のどかな本丸の廊下を歌仙兼定は歩く。
手には政府から届いた文を持っている。それらを審神者の元へ届けるのも近侍の役目だ。
大して前も見ていないで廊下の角を曲がると、歌仙の腰元に勢いよくなにかがぶつかって、どたんっ、と廊下に倒れこむ音がする。
歌仙が目線をおろすと、そこに倒れていたのは藤の花があしらわれた紫色の紬織を着た女性だった。
白に近い紫色の帯を締め、髪の毛もきれいにまとめられている、上品な印象を与える女性の姿をみて歌仙はぎょっとしてしまう。
まさか客人にぶつかってしまうとは。歌仙は慌ててしゃがみ込み、女性に手を差し出す。
「ああ、申し訳ないことをした。お怪我は……」
客人が来ているという話は耳にしていなかったが、この本丸に女性といえば審神者の他にはいない。
歌仙の主でもある審神者は、和装だとしても動きやすい袴を着ていることが多いため、いま目の前にいる女性のような紬織を着ることはめったにない。
だから歌仙はこの女性が客人であると判断して手を差し出した。
しかし、俯いていた女性が顔をあげると、歌仙は驚いて女性の顔をまじまじと見てしまう。
まぶたに引かれた黒の線は目元が大きく、まつ毛は普通よりも長く見える。下まつ毛も強調されていて、顔に艶やかさが残る。
顔にもなにか塗っているのか、血色よく見えるし、そしてなによりも唇の紅が目をひいた。
「……あるじ?」
「あなたの主だけど。なにそのへんな顔」
歌仙が客人だと勘違いしていたのはこの本丸の主だった。
審神者が言うとおり、歌仙はひどくおどろいた顔をして固まっている。
それも無理はない。審神者はふだん、服装も適当であれば化粧っ気もほとんどない。
世話焼きな刀剣たちが着替えるようにうながさなければ、いつも灰色の上下似たような洋服を着ている。
このことに関しては歌仙もよく怒っているが、審神者はいつもまるで聞き入れてくれない。
それなのに、そんな着飾ることを日常的に投げ出している主が、きれいな着物を着て、化粧を施しているなんて、歌仙にとっては考えられないことだった。
歌仙はなにも言葉を返さないまま、主の手をとり、起き上がらせる。
それから再度じっくりと頭のてっぺんから足の爪先までながめ、それでも言葉を発さない。
いつもと人が違うようにきれいで、その中にかわいらしさも残っていて、歌仙はおもわず見とれてしまっていた。
なにも話さない歌仙にしびれを切らした審神者は、いつもよりぱっちりとした目元をするどく細ませ、眉間にしわを寄せて歌仙を見つめ返す。
「ねえねえ、これきれいでしょ」
「……どうしたんだい、一体」
褒めろ褒めろと言わんばかりの審神者の表情。しかし歌仙にはひっかかることがあった。
きれいだとは思うのだが、歌仙の記憶する限り、審神者はひとりで着物の着付けなどできないはずだ。
審神者はくるくると回って着物を見せてくれる。
「たまには着てみたいなと思って」
「主は着付けなんか出来ないだろう。だれに……」
帯もきれいなしだれ桜結びにされていて、とても袴を着るのがやっとの人間の手並みとは思えない。
丁寧にまとめられた髪の毛には薄桃色の牡丹のかんざしが挿されている。普段は髪も結ばない人間のくせに。
どうしても、その着物はだれに着せてもらったのか、化粧はだれに施してもらったのか、髪の毛はだれに結ってもらったのか、歌仙はそれが気になって仕方がない。
「蜂須賀さんに着付けてもらったんだ。似合うでしょ」
ほかの男の名前を簡単に出してしまう審神者に、歌仙は苛立ちを覚えた。
蜂須賀虎徹は審神者が初めて選んだ刀で、だれよりも主からの信頼を寄せられている。
相談事なんかも、近侍である自分よりもいわゆる初期刀である蜂須賀にしていることを歌仙は知っている。
近侍を務めている歌仙は当然おもしろくない。さらに、今回のことに関しては、男としてもおもしろい話ではなかった。
着付けをしてもらったということは肌を見せているということだ。普段は見せないところも、蜂須賀には見せたということだ。
その事実にひどく苛立ってしまって、すっかり歌仙の顔は首切り刀の本性を現している。
