「それでね、この時……」
少年は少女が楽しそうに話すのを時折頷いたり相槌を打ちながら口を挟むことなく聞いている。少女の手には現像された写真がいくつかあるが、少女が写っているものはちらほら散見されるが、少年が写っているものはひとつもない。写真には有名な観光名所や色づいた紅葉などが背景によく写っている。
「へぇ、それは楽しかっただろうネ」
「やっぱり……夏目くんも修学旅行、行きたかったよね」
夏目の言葉に少女の口調がぎこちないものに変わる。写真はいずれも修学旅行の写真。少女が話していたのは修学旅行であった出来事。夏目も高校二年生だから、本来であれば修学旅行に行くはずだった。しかし夏目はただの学生ではないし、この学院もただの普通科の学院ではない。ここは芸能を生業としている学生たちのための学院。夏目も例に漏れず、その中でもアイドル科に属している。修学旅行に行けなかったのは、そのアイドル活動が理由だ。
修学旅行というものに特別な思いを抱いてはいない夏目は、気落ちするクラスメイトの少女に相反してにやりと笑いかける。
「そうだネ……修学旅行自体に未練はないけド、子猫ちゃんと旅行できなかったのは後悔が残るかナ」
冗談めかした口調で言ってみせるが、半分くらいは本気だ。件のアイドル活動……ライブが終わってから目の前の少女とテレビ電話で言葉を交わしたが、旅先で楽しそうにはにかむ少女の笑顔を隣で見たかったとは思ってしまった。だがライブも大事なのだ。それも自分が世話になっている先輩から声をかけてもらったもので、断る気はさらさらなかった。
夏目はアイドルとしての自分と学生としての自分を天秤にかけるまでもなくアイドルとしての自分を選んだ。将来の自分がどう思うかは分からないが、少なくとも今の夏目はアイドルであることを優先したかった。
目の前の少女は自分たちアイドルをプロデュースする立場にあるプロデューサーとして修学旅行と重なったライブも衣装や練習を手伝ってくれた。彼女は修学旅行に行くことを既に決めていたので当日は来られなかったが、非常に責任感の強い性格のため、むしろ修学旅行をキャンセルなどしたらどうしようと夏目の方が心配していたくらいである。
そんな責任感の強い彼女に、修学旅行のおみやげ話をするように頼んだのは夏目である。ぐうぜん修学旅行の写真を教室で眺めていた彼女を見つけて、夕日に照らされた教室でお喋りと洒落込んでいる。夏目としては、彼女と話せるなら別に話題などなんでもよかったのだ。たまたま彼女が手にしていたのが修学旅行の写真であったから、その話を振っただけで。
だから修学旅行自体には未練はあまりない。ライブも大盛況であったし、自分たちの名前も売れた。かわいい後輩が張り切って準備してくれたおかげで、とてもいいものになった。
ただ、彼女の思い描く青春の中にいられなかったことに対するなんともわずらわしい感情には、すこし未練がある。すこしとは言い聞かせているが、その時しか見られなかっただろう彼女の一面や表情を他の男が見ていると、隣にいたと思うとあまり面白くない。だからつい、彼女の前では未練がましくしてしまった。
そんな夏目の言葉を聞いて、少女は写真を手にする夏目の左手首を突然がっちりと握りしめる。突然込められた力に驚いて少女の顔を見ると、きらきらと輝く眼と目が合った。
「じゃあ、行こう。旅行」
「エ……?」
半分くらい冗談のつもりが本気にとられてしまった。あるいは夏目の半分くらいの本気が彼女に伝わってしまったのか。
一緒に旅行に行けるのならそれはそれでいい。夏目の些細な欲は満たされる。だが事としては些細なものではない。ふたりはまだ未成年で、男と女で、軽々しく旅行に行きたいから行こう、と言える間柄でもない。いや、行けるものなら夏目としては大歓迎なのだが。性格的にも性質的にも少女の真面目さを正面から受け取って旅行に行く度胸は、すくなくとも今の夏目にはない。今だって子猫のたった一言で心臓がどきりと跳ねたというのに。
「まだ京都で行きたかったところがたくさんあるの。だから夏目くんと一緒に行けたら嬉しいなって……だめ?」
少女はじっと夏目を見る。疑うことを知らない純真な眼に悪い気がして、夏目は目を逸らした。自分はもうひとつの……アイドルと両立してやっている占い師の仕事柄、相手をまじまじと見ることは多いが、どうにもプライベートで見つめられるのは得手ではないらしい。いや、彼女に限ってのことだろうか。
「や、ダメじゃ、ないけド……。そんな風に言ったら本気にしちゃうヨ?」
おそらく本気な彼女へのくどい確認。夏目の知る限りでは、彼女は思わせぶりな態度なんてとらない。小悪魔的なかわいさは持ち合わせていないのだ。そんな素朴さが彼女のいいところだが。
「本気にしていいよ」
彼女は簡単にそう言ってのけて、笑う。
ああ違った。無自覚に小悪魔だと夏目は自分の中の彼女に対する判断をそっと覆した。夏目は自分の考えていることが顔に出ないように精一杯口をきつく結び、変に咽そうになるのを耐えた。なにかこの目の前の彼女の穢れないかわいさというか残酷な無邪気さに、夏目は振り回されている。本気にされて困るのは君の方だと脳内で責任転嫁するくらいには当惑していた。
「きっとアドニスくんや晃牙くんも修学旅行行きたかったと思うんだよね! 他に行きたい人募集したら……スバルくんとか北斗くんも来てくれると思うし……」
「……ああ、そういウ……」
夏目は自分の思考と彼女の思惑にずれがあることを認識した。思わずがっかりして、すこし安堵もした。夏目はふたりでの旅行を想像していたのだが、彼女の脳内にはみんながいたらしい。なるほど彼女の前向きな姿勢に合点がいった。
楽しげに話す彼女を前にため息をつくこともできず、夏目は短く息をついて彼女と会話を続ける。張り切って無垢に話を続ける彼女の顔を見ていると、まあそれも悪くないなんて気になってきて、旅行の話を膨らませていくのだった。
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