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「うーん……。歌仙遅いなあ」
 大浴場を出たすぐ側にあったマッサージチェアに腰掛けながら大浴場の出入り口を見回すが、近侍の姿はない。
 露天風呂は花も月もきれいだったから、きっとその美しさに見惚れて長風呂でもしているのだろうか。想像だけだが、なんとも風流を愛する彼らしい。
 互いに部屋の鍵は持っているが、連絡手段がないので先に戻ってしまうと彼に余計な心配を抱かせかねない。
 大人しく待っていようと無料で飲めるミネラルウォーターをとりにいったところで、見たことのある桜色の長髪と、きれいな金髪の頭が審神者の視界に入る。後ろ姿だけだが間違いない。審神者としての自分の勘が告げている。
「蜂須賀、国広! なんでここにいるの?!」
 審神者は両者の腕をぐい、と掴み、後ろを振り向かせる。ああ、間違いない、自分のところの二振りだと確信した。二振りの表情のつくり、彼らのまとっている気配そのもの。紛れもない、自分の刀。間違うはずがない。
 どうして、なぜ、彼らはわたしたちを笑顔で見送ってくれていたはず。なぜこんなところにいるのか答えが見つからず、審神者は困惑して次の言葉が出ずにいた。
「あっ、いや、ある――」
「おや、刀違いかな」
 当惑した審神者を跳ね除けるように、蜂須賀虎徹は審神者の手を振りほどいた。蜂須賀虎徹という刀の性格を知っていればありえない振舞いに、審神者のみならず隣にいる山姥切国広までもが驚いて青ざめた顔をしている。
 この蜂須賀と山姥切、間違いなくこの審神者の刀なのである。二振りは歌仙に絡みに絡んでいる陸奥守と加州を放っておいて大浴場から上がって部屋に戻ろうとしていた、まさにそんなところだった。
 存外思っていることが露呈しやすい山姥切の言葉を遮り、蜂須賀は日頃審神者には見せぬ、それはもう冷ややかな愛想笑いで審神者から距離をとる。
「いや、なに言ってるの。わたしの蜂須賀でしょ、それに国広も! なんでふたりがこんなところに……」
「いいや、俺は君の蜂須賀ではないよ。ここの山姥切も。俺たちは今日、主と慰安旅行に来ていてね。主を部屋に待たせているんだ。もう戻らなければ」
「…………そう、か。そうだよね、ごめんなさい」
 あからさまに嫌悪感丸出しの表情をしてみせる蜂須賀にひるみ、審神者は掴んでいた腕を離して俯き、謝る。
 己の主のかわいそうな姿に罪悪感を感じた蜂須賀と山姥切だが、なにもできない。してはいけない。自分たちが本人であるとばれてしまっては台無しだ。
 二振りはすまない、と心の中で謝りながら、審神者の横を通り過ぎた。……その二振りの後ろ姿をまだ納得がいっていないかのように首をかしげて見つめる。
「絶対にうちの蜂須賀と国広なんだけどなあー」
 刀剣たちは仕える主によって気配なのか神気なのか、とにかく彼らの持つ色が変わる。だからどこに行っても自分の刀であると判断できるのだが、違うと本人たちに言われてしまうと、なにも言えなくなってしまう。
 もしや自分に似た審神者がこの旅館に泊まっているのだろうか。そう考えて気を紛らわせながらマッサージチェアに戻ろうとすると、振り向きざまに何者かが審神者の目の前に立ちはだかる。
「わっ、あ、歌仙!」
「ああ……すまない、待たせた、ね……」
 ぽかぽかと大浴場のいい湯気をまとって現れた歌仙はぱっと見ただけでものぼせていると分かって、審神者はぎょっとする。
「えっ、ちょっと、顔真っ赤だよ! とりあえずお水飲もう!」
「すまない……すまない……ついつい入りすぎてしまった……」
 風呂に入りすぎてしまったのは本音。しかしのぼせた理由は別にある、がそれを審神者に言うわけにはいかない。
 途中からどちらがどれだけ多く呑めるかの勝負になって三振りで酒をあおりまくり、酒が一滴もなくなったところでようやく我に返って慌てて風呂から上がってきたなどと言えるはずがない。
 本来ならば男が、近侍が先に出て待っていなければいけないところを、むしろ彼女を待たせて気を使わせるなど、恥ずかしいことこの上ない。
