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「みんな、おはよう~」
 広間に現れた審神者はまだ微睡みの中にいそうな寝ぼけていそうにも思える声色で挨拶をして、何事もないように着席した。目もしっかり開いているようにはみえず、髪の毛も少々寝癖が目立つ。すこしだらしのないところがある審神者ではあるが、ここまで眠気を残した顔で現れることは今までなかったことだ。審神者が号令をかけると、刀たちは一斉に食事に手をつけ始める。審神者本人も何事もないように箸を持ったが、まだ夢見心地に見える。
 すこし離れたテーブルで食事をとる宗三左文字は彼女の様子が気になって何度か見やるが、審神者はただ眠そうに白米を口に運びひたすらにもぐもぐと咀嚼しているだけ。眠そうなところ以外はいつもと変わりない。昨晩、彼女に会ったのは何時が最後だろうか。宗三は自分も昨日は戦に駆り出されて疲弊していたので食事を摂って風呂に入ってすぐに入眠してしまったのだ。となると戦働きの報告をしたのが最後か。彼女が夜に何をしていたのかは、宗三の知るところではない。
 宗三が表情を変えずに食事を口に運んでいると、隣からずいと顔が前に乗り出してきて、宗三の視界に入った。
「主眠そうだね」
 態度に出ていたのだろうか。まるで宗三が頭の中で考えていることを読み取ったかのように大和守安定が話しかけてくる。いちいち驚いていてはキリがないので宗三は何事もないように言葉を返す。
「ええ、そうですね」
「宗三のせい?」
 味噌汁に口をつけている時に限って変なことを言うのは確信犯だろうか。朝から召し物が大惨事になるところはなんとか避けたが、その勢いで器官に味噌汁が入ってわずかにむせた。落ち着いて呼吸を整え、宗三は大和守に向き直らないまま水を飲んで話を続ける。
「僕のせいじゃないですよ」
 宗三は審神者とはいわゆる好い仲であった。これは本丸の中では周知の事実であり、大和守がからかうように宗三は審神者と閨も共にしたことがある。だから審神者が寝不足だとなればその要因として宗三が疑われるのは想定できること。宗三も仲間からの茶化しには慣れていた。現に大和守は打刀が使用している大部屋で布団を隣にして寝ていたくせにそういうことを言うのだ。
「貴方、僕の顔叩いて起こしたじゃないですか」
「そういえばそうだね」
 無駄口を叩きながら食事をしていればあっという間に食べ終わり、宗三は食器の乗ったトレイを持って立ち上がる。また審神者の方を見てみるが、まだ食べ終わっていないようでとろとろと箸を口元に運んでいた。まともに箸に挟めていなかったのか、焼き魚のかけらが箸から滑り落ちてみっともないことになっている。水を飲んで目を覚まそうという魂胆か、コップの水を一気にあおったが、そんなことでは頑固な眠気は覚めないようで、欠伸を噛み殺して食事を再開する姿があった。
 昨晩いったい何をしていたのか。そんな眠気が残るほど。なぜ起きていたのか。仕事は立て込んでいなかったはず。となると友人と長電話でも、はたまた現世の趣味に耽っていたのか。想像つくことは限られている。しかしそれらは後で直接本人に問いただせばいいと思い、宗三は深く考えることをやめて厨へと足を進めて審神者を視界から外した。

 想定していなかったといえば嘘になる。食事を摂った後は机に向かっての執務になるのだが、なんとも身の入っていない審神者の後ろ姿を宗三は渋い顔で見つめていた。正面から見ずともわかる、眠そうだと。
 これではまったく仕事にならないではないか。時折船を漕いでいる審神者の肩を叩くと同時に、ため息を吐く。
「そんなに眠たいのなら、すこし横になったらどうですか」
「でも、さっき起きたばっかりだし……」
「昼になってもそう眠気が残ったままだと他の刀にも示しがつきませんし、早めに解決するのがいいのでは」
 今のままだと昼まで眠気を持ち越しそうな勢いだ。そうなれば主としてだらしがないし、年少の刀たちは心配するし年長の刀たちは下世話な風評被害を持ち込んでくる。宗三としてはどれも避けたいものだ。彼女の名誉に傷がつくとかそんなことは思っちゃいない。単純に面倒なのだ。
「……じゃあ、そうしようかな」
 食い下がっていた審神者が渋々承諾したので、宗三は押入れからタオルケットを出して、寝転がる審神者にふわりとかける。昼前の温かみのある日差しが審神者の仮眠の邪魔にならないようにと障子戸を閉め、自身は審神者の傍に控えるように座る。そうしていると、ぼんやりとした瞳が宗三を見つめ、くいくいと袖を引っ張った。
「宗三も一緒に寝よう」
 いたずらっぽくはにかんだ、夢と現実の境目にでもいそうな甘い声色。とろんとした目に一瞬だけ流されそうになったが、すぐに理性的な自分が戻ってきたので宗三は眉根をしかめて断り文句を言うために口を曲げた。それにこの顔は、朝から仮眠という罪をかぶらせたい顔だ。
「僕は貴方と違って睡眠は十分足りてるのでいいです」
