雲ひとつない青空の中陣取る太陽は輝きのあまり本来栄養を与えるはずであろう花々すらも枯らしてしまいそうなほどその灼熱を大地に知らしめていた。梅雨前といえば春に該当するだろうか。それなのにこの暑さはまるで夏本番といったところ。日に日に日没までの時間帯が長くなってきたこともあって、午後四時になっても昼下がりのような暑さが続いていた。
レッスンルームでの体力トレーニングの小休憩、あんずはTrickstarのメンバーにタオルとスポーツドリンクを手渡す。受け取るのもやっと、フローリングに倒れ込んだ彼らはうだるような暑さにやられていた。エアコンが設備されているような部屋だが、とはいっても激しく運動していれば暑さは体を駆け巡り、汗が噴き出る。
彼らとは正反対にあまり動かず体力トレーニングの様子を見守っていたあんずは上下長袖のジャージに身を包み、涼しい顔で彼らを見下ろす。エアコンの冷風に負けないくらいの運動後の彼らの熱気が多少暑さを体感させたが不愉快になるほどではない。むしろあんずにとってこの部屋は涼しすぎるくらいだから、丁度いいくらいだ。
「アイス食べたーい!」
大の字で寝転ぶ明星スバルが叫んだ。外は暑い。彼らも暑い。たしかにこんな日に食べるアイスは格別においしいだろう。高校の購買部でアイスを取り扱っているなんていうのはあんずにはにわかに信じがたかったが、この夢ノ咲学院にはある。それを知っている他のメンバーも次々とスバルの意見に同意し始める。真面目で朴念仁な氷鷹北斗も珍しく頷き、学生鞄から財布を取り出す。
誰が買いに行くとか全員で買いに行けばいいとか、彼らがわあわあと喋っているのを聞きながら窓の外を眺めていると、奥の渡り廊下に人影が見えた。線の細い体、奇抜な赤い髪とインナーカラーの白がガラス越しにぼやけて目に映る。この暑い中でゆとりのありそうな長袖の白衣を着用している後ろ姿はふらりと後ろにひっくり返るような動きを見せた。あんずは驚き、あ、と声をもらすが、体は持ちこたえた様子でしばし立ち尽くし、ゆっくりと歩みを進める。あんずの視界からは間もなく消えてしまいそうだ。だが目が離せない。心配と不安が脳裏に浮かぶ。
人影はクラスメイトの逆先夏目。滅多に教室に姿を見せない変わり者。何度か話をしたことはあるが、掴みどころのない違和感のある喋りをする青年だ。この学院に彼と重なる姿の人間はいないから、渡り廊下にいたのは逆先夏目で違いないだろう。あんずは自分用に買っていたミネラルウォーターを握りしめたまま、レッスンルームを出るようにドアの方へ向かう。
「あんず、どうしたの? アイス食べないの?」
なにも言わずに部屋を出ていこうとするあんずにスバルが声をかける。きょとんとした曇りない瞳はきっと窓の奥に見える赤毛の彼の姿に気づいてはいない。
「私、いらないと思う」
あんずは断りを入れて、教室を出ていく。走り出した空調の効いていない廊下はじんわりと暑い。湿度と気温の高さが具合を悪くしそうだ。広いこの学院の構図を完全に理解しているわけではないが、あのレッスンルームから見える渡り廊下はきっとあの場所に違いない。そう遠くはないはずだ。一ヶ月半ですっかり馴染んだ上履きで走ると、渡り廊下が終わったところでぼうっと立っている夏目を発見した。
「逆先くん!」
まだ呼び慣れない名字を叫ぶと、線の細い背中がゆっくりと振り向いた。声と走ってくる足音ですでにあんずだと分かっていたのかもしれない。はりつけたような笑みを浮かべて、口角をやや上げる。しかし額には汗が滲んでおり、苦悶を堪えているような表情が笑顔から透けて見えるようだ。
立ち止まっている夏目に駆け寄るとさらに彼の状態が細かく伺えた。胸のあたりが沈んで膨らんでを小刻みにそして不規則に繰り返すのを隠すように息を潜めている。ふだんあまり彼の姿を目にしていないあんずでも分かる肌のくすんだ青白さ。力がないようにだらりと下がった両腕。見るからに暑さにやられているといった具合の悪さ。今だって棒立ちの足があんずから逃げるように、やけに浮遊感の感じられる足取りでふらりと一歩下がった。
「慌ててどうしたノ? 子猫ちゃん」
平静を装う声音。だが声には覇気がない。
「さっき見かけて、具合が悪いのかと思って……」
「フフ、子猫ちゃんはずいぶん優しいんだネ」
