出陣も内番も何もない。暇を持て余している宗三左文字は夕餉の下準備を手伝っていた。雪に反射した太陽光が眩しい縁側で、その暖かな光に癒やされながらゆっくりと手を動かす。生憎なことに時間は有り余っている。早く終わらせたところで再び手持ち無沙汰になるのが関の山だ。
今日は雪もとけてしまいそうなほど暖かい。何もしないでいるとうっかり寝こけてしまいそうなほど。何もない日を寝て過ごすだけのは勿体無い。自分の中に沸いたごく自然な人間のような感情を宗三は自嘲しながら手を動かす。
しかしそんな宗三の平穏な日常はけたたましい足音によって壊された。どたどたと廊下を走る音、重い音からしておそらく成人男性ほどの体を持った刀剣だろう。
子どもの姿をした刀剣や女主人である審神者のものではない。それに、審神者の足音なら宗三はすぐに分かるし、幼年の姿をした刀剣たちはよっぽどのことがない限り廊下を走るなんてことはしない。
足音が近づいてきたところで、人物におおよその目星がついた。見なくても分かる。ここでの暮らしはもう二年ほどが経つのだから。
「おお、宗三。こんなところで暇そうに、何をしているんだ」
「……暇そうなのは貴方も同じではないですか。夕餉の下ごしらえですよ」
足音の正体は雪のように髪もまつ毛も装いも何もかもが白い、鶴丸国永だ。大方、何かを咄嗟に思いついてせかせかと走っていたのだろう。自分よりも生き永らえているのに、なんとも落ち着きのない刀だと、いつも通りの日常でありながら宗三は呆れてため息をついた。
鶴丸は宗三の隣に腰を下ろすと、下準備している野菜たちを見ながら夕餉の献立を予測し始める。
この刀がよく喋るのを宗三は知っている。いちいち言葉を返すのは面倒くさいので、隣に鶴丸などいないものとして下準備を進める。
「そういえば明後日はバレンタインなわけだが、君は主に何か用意しているのか?」
さすがに問いかけを無視するほど宗三も冷たい男ではない。鶴丸の言葉に含まれていた聞き馴染みのない外来語を繰り返そうとしたがいまいち思い出せず、脳内に疑問符が浮かぶ。
「ばれん……なんですか、それは」
問いかけを問いかけ返されて、鶴丸のちょっとしたいたずら心が騒いだ。
バレンタインは二月十四日に恋しい人に告白をする日だ。昔は女性から男性へチョコレートを贈るのが主流だったらしいが、今では性別関係なく本命だの義理だのなんだのと誰彼構わず菓子を贈る日に成り果てている。
しかし恋しい人に告白をする日だということは変わりないらしい。最近では男性から女性に花束をプレゼントすることもあるらしい。日本のバレンタインは従来外国で行われていたものからかなり独自の変化を遂げているのもまた面白いと鶴丸は思う。
この本丸はそれほど外来行事が盛んではないが、聞けばそういうものがあるのだと審神者は教えてくれる。どうして積極的に取り組まないのかと鶴丸は審神者に聞いたことがあったが、その返答はなんともシンプルなもので、行事ごとは日本のものだけで十分お腹いっぱい、とのことだった。
なのでバレンタインのような横文字行事を刀剣たちが知らなくてもおかしくはない。それをチャンスだと、鶴丸国永は内心にたりと笑む。
本人は鶴丸にはバレていないと思っているかもしれないが、宗三は審神者に対して恋心を抱いている。それは密かすぎて一部の内心を読み解くことに長けた男士と兄弟刀ぐらいしか知らないが、見る者が見ればなんとも分かりやすい。
宗三は審神者の機微に敏感で、時折毒を混ぜながらも彼女に絡んでいく。気がつけばかの魔王のことは口にすることが減ったぐらいだ。この本丸に来たばかりの宗三と今の宗三ではまるで違う。角が丸くなって、温和になった。
それは審神者が献身的でありながらもほどよい距離感を保った結果だろう。……今となってはその距離感が外野から見ていてもまたひどくもどかしいものなのだが。
