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「わたし、宗三に好きとか言われたことない」
 ふたりでくつろいでいる時にかぎって、審神者は突拍子もないことを言い出す。読んでいた途中の雑誌を閉じ、ちらりと宗三左文字の様子をうかがう眼差しが、期待に満ちている。
 ふたりは恋仲であるから好いた惚れたの言葉を囁き合うのはなんらおかしなことではない。しかし審神者は宗三からそのような言葉をもらったことがないと主張する。それもふと思いついたかのように。
 審神者が読んでいた雑誌の表紙には「恋愛にまつわるトラブルベスト5」なんて言葉が謳われている。どうせ人の不安を煽るようなしょうもない話でも読んだのだろう。
 刀の付喪神である宗三左文字に人間の常識など通じないのにそんな雑誌を鵜呑みにするなんてばかばかしい。宗三は呆れた様子で雑誌を取り上げ、いらだちを表情に出さぬようなんでもないふうを装って呟く。
「…………言ってますよ」
 そう言えば審神者は訝しげに目を細めて宗三を凝視する。まるで嘘をつくな、と言わんばかりのその顔が宗三はたいそう気に入らなかったが、ここで言った言わないの押し問答をしても自分が負けることはわかっている。女はいつの時代も口が強いのだ。宗三も自信がないわけではないが、彼女を言い負かせたところで彼女がいじけるだけだ。
「聞いたことないんだけど。たまにはさあ、言ってくれてもいいのに」
「あまり口にすることではないですよ、そういうことは」
 ばかのひとつ覚えのように何度も口にしては言葉の意味も薄れるというものだ。むやみやたらに言うものではないと宗三は考えるが、どうも審神者との間には考えに大きな差があるらしい。
 価値観の違いというのは人間の男女の交際において別れる一番の原因であるとは宗三も見聞きしたことがあるが、そんなことは至極どうでもいい。審神者が宗三のことを嫌いだのなんだのと言おうとも手放す気は毛頭ない。
 元々惚れたのは宗三の方からだ。だから審神者を愛する気持ちには自信がある。言葉でいちいち愛を伝えねば分からない関係など、安っぽいと思う。だから言葉を要求されるのは面白くなかった。
「そう言うけどさ、それだけで嬉しくなれる安い女なんだよ、わたしって」
「…………」
「ね、一言でいいから!」
 自ら安っぽいと言ってのける審神者に形容しがたいもどかしさをを感じながらも言葉を噛み殺して下唇を噛む。宗三がふつふつと怒りの熱を宿していることも知らずに、審神者は宗三の太ももを枕にして寝そべり、両手を合わせて拝むように懇願する。だが嫌なものは嫌なのだ。宗三は柔軟な性格ではないし、その場しのぎの言葉を囁いてやれるような器用さもない。一分たりとも彼女に嘯くことは耐えられない。
「…………ばかなこと言ってないで寝ますよ。僕は明日も朝から出陣なんですから」
 きらきらとした瞳で訴えかける審神者の額を軽く叩き、太ももから彼女の頭を退かして立ち上がる。夜はもう更け、そろそろ日付を跨ぐという頃だ。
 宗三のぶっきらぼうな口調に審神者も流石に観念したのか、少しだけ寂しそうに笑う。
「……はーい、つれないなあ。そんなところも好きだけど」
 眉を下げてなんでもないように審神者はそう言ってのける。好きと言われるのに悪い気はしない。だが、その言葉は審神者が考えているよりも拘束力がある。好きという言葉は宗三の胸を締めつけて離さない。
 審神者は先に布団に入っていると言うと、共用の寝室へと先に入っていってしまった。ひとり取り残された宗三は物憂いげに俯いて呟く。
「……言葉なんてなくたって、いいじゃないですか……。僕はすべてを貴女に捧げているのに」
 宗三の体も心もすべて彼女のもの。それさえあれば言葉なんてものはいらないはず。そう考えるのは元は人間と口利きできぬ刀であったからなのかもしれない。言葉がなくとも繋がっているというのが宗三にとっては愛の象徴なのかもしれない。
 宗三が少し遅れて布団に潜り込むと、審神者は背を向けて黙っている。審神者は寝つきが悪いのでたかが数分で寝るというのはありえない。いつもは宗三と話しているうちに眠りに落ちるというのが恒例で、宗三も彼女が寝たのを確認してからいつも寝ている。
 寝息も聞こえないので、審神者はどうやら拗ねてそっぽを向いてしまったようだ。布団に入る前のあれはどうやら精一杯の強がりだったらしい。
 子どものようだと呆れるのが半分、愛らしいと思う気持ちが半分。謝るのもなんだか釈然としないので、審神者の耳にそっと口づけ眠りについた。

