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 逆先夏目はある日夢を見た。夢に振り回されるような性格はしていないが、それでも気になる夢だった。やたらとリアリティがあった。周囲の人物も、夢の内容も現実として存在するもの。実現してもおかしくない仕事の夢。それはユニットメンバー全員で新作ゲームソフトのテレビコマーシャルに出演するという内容だった。実現したら面白いだろうな、なんてざっくりとした感想を抱きながら朝の準備をのんびり進める。
 あまり朝に強くない夏目は少なめの朝食を口に運び、制服に着替えて身だしなみを整えた。家を出るまで少し時間が余ったのでソファに体を預けて携帯端末でニュースを眺めていると、突然携帯端末が振動した。表示されたのはユニットのメディア活動をマネジメントする立場にある人間の名前だった。こんな朝っぱらに電話がかかってくることなんて今まであり得なかったので、首を傾げながら電話を取る。
 スピーカーからはさらに驚く言葉が飛び込んできた。冷静で通っている夏目もさすがに驚いた。電話の相手もはしゃいだ声で、浮足立っているのが分かる。だが夏目が驚愕の声を上げたのは嬉しい知らせだったからではない。――電話での話には、今朝に見た夢と一致するところがあるのだ。とあるゲームソフトの体験会に呼ばれた。さらにはゲーム雑誌でも何ヶ月かに渡って特集を組むという、願ってもない話だ。平静を装い、詳しくは放課後の打ち合わせで、と電話を切った。
 あまりにも出来すぎた話だ。正夢という現象を一切信じていないわけではないが、それらに明確な根拠があるわけではない。自分の身に起こるとは思っていなかった現実に夏目は嬉しくもありながらもやもやとした気持ちを抱えながら学校に向かう。電車に乗って揺られていると、何駅かすると見知った顔が乗ってきた。不思議な朝も彼女の顔を見れば晴れるというものだ。混み合う電車の中、夏目は彼女の方へと歩を進める。
「Good Morning、子猫ちゃん」
「あ、夏目くん。おはよう」
 朝から爽やかな笑顔を浮かべる彼女に夏目もつられて笑顔になる。夏目の唯一の異性のクラスメイトである彼女――あんずは夏目の恋人でもある。アイドルと高校生、プロデューサーと高校生、互いに二足のわらじを履きながらの恋。苦難や障害が多いことは容易に想像できたが、それでも好きなのだから仕方がないと夏目が口説き落とした。
 お互いに多忙なこともあり、こうした通学時間もふたりにとっては貴重だ。夏目とあんずはクラスメイトであるため、妙な疑惑を生むこともない。付き合ってまだ半年も経っていないが、アイドルとプロデューサーとしても、恋人としても良好な関係を築いている。
「そういえば今日の午後のレッスンだけど……」
「あ…ごめんネ。実は急な打ち合わせが入っちゃっテ、出れそうになイ」
「そっか……。新しい仕事?」
「ソウ。新しいゲームソフトの体験会と雑誌の特集なんだけド……」
 仕事の内容は声を潜めて喋る。ゲームタイトルを出した途端にあんずが凄いね、と目を輝かせて喜んだ。そこそこ有名なシリーズ物だったので、夏目ももちろん遊んだことがあるし、過去のシリーズはゲーム研究部の部室にもあるはずだ。
「じゃあ、しばらくは忙しくなるね」
「どうだろうネ」
 仕事が忙しくなるかどうかは自分たちの働き次第だ。アイドルとしてどうせ大成するならどんな仕事も手を抜くわけにはいかない。夢ノ咲はライブパフォーマンスを重視する傾向にあるがこういったメデイア仕事はやはり人気を獲得する上では欠かせない。彼女の嬉しそうな笑みと言葉にすっかり夢のことなんて忘れ、夏目もつられて喜んだ。