 それでも審神者はそんな歌仙に呆れることなく、優しく笑いかける。
「ふふ、露天風呂きれいだったもんね。長風呂しちゃうのもしかたないね」
「……無様だ……」
「もう少ししたら部屋に戻ろっか。買い物してくるから……これ飲んで、ちょっと待っててね」
 紙コップに入った水を渡され、審神者は財布を持って売店の方へと行ってしまう。
 売店を遠目から眺めたあたり、お土産にできそうなまんじゅうなどの和菓子や一升瓶などのほか、部屋に持ち帰って食べられそうな軽食などが並んでいる。
 審神者がなにを選んでいるのかは分からないが、ぼうっとその姿を眺めていると、ずっしりと片手になにやらたくさん買って戻ってきた。
「おまたせ。立ち上がれそう?」
「あ、ああ……ところで、それは?」
「ん、おつまみとお酒と……歌仙も呑むでしょ?」
 とてもいい笑顔で審神者は歌仙に笑いかける。微笑み返すしか、歌仙にはできなかった。





 部屋に戻ると布団がすでに敷かれており、もういつでも寝られる状態が整っていた。
 すでに酔っ払っている歌仙としては一刻も早く布団に転がり込みたい気持ちでいっぱいだったが、主をおいてそんなことができるはずもなく。
 そもそも露天風呂であのふたりの誘いに乗ってしまった自分が悪いのだ。歌仙は猛省しながら椅子に腰掛け、おつまみなどの封を開ける。
 趣のあるグラスにたくさんの氷が積まれ、その上から買ってきたばかりの焼酎が注がれる。慣れた手つきでかき混ぜられると、あっという間に水割りは歌仙の前に差し出された。日本酒ではなく焼酎だったことがせめてもの救いだ。
 審神者が椅子に腰をおろすと、ふんわりと柔らかないい香りが漂う。自分と同じ温泉に入ったはずなのに、己の浮かれた心持ちに、歌仙は内心自嘲した。
「じゃあ、乾杯」
「ああ」
 歌仙の気持ちも知らぬまま、審神者はにへらと緩んだ笑みを浮かべて歌仙のグラスに自分のグラスを近づけた。かちん、と音が鳴って一口あおると、脱力感溢れる上機嫌なため息とともに椅子へともたれ込む。普段ならだらしがないと説教を垂れるところだが、さすがの歌仙も今日は叱る気にはならない。
 一息ついてすっかりリラックスしている審神者の浴衣のすき間から、なだらかな鎖骨が覗く。良い意味悪い意味含めとにかく目の毒に思えて、歌仙はなるべく視線をグラスへと集中させた。
「いつもはみんなと一緒だから、こうやってふたりで晩酌なんて、なんだか新鮮だね」
「そう、だね……落ち着かないかい?」
 本丸で誰かが酒を呑むともなれば、最初は小さな晩酌でも巻き込み巻き込まれの宴会に発展することがある。だからゆったりとした雰囲気で風景を楽しみながら酒を酌み交わすなど、滅多にできることではない。
 またとない機会を噛み締めながらも、歌仙は無意識のうちに審神者の気持ちを探ってしまう。歌を読んだりすることは好きだが、自分の言葉の操り方が不器用なことを歌仙は知っている。
 先ほどの夕餉の時には審神者に気を使わせてしまった。落ち着かないかと審神者に問うが、落ち着かないのは自分の方なのだ。
 審神者は歌仙の問いに一瞬、ぽかんとした表情を浮かべたが、落ち着き払った顔で顔を横に振る。
「うーん。歌仙と一緒にいるとちょっとだけ緊張するけど、それでも落ち着く」
 ちょっとの緊張とは。歌仙は内心その言葉に引っかかっていたが、酔いもさらに回ってきてそれを追求する気はすぐに削がれた。
 むしろ歌仙の方が緊張しているのか、グラスに入っていたお酒はあっという間になくなった。酒は自分で作ると申し出たが、審神者が作りたいのだとはにかむものだから何も言えず、歌仙は差し出されたものに再び口をつけた。
 宴会ともなると歌仙はもっぱらおつまみを作るのにかかりっきりになってしまい、こうしてゆっくり審神者と酌み交わすことなどほとんどない。それが今こうして審神者を独占しているという事実に嬉しさがこみ上げて、呑むペースはますます進んだ。
 そうして元々口べたな性格もあいまったのか、歌仙が酒に呑まれてしまうまでにそう時間はかからなかった。