そんな焦れったいふたりをどうにかして恋仲にしてしまいたい。ならばこのバレンタインがぴったりではないか。鶴丸は胸のうちの企みを潜めながら、博識ぶって宗三にバレンタインを説明する。
「あー、バレンタインというのはだな。……感謝している相手に花を贈る日なんだぜ」
「はあ……それとあの人に何の関係が……」
感謝ならいつもしているし、日本の行事にも感謝をする日はいくらだってある。宗三はしかめ顔で鶴丸を訝しげに見る。細い碧玉翠玉にたじろぐことなく、鶴丸は宗三の内心に突っ込んで話を続ける。
「……分かっちゃないなあ。お前、主のことを恋い慕っているんだろう?」
「ばっ…ばか言わないでください! 誰が、あの人のことを……」
宗三が本心を隠す時は目を逸らして口元を隠す素振りをする。その癖を見抜いていた鶴丸は図星なのだとより確信し、平静を装ったままで目を細めて更に宗三をその気にさせるように仕向ける。
「好きだとは伝えられなくても、贈り物をするには良い口実だと思わないか? 実行するかどうかはお前次第だけどな」
「……知りません。僕は、ばれんたいんなんて知りません……」
審神者は高価なものにこれといって興味がなく、刀剣たちの崇高な趣味で見繕ったものはどちらかといえば敬遠してしまうだろう。
だからこそバレンタインにかこつけて花束を持っていったほうが喜ぶに違いない。洋風の行事ごとは取り入れない本丸だが、誰もやるなとは言っていない。
鶴丸の言に心が揺さぶられているのか、宗三は頬を膨らませ、目を伏せてしまう。もう鶴丸は聞きたくないらしい。
「主も普段ぶっきらぼうなお前から贈られたら喜ぶと思うけどな。まっ、やるもやらんも好きにしてくれ」
宗三は審神者のことを好いているからこそついつっけんどんな態度をとってしまう、あまのじゃくな性格だ。恋には存外奥手らしく、だからと言って他人に後押しされて火がつくタイプでもない。
鶴丸は最後は突き放すような言葉を残して縁側から立ち去っていく。やるもやらないもすべて宗三の自由。あとは当日になって彼がどんな行動を起こすか楽しむしかない。
「…………ばれん、たいん、ですか……」
ようやっとひとりになった縁側で宗三はぽつりと呟く。馴染みのない風習に悶々としながら、宗三はせかせかと夕餉の下準備を進めるのだった。
二月十四日、とびきり冷え込む本丸に花の香りが舞った。鶴丸の言う通りにするのはしゃくだったが、宗三は桃色の花が主になった花束を審神者の目の前に差し出した。
他意はない。感謝をしているから審神者に花束を渡すのである。深い意味はないのだと自分に言い聞かせながら、宗三は口を開いた。
「差し上げます」
「わっ、……あ、えっ、嘘……そう、ざ…?」
案外重たい花束を渡された審神者は目を白黒させながら宗三を見上げる。今何が起きているのかまったく理解ができない、そして驚きを隠せないような表情だ。
照れ隠しでぶっきらぼうな物言いになってしまう己を悔いながらも宗三は冷静を装う。
花束越しに見える審神者の顔は赤らんでいて、少し縮こまっている。なぜそうも恥ずかしそうにするのか宗三には分からなかった。宗三には日本のバレンタインの本当に意味が分からない。
審神者の赤く染まった容貌を見ているとこちらまで照れを隠せなくなってしまいそうだ。
「はい、なんでしょうか」
「今日……どういう日か分かっ、て……」
「……ええ、存じていますよ」
感謝の意だけなのだから、別に変な意味で花を贈るわけではない。そう自分に言い聞かせせながら、審神者のぎこちない問いに答える。
耳まで赤くなった審神者は目を泳がせて、それから頬を緩ませたまま礼を伝えた。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「…………っ、ありがとう……嬉しい……」
突然こんなことをしたからといって、何もなくことはないではないか。こんなにも喜ぶとは思わなかった。審神者も女性にしては比較的あっさりとした性格なものだから、花束を渡してもありがとうの一言と爽やかな笑顔で終わるかと思っていたのに。予想外の喜びようで宗三も動揺が隠せない。
