「夏目くん」
部屋の主の名を呼びながら、あんずはひょっこりと秘密の部屋に顔を出す。
そこには白衣を着た逆先夏目が居て、椅子に腰かけながらこぽ、こぽと丸底フラスコの中で沸騰する液体を眺めているようだった。
時と場合を選ばず、隠れるようにこの部屋で過ごしている夏目は、授業をサボっていることもまるで悪びれない表情で椅子を傾け、振り向いた。
「おや、子猫ちゃん。ボクになにか用事かイ?」
いつもの調子、独特なイントネーションと声色に浮かぶ猫のような細目の笑み。ゆっくりと弧を描いた薄赤色の唇。今日は機嫌がよさそうだとあんずはすぐに察知した。
同じクラス、初めて出会った時にいまいちピンとこない忠告をしてきた夏目にも、今ではすっかり慣れてきた。
夏目の機嫌がよさそうだと分かったあんずは秘密の部屋に入り込み、静かにドアをしめる。その手には四角の包み。ビビットな黄緑色の水玉がプリントされた、布の包み。
それをずい、と夏目の目の前に差し出し、あんずはへにゃりと笑んで口を開く。
「夏目くんにお弁当作ってきたの。よかったら食べてほしくて」
「……へぇ、まさか本当に作ってくれるなんテ」
以前、あんずは夏目に食の好みを尋ねたことがあった。
夏目は購買やガーデンテラスで食事を摂っていることが多く、自宅からお弁当を持ってきていることは一度も見たことがない。
一人暮らしをしている男子生徒が自炊などしないのは分かっていたが、何分本人も食に興味関心がないらしく、食事を楽しむというよりは栄養を摂取するという意味合いが強いらしい。
それはあまりにも、ということであんずはなんとか夏目から数少ない食の好みを聞き出した。
あんずがお弁当を作ったのはただのエゴだ。それで、少しでも食に興味をもってもらえればというわがままだ。
差し出したお弁当箱の包みを思いのほかすぐに受け取った夏目はやや驚いたように目をわずかに見開いて、薄ら笑いを浮かべる。
その笑みがどういう意味を含むのかまで、あんずはまだ夏目を読み取れない。
「折角だから、子猫ちゃんもこっちに来て、一緒に食べよウ」
「う、うん。あーでも作ったものを目の前で食べられるのって、なんか恥ずかしいなあ」
「恥ずかしくなんかないヨ。ほら、おいデ?」
夏目の言葉には不思議な魔力がある。あんずは初めて夏目と話した時に魔法がきかないみたいだと言われたが、夏目のわがままにはなぜだかとことん弱い。つまるところ断れないのだ。
手を引かれるがまま部屋に置かれた少し大きめの机に誘導されて、あんずは椅子に腰を下ろす。
あんずのお弁当も、夏目のものとほぼ同じ内容だ。上機嫌そうな夏目がお弁当の上蓋を外したのを確認してから、あんずはそろりとお弁当箱の蓋を開けた。
細かく切った枝豆を混ぜたご飯、おかずにはキノコ入りの小さなオムレツに煮込みハンバーグ、アスパラと人参のベーコン巻き、彩りにトマトをのせて、栄養面もあんずなりに気を遣ったつもりだ。
元々栄養学に興味があったわけではないが、この学院で生活していくうちに自然と気になりはじめた。やはり体はアイドルの資本、栄養の偏りはもちろんよろしくない。
あんずが夏目の動向をちらちらと伺っていると、へえ、と一言だけ洩らした後にお弁当を目視。その視線に気がついた夏目はわざとらしくあんずに向けて手を合わせていただきまス、と声をかける。
夏目が一口目に選んだのは枝豆の混ぜご飯。あまり見ているとからかわれそうだと分かりながらも、あんずは咥内に運ばれるご飯をまじまじと見つめてしまう。
そんな折、部屋の扉が派手に開いた。
「ししょー! やっぱりここにいた!」
「あ、夏目くん、次のライブのことなんだけど」
扉を開けて現れたのは、夏目と同じユニットSwitchに所属する春川宙と青葉つむぎだった。
夏目は口に運びかけていた箸を置き、つむぎを見てしかめっ面を浮かべる。
「……ソラはいいとして、ご飯食べてる時に仕事の話なんて聞きたくないナァ」
