眠たくなってしまいそうな昼下がり、審神者は自室の障子と廊下の戸を開け、外を眺めていた。
小庭では短刀たちがおいかけっこをしている様子が審神者の目にも微笑ましく映る。天気のよい日は戦よりも遊ばせるに限るとつくづく思った。
すこし動き回れば汗ばむほどの日照りに、洗濯物もよく乾くだろう。物干し竿には衣服や布団のシーツ、タオルなどがかけられていて、心地よい風に吹かれてふんわりとなびく。
天気はよいのに、審神者の心はちっとも晴れやかではなかった。むしろどんよりとした灰色の曇り空。ついでに言えば小雨でも降り出しそうである。
仲良く遊ぶ短刀たちに手を振って、笑顔を浮かべるが、短刀たちの視線が逸れた途端に、気が抜けて口角と眉がすぐに下がり、鼻から息が抜ける。
いつもならば微笑ましい少年たち――中身は審神者より幾百年も年上だが、を見て晴れない心も穏やかになるものなのだが、この頃はそうもいかなかった。
ここ最近、審神者はずっと曇り空を心の中に抱えていた。原因はいまも目の前で洗濯物を干している最中だ。
風にあおられるシーツに隠れていた姿が視界にはいって、万年筆を握る手に力がはいる。しかたがないのだが、あまり気落ちする原因を目にいれたくはなかった。
下唇をぎゅっと噛んで、感情が露骨にでてしまいそうな表情筋をぐっとこらえる。
「茶がはいったぞ」
ぽん、と肩をきゅうに優しく叩かれ、審神者は驚いて書いていた文字があられもない姿になってしまう。
跳ね上がった心臓をばくばくと鳴らしながら斜め後ろを振り向くと、それは内番のジャージを着た鶯丸であった。
相変わらずの澄まし顔で、切れ長の目元と眉ひとつ動かないが、口角はわずかに上がっている。
この本丸の爺連中はどうしてどいつもこいつも急に現れるのだろうと、審神者は呆れつつもほっと胸を撫で下ろす。
鶯丸はどういうわけか、審神者の気分が上がらない時や怠けたい時に茶を持ってきて審神者を休ませたがる。
ただ単純に茶を飲む相手を探しているのか、それとも審神者の心中を察してやってくるのか、審神者にはそのところはよくわからない。彼ならばどちらも有り得そうだとは思っていた。
鶯丸は審神者専用の湯のみを静かに仕事机に置き、それから自身の湯のみをかたむけてこくりと一口だけ飲み、一息つく。
審神者はというと湯のみを持ってはみたものの、茶を飲む気分にもなれずにただ黙りこくってしまう。
「どうした、主よ」
「うーん……」
なんとも曖昧な審神者の返答に、鶯丸は首をかしげて顔を覗きこむ。
よく茶をともに飲むということはそれだけ一緒にいる時間が長いということである。
他愛のない話、主に大包平の話なんかをすることのほうが圧倒的に多いのだが、ささいな相談事を審神者から投げかけることも多い。それだけ鶯丸は信頼にあたる刀剣であった。
審神者は日頃からよく笑い、よく喋る人間だ。そんな審神者が言葉を詰まらせるということに鶯丸はすぐに違和感を感じ取った。
鶯丸という相談できて尚且つ心許せる相手が現れて、審神者の声のトーンも、張ったものではなく気弱なものに落ち込んでしまう。
両手で湯のみを握りしめ、審神者は横に座る鶯丸の肩に頭を預ける。
「ちょっと、相談なんだけれど」
「今日の夕餉の献立か?」
審神者が真面目に言っているのはわかっているはずなのに、鶯丸はあえて冗談を言ってから茶を飲む。
「ちがう。ちょっと、障子閉めてくれる?」
鶯丸はなにも言わずに障子戸に手をかけると、閉め切る前に小庭を見渡し、こちらの様子を見ている刀剣がいることに気づいた。
彼の眼は平静を装っているように見えたが、眉はつり上がって眉間に深くしわを刻んでいる。口は真一文字にきゅっと結んで、なにも言う様子なくただじっとこちらを見ている。
洗濯物のしわをのばしていた最中だったのか、シーツを掴んだ手は固まって動かない。その姿を見た鶯丸は余裕を含んだ目を伏せて障子戸をぴしゃりと閉め切ってしまう。
きれいな青空と差し込む陽の光が遮断されて、部屋はやや薄暗くなり、昼下がりの爽やかな雰囲気は失われる。
「ありがとう。ちょっと皆に聞こえるとまずいことで……」
「そうか。ところで近侍がこちらを見ていたぞ」
「げっ、仕事サボっていると思われてる……あとでお説教されるなあ……」
鶯丸はそれとなくこちらを注視していた刀剣がいたことを伝えると、審神者は眉尻を下げながら苦笑いをする。
いつもとは異なる審神者の表情を気にかけながら、相談事を急かすことなく鶯丸はゆっくりとお茶を飲み干す。
それから急須に入った茶を静かにそそぐと、審神者が苦笑いのまま相談事を語り始める。
「……まあ、その相談事っていうのが近侍のことなんだよね」