「似合わない」
審神者の顔を見ずに、歌仙はそう吐き捨てた。
すこしは褒めてもらえると思っていたのか、審神者の表情は固まったものの、すぐに笑顔を取り戻し、けらけらと笑ってみせる。
歌仙の言うことを冗談だととらえたようだ。彼の顔が冗談を言っている顔でないことは審神者にもわかっていたが、それでも笑い飛ばすしかないのだ。
「たまにはさー褒めてくれたっていいじゃん。歌仙って本当にわたしに厳しいよ、ねっ……」
審神者が喋っている最中、急に歌仙に持ち上げられ、審神者は驚いた顔で歌仙の顔を見る。
しかし歌仙はというと、目はすわっているし、眉もぴくりとも動かず、口は固く結ばれている。
歌仙はすぐそこの空き室に審神者を連れ込み、雑に放り投げる。
尻もちをつくような形で畳に落とされた審神者は立ったままの歌仙を見上げ、困惑した表情で後ずさる。
「えっ、ちょ、ちょっとなに?! なんなのよ歌仙!」
「……主はまるでわかっていない」
「は……」
歌仙はそう独り言のようにつぶやくと、審神者の着物に手をかけ、無理やりに着物を脱がそうとする。
突然の歌仙の挙動に、驚いた審神者は必死で制止するが、さすがに戦に出ているような男の力には敵わず、押し倒される。
「歌仙やめてっ、なんなのよ……っ、離してってば!」
「君がいけないんだ」
冷ややかな声で歌仙がそう言い放つと、審神者の目はかすかにうるむ。
着物が肌蹴て素肌が見えると、歌仙は逃さないと言わんばかりに首元に歯をつきたてる。
「やめて歌仙……痛っ……」
「……」
審神者が歌仙に懇願するも、それはまるで無視されてしまう。
まるで自分のものである印のようにつけられた歯形が、審神者の肌にくっきりと残る。
それでも歌仙の下で抵抗する審神者は髪の毛も振り乱れ、せっかくのかんざしも取れて畳に転がってしまう。
着物は肩まで肌蹴て、歌仙は帯紐に手をかけ、雑に剥ぎ取り、畳に捨て置く。
きれいに結われた帯も、審神者が暴れたせいもあってかすっかり緩んでしまって、歌仙が引っ張っただけで簡単にはずれてしまう。
帯が取り払われた瞬間、俯いていた歌仙の顔を審神者が勢いよく平手打ちする。
ばちんっ、と音が響いた後、涙で喉をつまらせた声が静寂にひびく。
平手打ちされたことに驚いたのか、歌仙がなにもできずにいると、審神者は歌仙の体を押しのけ、よれた着物を引き摺りながら立ち上がる。
「歌仙なんか、……っ、大嫌い!」
審神者は涙声でそう叫ぶと、走って部屋を出て行く。
取り残された歌仙は畳に座り、先ほどまで主が挿していた薄桃色の牡丹がのかんざしを拾いあげる。
偶然か、それは歌仙が胸につけている牡丹の飾りとよく似ていた。
ふと部屋においてあった鏡を見ると、殺気を宿している自分の顔に歌仙はため息をつく。
「……所詮は鬼の刀、か」
歌仙は前の主を思い出す。
短気で嫉妬深く、妻に鬼と例えられた主。
この感情が彼が宿していたものかと思い知り、なんておろかしいものなのだと自己嫌悪に陥った。
* * *
あれ以来審神者は自室に引きこもってしまって、夕餉の時間になっても出てくることはなかった。
その原因を、歌仙兼定の顔を見て粗方察した刀剣たちもいるが、精神が幼い刀剣たちは気づかずに審神者を心配している。
閑散とした中でもくもくと食事が行われていたが、空気を裂くように蜂須賀虎徹が口を開く。
「歌仙、少しいいかな」
「…………ああ」
歌仙は蜂須賀に呼応すると、すぐに箸を置いて立ち上がる。
先に部屋を出て行った蜂須賀の後をついていき、打刀のうちの何人かが私室としている部屋に入る。
ろうそくに火をつけ、ふたりは腰をおろす。互いになんの話かはわかっている。
歌仙はきつく口を結び、顔を強張らせている。対して蜂須賀はいつものように緩やかな笑みを浮かべている。
ふたりは別に仲が悪いというわけではない。どちらも基本的には温和な性格だ。言い争いをすることもそうそうない。
歌仙は蜂須賀を目の前にして、後悔をしていた。