「あんずもいる! ふたりでお昼ご飯です? ソラもここで食べます!」
宙はにこにことしながら夏目の隣に座り、手に持っていたパンと紙パックの飲料をテーブルの上に広げる。
相変わらずつむぎには厳しい夏目の言葉はまさに日常そのもので、つむぎはまあまあ、と夏目をおさめながらあんずの隣に座った。
彼の手にはファイリングされたライブの打ち合わせ資料らしき書類とお弁当が握られている。Switchの活動は校外が主だ。あんずの知らぬライブ名称がちらりと覗いた。
「いいですねー。僕もここで食べてもいいですか、あんずさん」
「あ、どうぞどうぞ」
「ちょっとセンパイ、普通はボクに許可を取るべきじゃないノ?」
「みんなで食べたほうがおいしいよ、夏目くん」
すっかり機嫌の悪くなってしまった夏目をなだめると、お優しい子猫ちゃんが言うなら仕方がなイ、と皮肉たっぷりに了承してくれる。
あんず自身、夏目のあまのじゃくな性格を熟知しているわけではないが、きっと今は本心から嫌がっているわけではない。
正直なところ、あんずはふたりっきりではなく、Switchのメンバーも一緒に食事を摂れることにほっとしていた。
本当なら夏目が教室に居ればなんの問題もないのだが、ふたりっきりでお弁当の感想を述べられるのは少々恥ずかしい。
和気あいあいとしながらお弁当を食べ進めていると、宙が夏目のお弁当を凝視して、首をかしげる。
「んん? ししょーがお弁当なんて珍しいです」
「あ、それ私が作ったの」
「へー、カラフルでかわいいですね。夏目くんも隅に置けないなあ」
「うるさいヨ」
つむぎが夏目をからかうと、鋭い目つきで睨まれる。あんずはただ苦笑いするしかない。
お弁当に深い意味はない。作ってほしいと言われれば誰にだって作ってあげたい。ただ、今回の場合は勝手に作ってきたわけだが。
からかわれながらも食べ進める夏目を見て、あんずは内心安堵する。きっとまずいと思ったら箸を止めるだろう。彼はそんな性格だ。
つむぎは夏目のお弁当を覗き込み、しげしげと関心深そうにおかずを見つめる。
「もしかしてこのハンバーグも手作りですか? 手が込んでて、すごいですね」
「はい。昨日の夜に煮込んで……。よかったら青葉先輩も食べますか?」
あんずは自分の弁当箱に入ったハンバーグを半分に箸で切り、つむぎのお弁当箱に入れる。
つむぎのお弁当も彩りあざやかでかわいらしいのに、褒めてもらえてあんずは素直に嬉しかった。
最近はあの厳しいことで有名な椚先生にも褒めてもらったこともあり、さらに自信がつく。これからも精進しようと思えた。
「ええっ、悪いですよ」
「じゃあ、先輩のおかずも何か貰っていいですか?」
「あ、そうですね! そうしましょう」
まるで女の子同士でおかず交換をしているみたいで、あんずの心は弾む。
つむぎのお弁当からはクリームコロッケをもらい、きゃっきゃと談笑する。
それを面白くなさそうに見つめる視線には気づかずに。
「…………」
師匠と仰ぐ夏目の表情を見つめながらパンを食べ終えた宙は紙パックに入った飲み物を飲み干してしまったことに気がつき、がたんっ、と椅子から立ち上がる。
「HeHe~ソラは飲み物買ってきます! せんぱい着いてきてください!」
「はい、いいですよ」
宙はつむぎの腕を引っ張って購買へと連れて行く。むじゃきな声が秘密の部屋から途絶え、ぽつりと夏目とあんずだけが取り残される。
正しく言えば最初の状態に戻っただけなのだが、箸を置き、じとりと見つめてくる夏目の視線にあんずはふと気づき、肩をびくりと震わせながらもおそるおそる声をかけた。
お弁当の中身はちゃんと減っている。それなのに途中で箸を止めたのは、量が多かったのか、美味しくないおかずがあったのか、あんずには夏目の思考が読めない。
「…………」
「夏目くん、……もしかして美味しくなかった?」
「いいや、子猫ちゃんのお弁当はおいしいヨ。ただ、面白くないだけダ」