「むしろ近侍のほうが君に対する愚痴を抱えていそうだけれどな」
近侍は日頃から、審神者の所作や言葉遣いにのみならず、化粧や衣服に対して口を出す。
そして、自分の教えこんだ通りの立ち振舞いをしない審神者に業を煮やしている。
審神者もそう思い通りにいってやるかと反抗したくなる性質の人間なので、思い当たる節がところどころあって半笑いで茶を濁す。
「愚痴じゃないってば! じ、実はね……その近侍が、歌仙がさ……恋をしているみたいなの」
「…………恋?」
審神者の口から飛び出した言葉に、茶を飲む鶯丸の手もぴたりと止まる。
人間のような趣味を持ちながらも刀としての本領を忘れない歌仙兼定が恋とは、なるほどとも言いがたく、思わず疑問符が頭に浮かぶ。
かわいらしい話題かと思えば深刻そうな面持ちをしている審神者は声をひそめて話を続ける。
「それでね、その恋を諦めさせるか、そのひとの元に行かせるか悩んでるの」
「ん? 主に対してではないのか」
「わたしになわけないでしょ。相手はね……よく行く万屋の娘さん」
審神者が口に出した人物を鶯丸はぼんやりと思い出す。そして顔を思い出して、ああ、とひとり納得する。
万屋には刀剣たちも審神者も日頃からよく世話になっている。名の通り、様々なものが手に入るため、審神者が小遣いをあげては足繁く通う刀剣も多い。
鶯丸はというと、ほとんど気に入った茶葉が切れた時にしか行かないので、万屋に行くことは少ないほうだ。
「確証はあるのか?」
「うーん、確証ってほどじゃあないんだけれど……」
審神者は文机に置かれた湯のみを見つめながら沈痛な顔色をしている。
鶯丸の目にはその姿がひどく痛々しく見えて、本当に思い悩んでいるのだろうと確信せざるを得なかった。
ひとつめの証拠、週末に出かけては三時間は帰ってこない。
外に出る時は報告するように刀剣たちに言いつけているため、歌仙ももちろん審神者に一声かけてから出ていく。
大抵はその時に行き先も審神者のほうから聞いている。その方が緊急の時に場所を把握し易いからだ。
しかしある日、歌仙にいつも通り行き先を尋ねると、面倒くさそうな顔をして「どこでもいいだろう」と言って言葉を濁された。
一部反抗的な刀剣はほかにもいるものの、とつぜん誤魔化すようにあったのは歌仙ぐらいである。
「……お休憩に行ってると思うんだけど」
審神者の言う休憩とはいわゆる男女がいろんな意味でお休みする施設でよく使用される隠語だ。
それならば行く先を濁す理由も納得ができる。出会茶屋に行ってるなど、主であり異性である審神者には口が裂けても言えないだろう。
「恋仲であるならば茶屋に行っている可能性も考えられるが、いささか考え過ぎではないのか」
「だって、行く前と帰ってきた後じゃ違う香りがするの」
鶯丸は審神者の浅い考えをやんわりと否定するが、審神者はそれに対して首を横に振る。
歌仙はいつも部屋で決まった香を焚いており、着物にもその華やかであたたかみのある香りは染みついている。
しかし外に出れば色んな香りが溢れており、香りが上塗りされることを考えれば審神者の言うことは勇み足にも思えた。
だがもしも、歌仙が審神者が言うとおり女性と会っているのなら、その女性が身にまとう香りが残ることも考えられるだろう。審神者が言わずとすることを汲み取り、鶯丸はなるほど、と呟く。
「つまり、女の残り香がすると」
「うん……男のひとが使うようなお香じゃないと思う」
それは私的な見解でしかないのだが、女は女のにおいに敏感なのかもしれない。鶯丸は審神者に意見せず「そうか」と流す。
続いてふたつめの証拠、自分が使わない物まで買ってくることが増えた、を挙げる。
審神者が立ち上がって押入れの戸を開けると使われずにしまい込まれた品物の数々が押し込まれていた。
細やかな作りの首飾りや、審神者が到底使いそうにもない化粧品の数多、漆塗りの手鏡に華やかな髪留め、果ては織物や帯まで、様々なものがしまわれている。
押入れの一角を完全に占拠しているそれらは、どれもこれもある程度値打ちのする品物だということは鶯丸にもすぐわかった。
「君への贈り物ではないのか」
「絶対違う。渡される時雑だもん。いらなければ処分してくれって言うし」
審神者曰く、歌仙は気に入ったものはたいそう大事にするし、取り扱いにも気をつけるように厳しく口を尖らせるそうだ。
その証拠、と審神者は文机の引き出しから貝象嵌で桜が描かれた黒檀の帯留めを取り出す。
「これ貰った時なんて二十分ぐらい貝象嵌がどれだけ美しいものか語られたからね」
「なるほど」
とりあえず品物を贈ってはみるが、受け取ってもらえずその後処理として審神者にお鉢が回ってきているのだと審神者自身は思っていた。