 ――その夜を境に審神者は時折宗三の口から好きだとか愛しているだとか、そういった言葉を引き出そうと仕向けるようになった。性懲りもなくと呆れもしたが、それだけ躍起になって言わせようとしてくる審神者が愛おしくて、気がつけば宗三は素っ気なく突っぱねられて少しだけ寂しそうにする審神者の顔を見るのが楽しみになっていた。
 悄気る審神者の顔を見ていると、自分のことで頭がいっぱいなのだろうと考えて興奮が冷めやまない。それがひどいことだとは決して思わなかった。なぜなら宗三は審神者を心から愛している。愛しているからこそ安い言葉の応酬は不要で、審神者にもそれがいずれ分かるだろうと悠長に思っていた。
 だから今夜だって、いつも通りに物事が運ぶと思い込んでいた。しかし女心というのは宗三の考えている以上に繊細らしい。宗三が求めると審神者は無言で頷き受け入れたが、終始浮かない顔をしている。
 審神者が感じている振りをしているのが嫌になるくらいに分かる。渇ききった嬌声、黒く荒んだ瞳、枯れた果実のような体……審神者のなにもかもが宗三を拒んでいるように思えた。
「嫌なら拒めばいいでしょう」
「別に……宗三の好きにすれば」
「気持ちのこもってない貴女とこんなことをしたって気持ちよくもなんともない」
「…………」
 宗三から目を背け、審神者は震える声で苦しそうに言葉を洩らす。
「気持ちがないのは、そっちの方でしょ……」
「は」
「わたしのこと好きじゃないから、好きって、言えないんでしょ」
 我慢していた涙が、瞳から溢れる。浴衣の袖で拭っても拭いきれぬほどとめどなく溢れてくる涙に嗚咽が引き出され、審神者は声を上げて泣き始めてしまった。
 宗三も審神者も言葉を大事にしている。しかしその大事にする方向性が違ったことで審神者に勘違いをさせてしまったことに宗三はやっと気がついた。審神者は宗三があえて言わないのでなく、気持ちが薄れているから言えないのだと捉えた。
 感情を爆発させて涙を流す審神者を今まで見たことがなかった宗三はどうすればよいか分からずぼろぼろと零れ落ちる審神者の涙をひたすら拭う。
「ああもう、どうしたらそんな勘違いをするんですか! 言ったじゃないですか、あまり口にするものではないと……」
 宗三は確かにそう言って断った。あまり愛しているにとってだのと口にするべきではないと。だが受け取り方によっては薄れた気持ちを隠すための常套句にも聞こえる。
「じゃあ、いつなら言ってくれるの…? もう待つのは嫌だよ……」
 宗三は愛を伝える瞬間を己の中で決めていた。それは彼女に初めて気持ちを伝えた時と彼女と永遠ともにあり続けると決めた時、そして彼女の命が燃え尽きる時、この三回だけと決めている。だが宗三には十分すぎる三回。
 しかしこうも愚図られてしまうとそんなことは言っていられない。男女がともにあり続けるにはお互い様々な部分で妥協をしていかなくてはいけない。
 宗三は覆い被さるよう審神者に抱きつき、密かに深く息を吸ってから彼女の耳元に顔を埋め、宥めるような甘い声で伝える。
「愛してます。貴女のことが誰よりも愛しくて、可愛くて、少し意地悪してしまっただけなんです。だから僕が悪かったですから、泣き止んでください」
「……ちゃんとこっち見て、言ってよ」
 鼻をぐずぐずさせながら審神者は宗三の胸板を押しやって密着する体を退かせる。それから宗三の左目にかかった髪の毛をかき上げ、翡翠と紺碧の瞳を己に向けさせる。
「…………」
 まじまじと見つめられ、宗三は思わず押し黙ってしまう。愛していると彼女の目を見てきちんと伝えなければ彼女はまた涙をこぼすだろう。そんなことはあってはならないが、宗三でも言い慣れていない、いわば口説き文句のようなことを再び口にするのは恥ずかしい。
「…………貴女のことを愛しています。だから、僕のすべてを愛してください」
「……ふふっ、宗三真っ赤だよ」
「う、うるさいですよ! ああもう、返事は、返事はどうなんですか! 貴女がちゃんと言わないとここから退けませんからね!」
 宗三が顔を赤らめれば赤らめるほど審神者は面白そうに笑う。滅多に顔色を変えない宗三の薄紅に染まる顔をしげしげと眺めながら返事を渋る素振りを見せて宗三を焦らす。
「わたしも宗三が大好きだから、宗三のすべてがほしい。だから、ね、退けるなんて言わないで」
 審神者は身をよじらせ、頬から首筋を伝い、細くともしっかりした宗三の体躯をゆっくりとなぞる。まるで誘惑でもしているかのような手つきに、宗三の体は素直に反応してしまう。たまには彼女の思い通りになるのもいいかもしれない。こんな日があるのも悪くはない。そう思いながら愛しい彼女の肢体に己の体を沈ませた――。

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