 人間の体は不調が起きやすい。例えば目の前の審神者のように睡眠時間が足りていないと眠くなったり、お腹が空いたら頭の回転が鈍ったり。出陣先や遠征先などでは不規則な生活をすることも多く、どれもこれもそれ以外も経験済みだ。些細なことでガタがきやすいことは理解している。だからこそ、なぜ健全な生活をこの本丸で送っているはずの彼女が寝不足になんかなっているのか、甚だ疑問だ。
「そもそも、なんで寝不足なんかになっているんですか。仕事でもしていたんですか」
「ううん」
「では長電話でもされていたんですか。あのこの間来ていった審神者とか……」
「違うよ」
 まさか他の刀と逢引でもしていたのでは。なんてことは口には出さない。冗談にしてもあんまりだ。宗三は嫉妬がなによりも醜い感情であることを理解している。その感情を一度口にしてしまえば気が触れておかしくなってしまいそうだから、冗談でもそんなことは言わない。一時的に浮上した気の迷いを何食わぬ顔で脳裏から取り払い、意味もなく互いの手指を絡ませながら寝不足の理由を追求する。
「じゃあなんですか」
「……え~言わなきゃだめ?」
 審神者は絡めていた指の動きをぴくりと止め、気まずそうに顔を逸らす。うっすら赤らんだ頬に指をのばしてつう、と撫でると、くすぐったそうに笑う彼女が妙に色っぽくて、宗三は思わず喉元を鳴らした。
 恋仲になる前は宗三のことを散々傾国だの弁天のようだだのとなじってきた眼の前の女も大概たぶらかしの才能があると思う。現に宗三は世話を焼くほどにはたぶらかされているのだから、まったく罪な女だとつくづく感じる。
「いまさら僕に言えないことなんてあるんですか」
 唇に弧を描き、目を細めて笑うと、審神者はちらりと宗三の目を見て、後ろめたいことでもあるのか顔を隠すようにタオルケットを頭からかぶった。しかしタオルケットはすぐに宗三がめくり、今度はそんな真似ができないように片手をやんわりと押さえつけ、無言の圧力をもって審神者の口を割らせる手段に出る。
「ほら、早く言いなさい」
「…………宗三が来るかなって、思ったら、寝れなかったんだよね」
 観念したのか、審神者は赤みのさした頬、眠そうな目をゆっくりまばたきさせながら、拙い声で寝不足の理由を遠回しに伝える。宗三は言葉の意味をすぐに理解することができず、首をひねる。特別鈍感というわけではないと自負しているが、昨日部屋を訪れていない自分と審神者の寝不足がつながらない。
「ほら、ここ最近の水曜日はさ、ずっと来てたから…来ると思って、待ってたんだけど……」
 ここまで言われて宗三はやっと理由が理解できた。最近の水曜日といえば思い当たる節がある。別にこの日とめがけていたわけではないが、確かに審神者の部屋に足が向いて、共に夜を過ごした。昨日は戦疲れで審神者の部屋に出向く余裕もないほどだったし、水曜日であるということも忘れていた。別に水曜日は閨を共にすると約束していたわけでもない。宗三が好きな日に審神者の部屋に通って、逢瀬を重ねる。
 わりと好き勝手に通っていた宗三だったから、待たれているという自覚はほとんどなかった。現に審神者も、いきなり現れた宗三に毎夜驚いたり、困った顔をしたり、嬉しそうだったりするものだから、彼女が待っているだなんて考えもしない。だが今しがた伝えられた彼女の気持ちと事実に、胸がぎゅう、と締めつけられた。これは、率直に言えば抱かれるのを待っていたということだ。こんなの、愛おしくならないはずがない。なんならいますぐにでも抱きたい。あまりの感情の起伏に、宗三はすぐ言葉を返せなかった。
 しばらくして、いますぐにでも抱き潰したい気持ちをどうにか脳内で押さえ込み、自分の傍で丸く縮こまって横になる審神者の顔もまともに見れないまま、ようやっとして口を開く。
「……今夜でも、貴方さえ良かったら部屋に伺いましょうか」
 敬語に上から目線を織り交ぜて。照れ隠しにいつもの癖が抜けないのはもう直しようがない。
 宗三の誘いに、審神者の返事はない。恥ずかしがったり、喜んだり、拗ねたり、なにかしらの反応くらいあってもいいものだがとちらりと審神者の様子を伺った。……伏せられたまぶた、心地よさそうな寝息。なんとも無防備な寝顔に、宗三は審神者に振り回されていたような気分になり、呆れてため息をこぼした。しかし元はといえば寝不足だから横になるように指図したのは自分だと思い返す。
 彼女の横に沿うようにして、宗三は体を横にたおす。小さな背中を正面に、彼女の腹部を抱くように手を回して、タオルケットをすこしだけ奪った。宗三よりも小さな彼女サイズのタオルケットだから、宗三の体はまったく隠れない。
「……明日も寝不足だと、皆心配しますかね」
 いまはそう思っていても、彼女の愛おしさを目の前にするとどうでもよくなってしまうのだろう。まだしばらく訪れぬ時間を待つように、隣で目を閉じた。

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