こういう自分の想像していたものとは異なるリアクションが返ってくると、どうしても機転が利かなくなる。着物の裾で赤くなってしまいそうな顔を隠しながら、宗三は審神者の部屋を後にしようとする。審神者の部屋に居てはなんだか自分が落ち着かない。
「じゃ、じゃあ僕はもう行きますから……!」
「えっ、あ、待っ…………行っちゃった……」
逃げ帰るように審神者の部屋を出て、そわそわしながらも宗三は好感を得たと確信していた。審神者が泣いてしまいそうになるほど喜んでいたのがいささか引っかかるが、自身の晴れ晴れとした気持ちに宗三は上機嫌だ。
誰ともすれ違わぬまま自室に戻ると、珍しく口角を上げてほほ笑んでいる宗三を見て、本を読んでいた兄の江雪左文字がまず口を開いた。
「おや……その様子だと……求縁は、うまくいったようですね」
「…………はい?」
花束のことは自室に置いていたので、もちろん兄弟たちは知っている。彼らには何を隠しても見透かされてしまうものだから、宗三も隠匿するようなことはしない。おかげで自室には先ほどの花束の香りが残っている。
求縁という今日の宗三とは縁もない言葉が会話に出てきて、宗三は素っ頓狂な声をあげて不可解そうに眉間にしわを寄せた。
「……僕も、嬉しいよ。宗三にいさまと主が、幸せなら」
末弟の小夜左文字はすこし照れくさそうに兄の幸せを祝福し、ふいっと逸らしてしまう。
兄弟たちがなにか物凄い誤解をしているような気がして、宗三は慌てて弁解する。
「ちょ、ちょっと待ってください! 兄上も、お小夜も…………僕は花を渡しただけですよ!?」
「…………」
宗三の弁に、無表情な江雪と小夜が顔を見合わせて、それからどうしたものかと言わんばかりの憐れむような眼差しを向ける。
まず諭すように口を開いたのは小夜だった。
「……にいさま、今日がどういう日か、知っているんだよね……?」
「え、ええ……」
「今日は……意中の相手に告白をする日、ですよ」
「それは知っ…………は? えっ、ちょ、ちょっと待ってください! 僕は、感謝している人に花を渡す日だと……」
兄から発せられた衝撃の事実に、宗三は思わず取り乱す。意中の相手に告白をする日など、そんなことは知らない。
何かの間違いではないか。兄弟たちが自分をからかっているのではないか。だが彼らは冗談を言う性格ではないことを宗三は知っている。
ならば嘘をついたのはあの鶴丸国永か。その方が合点がいく。あの刀、よくも騙してくれたものだと怒りが沸く。だがこの際それはどうでもいい。
「……違いはそうないでしょうが……あなたのそれは告白と受け取られてもおかしくはないですよ……」
兄の言葉に、自分のしでかしたことを自覚してさあっと血の気が引く。
確かに審神者のことを好いている。だが彼女にそれを打ち明けてはいない。それなのに突然花束を渡して、それも今日の意味を知っているとまで言ってしまった。
好意を持っているのは事実だが、告白をしたつもりはない。花束を渡した時の、嬉しそうに顔を赤らめた審神者の顔を思い出す。あれは、そういうことだったのか。
自分のしでかしたことの重大さに気づいた宗三は部屋に入ったばかりなのにすぐさま出ていこうとする。何を言えばいいか分からない、分からないがとにかく審神者の元へ行かなければならない気がした。
「……っ! ぼ、僕もう一度主のところへ行ってきます…!」
静けさを取り戻した部屋でまた長兄と末弟が顔を見合わせて、事の顛末を憂う。
「…………宗三にいさま、報われるといいのだけれど」
「……大丈夫でしょう……帰りを待ちましょう」
どくどくとうるさい心臓の音が頭に響く。静まれと念じても、それは審神者の部屋に近づくにつれて余計に騒がしくなる。
こんなことを思うのは今更だが、刀の自分が人間のように恋に落ちるなんて、なんと笑える話なのだろうか。自己を否定しながら、それでも愛しい主人の元へと駆けていく。