はあ、とため息をついた夏目は片肘をついて口を尖らせる。
お弁当に面白さが足りないとはどういった意味だろうか。あんずは道化師でもなければ魔法使いでもない。
元五奇人のひとり、逆先夏目を喜ばせるにはただの弁当では足りなかったということか。あんずは表情を強張らせながら言葉の真意を聞き出す。
「面白く、ない?」
「ボクも子猫ちゃんのお弁当食べたいナァ」
わざとらしいふくれっ面、いじけているのにどこか思惑を孕んだあざとい顔。あんずは夏目が意地悪を言う理由にようやく気がついた。
つむぎとおかずを交換したのがどうやら夏目には面白くなかったらしい。夏目はあんずお手製のお弁当を食べているのにもかかわらず、だ。
「私のお弁当のおかずは夏目くんのお弁当と同じで……」
「食べたいナァ」
「……じゃあ、コレあげるよ」
再度強調するかのように少し大きな声。小さな秘密の部屋に響く。
あんずはしかたなしに、オムレツを半分に切って、箸で夏目のお弁当箱に入れようと持ち上げる。
「ねェ、そうじゃなくっテ」
「へ、」
「ボクの口に運んデ」
甘えるような猫なで声。さすがアイドルとも言うべきか、こういうことを恥ずかしげもなく言ってのける。
からかいだと分かっていても、あんずは狼狽えて口をぱくぱくとさせる。反論の言葉は咄嗟には出てこない。
きっと顔もトマトみたいに真っ赤だろう。甘えられることには慣れていても、試されるような言葉にはめっぽう弱いあんずは箸を持ちながら問う。
「えっ…? あ、なん、なんで」
「その方が面白いと思ったらかラ」
「で、でも……」
「ほら早く、ソラたちが帰ってきちゃウ」
いけないところを子どもたちに見られちゃう、みたいな言い方をされて背徳感を煽られる。
普段から甘えてくる人間には食べさせるなんてこと余裕でできるのに、夏目には余裕でいられない。
以前に五奇人の諸先輩方が夏目におねがいされると断れない、と言っていたがまさにこういうことだろうか。あんずは身をもって実感する。
どくり、と心臓の音がうるさく高鳴る。こんな感情、おかしいではないか。しかしいくら否定しても熱が冷めない。
これはもう、やらねば夏目の機嫌が戻らない。あんずは覚悟を決めておかずを夏目の口元に差し出す。
「ううっ、……はい、あーん」
「……ん、おいしいヨ。あんずちゃん」
「……もう」
差し出されたオムレツを口に含むと、夏目はにっこりとほほ笑んで珍しくあんずの名を呼ぶ。
これも彼の身につけた人を惑わす術なのか。ふいに名前を呼ばれて、からかわれていると分かっていても照れてしまって下唇を噛む。
「じゃあ、次はボクがあーんしてあげル。はい、あーン」
「えっ、ちょ…! あ、あーん」
夏目の思いつきに振り回されるがまま、あんずは夏目から差し出されたオムレツを食べさせられる。
味もなんだかよくわからない。口の中でほぐれたやわいオムレツをごくりと飲み込んで、深いため息をついた。
「はい、よくできましタ」
「…………満足ですか」
「フフッ、そうだネ。今は満足、とでも言っておこウ」
今は、という言葉に不信感を抱きながらも、いつの間にかきれいに完食してくれたことにあんずはほっとする。
落ち着きを取り戻したあんずが油断してご飯を食べ進めていると、その姿をじっと見つめる夏目が椅子から立ち上がり、あんずの耳元に口を寄せる。
「"また、作ってくれると嬉しいな"」
ゆっくりと呟かれたその言葉は、魔法がききにくいらしいあんずの耳にも確かに反響し、たったそれだけの言葉に心を揺り動かされる。
顔を離した夏目は穏やかに口角を上げると、実験途中だった丸底フラスコの置いてある机へ向かう。
その後ろ姿を、薄紅に染まった頬で呆然と見つめるあんずの心中には喜んでもらえるならまた作ろう、そんな考えがぼんやりと浮かんでいた。
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