 ゲームの仕事はありのまま言えば当たり、であった。体験会もゲーム雑誌の特集も好評で、続けて仕事をお願いしたいとまで言われ、ついにはテレビコマーシャルの出演も決まった。
 忘れていた夢のことを思い出してしまった。正夢になったのは偶然だと思っていたのに。意識しすぎるとよくないと思い、夢のことは忘れるようにしたが、自分が何者かに操作されているかのような違和感は拭えなかった。
 仕事が忙しくなると学院でのレッスン時間やライブに出演する時間は減っていったが、夏目はしかたがないと割り切った。仕事のスケジュールは忙しさのあまり自身のユニットが空中分解しそうになったあの夏を鑑み、適切な管理をするようにはしているが周りは気心のしれた人間ばかりではない。不用意な振る舞いはできず、常に気を張っている状態だ。
 そんな夏目に不思議なことが続く。あれから立て続けにまた仕事の夢を見た。今度は個人に舞い込んだ占い絡みの仕事と夢ノ咲学院の二年生から何人か選抜されたメンバーとの雑誌グラビアとインタビュー。夢を見た数日後、どちらも夏目の元に仕事の依頼が舞い込んだ。ここにきて不思議は不気味に変わった。いくらなんでも、こんな的中するはずがない。たかが夢に自分の心身を乱されているような気がしてひたすらに不快だった。
 本来こんな気持ちを癒やしてくれる存在である彼女はさいきんは傍にいない。いてくれない。夏目の仕事が忙しいせいもあるのだが、あんずにもあんずの仕事がある。
 重々承知しているのだが、それでも一日五分でも、十分でもふたりの時間がほしい。夏目はそう思っていてもあんずはそうは思っていないかもしれない。独りよがりに振り回されて自滅するのも嫌だ。けれど寂しい。疲れている時こそ何もしなくていいから傍にいてほしい。
 彼女からの電話もメッセージも届いていない携帯端末を見つめながら、夏目はくたびれた体でベッドにダイブした。枕を顔まで引き寄せ、彼女と交わした最後のメッセージを見つめる。最後は夏目からの返答で終わっている。
 連絡するには中途半端な夜だ。もう彼女は寝ているかもしれないし、そうでなくともこれから寝るかもしれない。自分の眠気とも戦いながら夏目は悩む。明日は久しぶりに放課後に何も予定がないのだ。彼女の予定は把握していないが、空いているのなら一緒の時間を過ごしたい。できればふたりきりで。
「…………」
 寝ていたらごめん、そんな気持ちで文字を打った。できるだけ短く。明日の放課後、時間がほしいとお願いした。メッセージを送るのにすこし緊張している自分がいることに気がついて、夏目はひっそり恥ずかしくなって枕に顔を埋めた。付き合う前の、互いが互いを意識し始めた時みたいだ。
 しばらく待ってみたが、読まれてもいない。忙しいのだろうか、それとももう寝てしまっただろうか。夏目は明日も朝から昼まで仕事が入っている。健全な体調管理のために睡眠時間は確保しなければならない。部屋の照明を落として携帯端末を充電器に差し込んだ。いまは明日の朝を待つしかない。胸に微かな期待を宿らせながら夏目はまぶたを閉じた。

 また夢を見た。今度は仕事の夢ではなかったが、あんずが出てきた。恋人は現実と何ら変わりない姿をしているが、どこか様子がおかしい。自分に対して他人行儀というか、どこかよそよそしいというか。夏目は近づけば離れていく彼女に、夏目は焦って彼女を追いかけた。それでもあんずには追いつけず、心労に胸が締め付けられて目が覚めた。最悪な目覚めに、夏目は朝っぱらから苦虫を噛み潰した辛酸の表情を浮かべる。それから夢に慌てて携帯端末を見てみたが、朝になっても連絡は返ってきてはいなかった。
 夏目は傷心の気持ちで朝の身支度を整えて自宅を出た。恋人から連絡が来ないことはアイドルでいるうちは忘れてなければならない。携帯端末を気にする素振りを見せないまま昼まで仕事をこなし、学校に向かうため電車に乗った。さすがに朝の通勤通学ラッシュと違い、昼は座席に腰掛けられる。
 そこでやっと携帯端末を開いて彼女からのメッセージが来ていないか確認する。一通、あんずからのメッセージが届いていた。浮足立ったのもつかの間、一言目から夏目の望んでいた言葉は入っておらず、もうそれ以上読み進めたくない気持ちを抱えながら下へとスクロールさせる。……どうやら彼女は放課後もレッスンが入っていて休むわけには行かないようだ。
 恋人の用事よりもアイドルの用事を優先するあんずの姿勢はプロデューサーとしては素晴らしい。それに、付き合う時の優先事項は前もって決めたのだ。夏目も彼女の気持ちをのんだ。しかしそれでも歯がゆい。ここが自宅や自分の管理する秘密の部屋なら携帯端末を放り投げていたところだ。
 分かった、とだけ返信して、項垂れた。一気に学校へ行く気が削がれた。それでも電車は学校に向かっている。どうせ学校に行くならせめて一緒に帰るぐらいはしたいと夏目ははっと顔を上げて再びメッセージを打つ。たぶん今なら授業間の休み時間でメッセージを見れるはずだ。
 一、二分してメッセージを知らせる短いアラームが鳴った。携帯端末の画面を点灯させてメッセージを読むが、無慈悲な一言が連ねられている。……今日は完全下校時刻まで残るので先に帰っていいよ、とのことだった。なんだか邪険にされているような気がして、夏目は再び携帯端末を放り投げたい気持ちに駆られた。もうそれ以上は返信できなかった。

