まれた湯船の縁に頭を預けてぼんやりと夜空を仰ぐ。大小の星々が瞬き、はっきりと浮かぶ満月がまさに絶景であった。さらに、露天風呂の周囲には桜が植えられており、風に散らされた花びらが湯に浮かんでいる。歌仙好みの風流な情景に心が潤った。きっと審神者も、彼女もこの風景を見ているだろう。本当ならば一緒に並んで見たい風景であったが、後で共有するのも悪くない。
 知り合いが誰もいない風呂に入るのは付喪神として生まれて初めてのことだった。知らない人間らが周囲にいるというのもなんだか落ち着かず、歌仙はちらちらと様子を伺うように周りの人間を見渡す。立ち込める湯けむりのせいであまり見えないが、人間たちは各々これでもかというほど寛いでいる。中には寝こけそうになっている者もいるほどだ。
 水の流れ落ちる音と草木のそよぐ音が響くだけのゆったりとした空間で、歌仙は短く息をつく。静やかな空間は心すらも洗われると思った。だがそんな歌仙の平穏を終わらせるかのように、歌仙の両隣にざぶり、と男が腰をおろした。「奴ら」はきっと来るだろうと歌仙も予想はしていたが、いくら温泉で落ち着いたとはいえ今の歌仙はあまり機嫌がよろしくない。
「どう、歌仙。主とはうまくいってる?」
 歌仙の右隣に座った加州清光は心配そうに問いかけてきた。この旅行の企画者である加州は歌仙兼定と審神者の関係を面白がっているが、それと同時に不安でもあるのだろう。なにせ歌仙と審神者はどちらも不器用だ。仲が進展しないような、それどころかむしろ悪化してしまってはいないか不安なのである。
「……うまくいっているもなにも、絶好調だよ」
 加州の問いかけに対し、機嫌の悪さを露骨に表に出したくはなくて歌仙は澄ました表情でそう答えた。しかし問いに対しての答えがいささかちぐはぐで、加州は怪訝そうに首をかしげる。
「あんたがそうやって笑う時ってろくなことがないんだよねー。なんか余計なこと言ったりとかしてない?」
「…………」
 どうして彼はこうも察しがよいのだろう。歌仙は詰め寄ってくる加州から目を逸らすようにお湯に顔の半分を浸けて、拗ねた子どものように頬を膨らませる。まったくもって加州の言う通りだった。歌仙はどうも話を繋げようとして余計なことを言ってしまう悪癖がある。自分が思っていることをうまく隠すことができないのだ。
 審神者に美味しそうに食べられている食事が気に食わない。確かにこの旅館の料理は立派なものであった。歌仙が仕事の片手間で使っている食事とは違う。それでも面白くなかったという感情がふつふつと湧き上がって抑えきれなかった。
「はあーもう、こうなったら……陸奥守!」
「おん、まーかせちょけ!」
 加州がそう呼びかけると、どこからともなく徳利と人数分の猪口を持った陸奥守吉行が現れた。歌仙はその姿に嫌な予感を察して若干後退ろうとするが、半ば無理やりに猪口を持たされてしまう。とぷとぷと注がれた液体のにおいを嗅ぐが、それは紛れもなく日本酒だった。熱燗であったから、余計に日本酒のにおいは濃ゆく、それだけでも酒を呑んでいるような気分にさせられる。
「待て、僕はあくまでも主の近侍として此処に来ているんだ! だから酒は……」
 歌仙も酒は好むが、この旅館には建前上……歌仙の目の前には同僚の刀が二振りいるが、審神者の刀は歌仙しかいない。もしも審神者になにか遭った場合にどうにかしなければならないのは自分だ。暢気に酔っている場合ではない。近侍としての責務が歌仙にはあった。だから審神者に恋心を抱いていても、近侍としての、臣としての意識が先に働いてしまう。
 酒を突き返そうとする歌仙に、加州は頬を膨らませて人差し指を突きつける。
「なーに堅苦しいこと言ってんの! そんなだから主との距離が縮まらないんだよ。ほら、呑んだ呑んだ」
「歌仙はかったいのー! ちっくと呑んで開放的になったほうがええにゃあ」
 かちん、と鳴らされた猪口を加州と陸奥守はすぐさまあおってしまう。
「まったく君たちは……! どうなっても知らないぞ!」
 歌仙はふたりの顔を交互に見、眉根を寄せながらふたりに少し遅れて酒をあおる。少々辛口の日本酒は程よい熱さで、一杯飲むと体にじんわりと広がっていく。その感覚が心地よい。
 湯船に浸かり、夜風にあたりながらの酒宴はしばらく続きそうであった。

PAGE TOP