織田信長の刀であったこと、それだけが人間にとっての己の存在価値だと宗三は思っていた。そうでなければ自分など人間の記憶の片隅にも残らない一振りの刀。
自分を所持していれば天下人になれるだなんて身勝手な己の伝承が嫌いだった。だから嫌味のように今世の主にだって天下が欲しいのかと吐き捨てたこともある。
しかし審神者は目を丸く見開いて、それからくすくすと笑った。……天下とはもはや誰のものでもないと。だから、逸話に縛られずとももっと気楽に人の器を楽しんでほしいと。
そんなことを言う人間に、宗三は初めて出会った。いつだって天下人の刀としての自分しかいなかった。審神者の、おそらく深くも考えていない一言によって、宗三の呪縛は徐々に息を潜めていった。
呪縛が消えれば消えるほど、審神者に入れ込んでいった。彼女なくして今の自分はない。
言いたいことの整理が追いつかぬうちに審神者の部屋前へとたどり着き、息を整えて襖を開けた。
「主……!」
「わっ、そ、宗三?!」
美しいものを慈しむような瞳で花束を眺めていた審神者は、荒んだ声に驚いて体をびくりと震わす。
自分があげた花束なのに、その花に向けられる視線すら羨ましく感じる。本当に恋に落ちているのだと、宗三は確信しながら審神者へと近づき、その場に座り込む。
それにしたって自分の物知らずさがあまりにも恥ずかしく、顔をあげて話ができない。本当ならば目を見て話したほうがいいのは分かっているが、いかんせん顔をまじまじと見るのも、見つめられるのも宗三は苦手だった。
「あっ、あの、僕、今日という日の意味をその、……勘違いしていまして……」
「…………あ、そう。そう、だったんだ……」
先ほどの、少々気分の高潮しているような声色から一変して、審神者の声に陰りがみえた。
「あはは、恥ずかしい。勘違いしちゃった。……宗三が、神様がわたしのこと好きなはずない、よね」
「っ、ちがっ…………」
「ごめん、これは返すよ」
審神者は空元気な笑いをこぼしながら、花束が宗三のほうに差し出し、半ば無理やりに宗三へと手渡す。先ほどまで華やかに見えた花束が、急に元気を失ったようにも思えた。
この感情は勘違いなどではない。はやく正さねばと宗三は焦って、声を荒らげる。
「まっ……待ってください! やり直しです! さっきの、やり直しますから…!」
「何言って……。そんなの、わたしが惨めになるだけ……」
堪えていたのか、審神者の目からぽたりと涙の粒が次々溢れてくる。
泣かせるつもりなどなかった。こんな弱々しい彼女を見るのは初めてで、宗三はどうしたらいいか分からずに花束を持ったまま審神者を抱きしめた。
花束の芳香が胸いっぱいに広がる。品性のある香りを吸い込んでから一呼吸おいて、己の心を整える。
「――貴女のことが好きです。本当に、本当ですよ。貴女の色に染められてもいい。そう思えるほどに、貴女が好きなんです」
距離感が分からずに額同士がぶつかる。至近距離で審神者の顔を見つめるのは初めてのことで、照れくさいながらも無我夢中で宗三はただひたすらに伝えた。
「う、うそ……」
「うそとは失礼ですね。僕は、本当に貴女をお慕いしているんですよ」
宗三が少々拗ねたように口を尖らせると、審神者は目尻を下げてほほ笑む。涙が止む気配は一向にないが、これは勘違いしてもいいのだろうかと宗三は自分の胸にすっぽりと収まっている審神者の言葉を待つ。
「ありがとう、……わたしも、宗三のことが好きだよ」
気恥ずかしそうに潜めた声が宗三に伝えられる。たちまちもっと抱きしめたくなってしまって、宗三はありがとうございます、とだけ口にして審神者の肩に顔を埋めながら強く強く抱きしめる。
結ばれたふたりの間には花々が力強く咲き誇っていた。
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