「……れで、三斎はあれでいてとても筆まめでね、今世では手紙も、大事な資料として扱われるそうだから、三斎がうかつなことを書いてないか僕はとても心配なんだ……」
 酔っ払うと旧主の話をしたがるのはどの刀剣にも共通するらしい。審神者は以前に旧主への偏った思い入れの激しいへし切長谷部と酒の席で一緒になったことを思い出しながら歌仙の話を聞いていた。
 昔の話は面白い。刀剣たちの秘められた考えの他にも様々な時代背景やその当時のことを聞けるのでやはり興味関心はある。
 しかし短い時間しか生きていない審神者は昔の話となるとどうしても聞き役に徹するしかない。それが時として悲しくなってしまうこともある。独りよがりな疎外感を隠すように、審神者はグラスを傾ける。
「歌仙は、本当に忠興公が好きなんだね」
「ああ! 彼は何事も雅にこなすんだ。少し気の短いのが難点だったがね、それを差し引いても素晴らしい」
 その気の短い部分を自分も受け継いでいる自覚はあるのだろうか。審神者は嬉々と語る歌仙の顔を眺めながら苦笑いした。
 歌仙が旧主を素晴らしいと褒める度に、審神者は自分が歌仙にとっての素晴らしい主ではないことを思い知る。教養も彼の言う雅さもなにもかも足りない。嫉妬と呼ぶには愚かな感情が審神者の頭の中を渦巻いている。
「…………」
「あるじ、黙りこくって、どうしたんだい…?」
「ううん、なんでもないよ! もう夜も遅いし、そろそろ寝よっか」
「ああ……もうそんな時間か。君との時間が名残惜しい……」
 歌仙に不安を感じさせてしまったことを反省し、審神者はそろそろ布団に入ろうと促す。歌仙は眉根を寄せて渋い顔をしながらも、不安定な足取りで布団までふらふらと歩く。
 勘違いしてしまいそうな想い人の一言に頭を揺さぶられながらも、審神者はグラスや酒を簡単に片し、消灯した。酒が入っているせいか少し肌寒い気もしたが、布団に包まっていればじきに温かくなるだろう。
 布団と布団の間は少ししか離れていない。微妙な距離感に緊張しながらも審神者は歌仙におやすみを告げてまぶたを閉じた。



 部屋の寒さに、審神者は寝静まってから二時間ほどで目を覚ました。酒が抜けてきたせいもあるのかもしれないが、それにしたって寒すぎる。
 のぞりと上半身だけ布団から抜け出し、部屋備え付けの暖房器具に手を近づけてみる。温かい気配はまったく伝わってこない。思い切って手をぴたりと近づけてみた。実に冷たい。
 どうして暖房がついていないことに気が付かなかったのだろう。風呂上がりに酒をあおったことで体感温度に狂いが生じていたのか。
 手持ちの携帯電話で暖房の電源部分を照らして見てみるが、実におかしいことが起きている。電源はちゃんとオンになっている。試しに風量を調節するダイヤルを回してみるが、作動する気配はない。
「ど、どうして……」
 なんて運が悪いのだろう。審神者は諦めて布団に潜りなおす。この深夜にフロントに電話したところで直るのはきっと明日以降になるだろうし、寒いのを耐えて寝るしかない。
「うう……」
 寝ていた歌仙は審神者の隣でむくりと体を起き上がらせる。寒さで歌仙も起きたのだろうかとしばらく様子を伺っていると、彼はのそりと動いて自分の布団を背に被ったまま審神者の布団の上にもたれ込んできた。
「んん…………」
「えっ、ちょっ、ちょっと……! かせ、かせん……!」
 突然の行動にどうすることもできず、審神者は四肢をじたばたとさせるが、歌仙が起き上がる気配はない。布団越しだが歌仙の体のラインや香りが伝わってきて、審神者は身体的にも精神的にも押しつぶされてしまいそうだ。
 彼も寒かったのだろうか。もぞもぞと動いて布団越しに審神者の体を抱く。そして体勢が落ち着いたのか、再び寝息を立てて審神者の上で寝てしまった。
 体格差がありすぎて審神者では歌仙の体を退けることができない。人のぬくもりで先ほどよりも温かいのがせめてもの救いか。審神者は下敷きにされたまま仕方なしに意識を手放した。

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