しかし鶯丸には、歌仙が意味のないものを買ってくるような性格だとはにわかにも思えず、審神者の意見に首をかしげる。
「やっぱりね、好きな人のところに行かせてあげたいって気持ちはあるんだけど、いなくなると困るし……」
「正直に、本人に確かめたらどうだ。まずは好いている相手がほんとうにいるのかどうかもわからないのだから」
「そ、それは、わかってるけど……」
本人が隠していることを直球で聞くのは相当勇気のことだ。
審神者がおずおずと悩んでいると、障子戸の向こう側に人影が現れて、ひときわ冷めたい声が聞こえる。
「主、出陣する」
突然現れた声と影に、審神者はびくりとからだを震わせる。その姿は間違えもしない、近侍である歌仙の姿であった。
審神者がうわずった声で返事をすると、歌仙はなにも言わずに退いていく。
いつもならば仕事をしてないと思われるときには審神者の様子を確認して、必要とあらば雷を落とすのが歌仙だ。
なにも言われなかったことに審神者は動揺して鶯丸と顔を合わせる。
のん気なのか冷静なのかわからない様子で自分の湯のみに茶のおかわりを注ぐ鶯丸はふっと笑う。
「出陣から戻ってきてからになるな。ま、本人の気持ちに委ねるがいいさ。本人がどうしたいかが一番肝心だ」
「うん……わかった。ありがとね、鶯丸さん」
「いいや、礼には及ばんさ。君も、自分の気持ちを大事にするといい」
歌仙が率いる第一部隊が帰ってきたのは、夕餉の少し前であった。
元気なただいま、という声が審神者の部屋まで響き渡る。どうやら無事に帰ってきたようだと審神者は安堵しながら玄関に向かう。
しかし玄関にいた第一部隊の様子は想像とまったく違って、審神者は血相を変える。全員がぼろぼろの状態、あちこちに怪我をして帰ってきたのだ。
中でも、部隊を率いる長である歌仙は同じ打刀の陸奥守吉行に肩を担がれて立っているのがやっとの状態で、苦しそうに肩で息をしている。
審神者が慌てて歌仙の左肩を背負おうとすると、自分は後でいいと審神者を振りほどこうとする。
重傷者の手入れがなによりも最優先事項であることを歌仙も知っているはずだ。審神者は歌仙の抵抗を無視して、歌仙を手入れ部屋に運び入れた。
いつもなら重傷になっても歌を考えるのに夢中で気が付かなかっただとかそんな冗談を言って、怪我など痛くも痒くもないといった素振りをするのだが、今日は一度も顔をあげない。
多弁な歌仙が口を開かないなんておかしなことだと思いながら、審神者は刀身の手入れを始めていく。
重苦しい雰囲気を変えるために、審神者は冗談めかして、昼下がりに鶯丸と話していた質問をぶつける。
「歌仙さんって、好きなひといるの?」
「……は?」
思い切って尋ねると、理解ができないといったような顔で歌仙は審神者を睨みつける。
審神者が叱られている時でもこんなひとを脅すような声は出さない。初めて聞いた声にすこし億劫になりながらも、審神者は追及する。
「だから好きなひとだって。いるんでしょ、どこかに」
「ちょっと黙ってくれないか」
苛立ちをあらわにした声音に、審神者の背筋も思わずぞくりと凍る。
審神者に八つ当たりをすることなどいままでになかったのに、どうしてこうも機嫌が悪いのか審神者には歌仙の意思を汲み取ることはできない。
歌仙のするどい眼光に、目をそらしたくなるが、ここでそらしては負けだと思った審神者はごくりと生唾をのみこみ、話を続ける。
「たっ、たまにはわたしと世間話してくれたっていいじゃない」
実は審神者と歌仙が必要以上に言葉を交わすのは久しぶりのことである。
どうにも先の考え事をしていると審神者も意識してしまって思うように口が動かないのだ。ついこの間までは、そんなことなどなかったのに。
審神者の口数が減ると、次第に歌仙の口数も減っていった。
もともとはお互い多弁であったから、よく話して喧嘩もした。しかし喧嘩が長引くことはなかった。気がつけばくだらない話をして笑い合っていた。
それなのに今ではどうだろうか。久しぶりの会話で審神者の声は震えていた。歌仙を目の前にして怖気づくことなんてしたくなかったのに。
「……黙れと言ったのがわからないのか。いたらどうだっていうんだ」
まるで敵意を向けるような眼差しに、審神者はついに屈して、ぽつりと謝る。
しばらく一時間ほどは無言のまま手入れをしていたのだが、審神者のほうが手入れ部屋の空気感に堪えきれなくなって手伝い札を用い、手入れは終わらせてしまう。
歌仙は無言で手入れ部屋から立ち去り、審神者はぽつんとひとり、とり残される。
あしらわれた時の冷たい声色が、いつまでも耳に響いて残っていた。
PAGE TOP