人の真理を探るように笑う。呼ばれ慣れない彼からの独特な呼び名はあんずの心根に彼の存在感を植えつける。あらゆるものに違和感を感じながら、あんずは夏目のペースに飲み込まれないようにふだん同級生に感じない緊張を抱えながら言葉を選ぶ。無意識のうちに手に持っていたペットボトルに力がこもり、べこりとへこんだ。
「具合が悪いならちゃんと休んだほうが……」
「心配には及ばなイ。今だってこうやって君とまともに喋っているだろウ?」
おかしいところなんてなにもない。そう言いたげに夏目は両手を広けておどけてみせる。
どうしてそんな嘘をつくのだろう。見るからに体調が優れなさそうなのに。あんずはなつめの姿を上から下まで一瞥し、彼の言っていることは虚勢であるとすぐに見抜いた。頻繁に合わないクラスメイトのはずだが、彼は自分自身のこととなると存外態度に出やすいのかもしれない。
心配いらないと突き放されてもなんだか放っておけず、あんずは夏目の左手首をがしりと掴んだ。
「……子猫ちゃん?」
神妙な面持ちで呼ばれる。だがあんずはそれを無視して彼の体を引っ張っていく。この近くで涼しいところといえば日陰にあるコンクリート造りの体育準備室だ。保健室までは距離があるし、夏目は教師の世話になることを嫌がるかもしれない。それなら少しでも人目に触れない涼しい場所に彼を避難させなければ。
あんずがぐいぐい引っ張るのに夏目は黙ってついてきた。手を振り解くわけでも起こるわけでもなく。あんずがどんな行動を起こすか観察しているのだろうか。それとも抵抗できないほど具合が悪いのか。先導し、夏目の表情を見れないあんずには分からない。
体育準備室の扉を開けるとひんやりとした空気があんずたちを迎い入れた。
「ここなら誰にもバレずに休めるよ」
あんずが畳まれた体操マットの上に腰を下ろすと、夏目も同じように隣に座った。
あんずが手に持っていたミネラルウォーターを差し出すと、一度押し返すようなジェスチャーで拒まれたが、懲りずに押しつけると仕方なしと言わんばかりの表情でペットボトルを受け取った。未開封のキャップがぱきりと音を立てて開封される。飲み口に上唇をのせると、ミネラルウォーターはみるみるうちに彼の体へ飲み込まれていく。律動する喉を見ていると、あっという間に半分くらいになった。
それから無言で体操マット上に上半身だけ寝転ばせると、短いため息が聞こえた。苦しさを訴えるものなのか、うんざりしているのか、あんずは分からない。
動かず天井を見上げたまま黙っている夏目の隣でしばらくじっとしていると、腰の辺りを軽く呼びかけるように叩かれた。
「どうしたの?」
夏目の顔を見るように振り返ると、先ほどより柔らかい表情をしていた。なんだか同級生男子らしい幼さも残る刺々しさのない顔つき。少なくとも引き止めた時とは明らかに違って見えた。
「Trickstarたちとアイス食べるんじゃあないノ」
「なんでそんなこと知ってるの」
レッスンルームから出る前、確かにそんな話をしていた。だが夏目にその会話が聴こえているのは距離的に不可能だ。あんずは眉をしかめる。ふだん表情の変化に乏しいあんずの顔が変わったのを見て、夏目はにやりと悪びれずに笑う。
「どうしてだと思ウ?」
「……逆先くんって趣味が悪いね」
夏目がやるとしたら盗聴器の存在。クラスメイトにもあいつには気をつけろと言われたことがある。夏目自身はふだんどこでなにをしているのかさっぱり分からない割りに他人のことは案外知っていたりもする。それはきっとそういうことだ。
率直に感想を述べると、夏目は横になるような体勢に向きを変える。少しは元気そうになったみたいだが、首筋には汗が滲んでいる。頑なに脱ごうとしない白衣は見ているだけで暑そうだ。
「そんな趣味の悪い奴放っておいたほうがいいんじゃないノ」
「……そうかもね」
あんずはポケットから薄手のハンカチを取り出しながら夏目の言葉を受け流す。そして首筋の汗に這わせるようにハンカチを当てた。びくりと夏目の体は跳ねる。喉の辺りも撫でるように拭き取ると、その度に体が跳ねるような反応を見せた。
「でも、放っておけない気がしたの」
夏目の顔を見ると頬に血色が戻ったような顔色をしていた。けれども妙にバツの悪そうな顔で、目がばちりと合うとすぐに逸らされてしまった。太陽に暴かれた彼の知らぬ一面が垣間見えた気がした。
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