 夏目が合流できたのは最後の授業だけだった。同じ席の並びにいるあんずを見つめてみたが、向こうからのコンタクトは無し。いつもだったら少しくらい目があったりするはずなのに。意図的に避けられている気がしてならず、夏目は自身の子どもっぽい疑心暗鬼にため息をついた。
 授業が終わり、帰りのホームルームが終わってすぐに夏目は席を立ち、あんずの元へと向かった。教科書とノートを片付けているあんずの横に立ち、にこりと笑いかける。
「やぁ、子猫ちゃん」
「夏目くん」
「今日の放課後のことなんだけド……」
 話し始めた途端、邪魔するかのように携帯端末から着信音が鳴る。取り出すと間違いなく仕事の用件だと分かる相手からの電話だ。取らないわけにもいかず、夏目は電話に応答した。教室はガヤガヤと人の声で騒がしい。困惑したようなあんずを尻目に、夏目は仕方なく教室を出た。
 電話が終わって教室に戻ると、あんずの姿は見当たらなかった。他のクラスメイトに聞いたところ、もうレッスンの準備があるからと足早に出ていってしまったらしい。
 夢のように、手を伸ばせば遠ざかっていく。こればっかりは正夢になってほしくない。彼女の邪魔はしたくないが、傍にいてほしい。ジレンマを抱えながら夏目は教室を出た。やはり、諦めきれない。

「それでは、お疲れさまでした」
 レッスンが終わって、あんずはダンスルームを後にする。自分の荷物を肩にかけ、丁寧に扉を閉めて教室に向かおうかと踵を返した。
「子猫ちゃん」
「わっ! な、夏目くん」
「そんなに驚かないでヨ。ひどいナ」
 夏目はあんずの行方を塞ぐように彼女の正面に立ちはだかった。レッスン場所を知らされてなくても、彼女の主要なプロデュース先のレッスン場所を調べればあんずの居場所は絞られる。
「この後はもうレッスンないよネ?」
「で、でもわたし居残って仕事しなくちゃ……」
「それは分かっていル。だからほら、行くヨ」
 逃さないようにあんずの手首を掴み、夏目は足早にダンスルームの前から立ち去った。地下にある秘密の部屋へとまるで連れ去るかのようにあんずを引っ張っていった。
 がちゃりと丁寧に鍵までかけた。まるで閉じ込めるかのようだが、そこまでの意図はない。ただここが最も誰にも見られず、落ち着いて彼女とふたりでいられる場所だからだ。
 手首を離して、夏目はもたれこむようにあんずの体を抱きしめる。手を背中に回し、かんたんに解けないように、遠く離れていかないようにした。最初は戸惑っていたあんずの両手も控えめに夏目の背中に回され、まるで慰めるかのように背中をさする。
「あの……どうしたの、夏目くん」
「……子猫ちゃんに会いたかっタ」
「わたしと会うの疲れない? 大丈夫?」
「は……」
 胸に顔が埋まっているせいでくぐもった声。予想だにしなかったあんずの疑念に、夏目は首をかしげた。自分はこんなにも彼女に会いたかったのに、当の本人はどうやらとても見当違いな思い込みを抱えているようだ。いったん体を剥がし、彼女の表情を伺う。心底そう思っているような顔に、夏目は眉頭をしかめた。
「……どうしてそう思ったノ?」
「だって、わたしとこうして会ってたら夏目くんの休む時間がなくなっちゃうと思って……」
 彼女らしい、いたって真剣な勘違い。夏目はあんずの両頬を自分の手でむにっと優しくつまむ。それでもまだ分かっていなさそうな鈍感ぶりにやや心配になりながらも、夏目はあんずの目をしっかり見つめて言う。
「そんなわけないでショ。ボクは子猫ちゃんに会いたくて仕方がなかったって言うの二……まだまだボクの愛情が足りないのかナ」
 ずい、と夏目が顔を近づけると、キスでもされると思ったのか、あんずは慌てて距離を取ろうとする。一瞬で真っ赤に染まったあんずの小さな頬がかわいらしく、夏目はからかうようにつまんでいた頬を離して笑った。

「夏目くんも夢に振り回されたりするんだね」
 あんずが居残ってやりたかった仕事は衣装の裁縫だった。夏目は邪魔をしないように、かといってふたりの時間を有意義に使いたいということであんずの膝に寝転ぶことにした。
それからはここ最近あったこと、主に夏目の夢の話をした。あんずはのん気な声音で夏目の夢の話を聞きながらちくちく針仕事を進めて終わりのところで糸を切る。
「まァ、あまりにもおかしな話だったからネ……」
 仕事の正夢はともかく、今日に見たあんずが出てきた夢は話せなかった。あの夢は彼女に依存しているような気がしてしまって、恥ずかしい。まだ付き合って半年も経っていない。最初のうちくらいは男の矜持を守っておきたい。
「だから疲れた顔してたの? 寝てもいいよ。仕事が終わったら起こすから」
 あんずと話していたい気持ちと膝枕の心地よさの間で夏目の気持ちが揺れてる最中、頭を撫でられ、すっかり眠る方向に誘導される。あんずはソファの端に置いてあったタオルケット広げ、夏目の体にふわりと掛ける。
 優しい暖かさに思わず目が微睡む。いまは、いまだけは夢のことなんて忘れて眠れそうだ、言わずともそう思いながら安心して夏目はまぶたを伏せた。

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