あの感情の昂ぶりは、蜂須賀のせいでも主のせいでもないのに、自分が一方的に主に八つ当りしてしまって、みっともない限りだったと。
蜂須賀は審神者の最初の一振にして長らく近侍を務めていた。
ふたりはだれの目からみても明らかに仲がよいが、男女の関係ではないことは歌仙も知っていた。
それなのに、嫉妬の感情が燃え盛った自分に歌仙は嫌悪感を覚えた。
「主の着物、きれいだったろう」
「……べつに」
本当は見とれるほどきれいだった。主にもきれいだと言ってあげたかった。
それなのに歌仙は感情を押し殺して、嘘を吐き続ける。
ちっとも素直じゃない歌仙に蜂須賀は控えめに笑う。
「あの着物ね、主が自分で選んだものなんだ。着るものに無頓着な主が珍しいだろう?」
「……なにが言いたいんだ」
「まったく……主にあそこまでさせたのに君がここまで鈍感だとは」
紫色の紬織に牡丹のかんざし、それに似合う化粧。
歌仙は、けなされても悲しみを誤魔化すような痛々しい主の笑顔と、目に涙を溜めて落ち込んだ顔を思い出す。
あの格好は自分に見せるためのものだと、歌仙はやっと気がついた。蜂須賀に鈍いと言われても無理はない。
歌仙は立ち上がり、部屋を騒々しく出ていく。
その様子を見た蜂須賀はやれやれと、ふたりの背中を押す仕事を終え、ろうそくの炎を消した。
主の部屋はすこし離れた場所にある。
歌仙は部屋の前にたどり着いて、一呼吸置く。走ったせいと、緊張もあってか、動機が激しい。
部屋には灯りがなく、薄暗いままだ。
「主……入るよ」
返事はない。しかし歌仙は障子をあけて、そろっと中に侵入する。持ってきた手燭をテーブルに置き、部屋を見渡す。
部屋の隅では主が体育座りをして俯いている。歌仙の気配には気づいているのだろうが、顔をあげようとはしない。
審神者の横には着物が丁寧にたたまれている。おそらく他のだれかがやったのだろう。現在の服は着物の下に着ていたと思われる長襦袢のままだ。
歌仙は主に近づくが、どう接していいかわからず、かける言葉に悩みながらも主の前で正座をする。
「その、さっきは……ひどいことをして申し訳なかった」
「…………」
「ただ……次に着物を着る時は僕を呼んでくれ。他の者に君の、その……肌を見られることは我慢ならない」
歌仙はたどたどしく言葉を紡いで、なんとか主に伝える。
審神者は歌仙の言葉を聞いて、ゆっくりと顔をあげる。涙で化粧が取れてしまっているし、口紅もよれている。
「歌仙に見てもらいたいのに、歌仙に着付けしてもらうわけにいかないでしょ!」
先ほどまでの弱々しい雰囲気が嘘のように、審神者は大声で叫ぶ。
それから自分が口にしたことのこっ恥ずかしさに気づき、目線をうろうろとさせて顔を真っ赤にさせる。
蜂須賀から言われて、主がそう思っていたことはわかっていたのだが、いざ真正面から言われると恥ずかしくて歌仙まで赤面してしまう。
「あっ、ちょ、ちょっとまって、今のなし! ちがうんだってばそうじゃなくて……」
「主……もう遅いよ……」
歌仙は審神者を抱き寄せ、頭を撫でる。
審神者はいまだ恥ずかしがってちがう、ちがう、と必死に歌仙の胸の中で否定する。
一生懸命否定しているところが逆に本音であることを確信づける。
そんなところが歌仙にとってはかわいくて仕方がなくて、抱きしめる力が強くなる。
「ううっ……もう、さいあく……」
「僕の主は、……まったく、いじらしくて困ってしまうよ」
ふたりとも本心をなかなか口に出さないため、意思の疎通には時間がかかる。
やっと本心が通ったふたりは、気恥ずかしそうに顔を合わせて唇を重ねる。
愛情を確認するかのように舌先が絡み合って、ようやく唇が離れると審神者は苦しそうに息を整える。
一方の歌仙は余裕そうに微笑みかけ、額や頬、首筋に口づけを落としていく。
「ひぅっ……いたい、そこ……」
「……すまない」
首筋には歌仙が噛んだ痕が残っている。
じんわりと赤紫色に内出血しているため、そうすぐには直らないだろう。
「主……もう一度、あの着物を着てはくれないか」
着物自体に罪はないし、歌仙も、きれいに着飾っている審神者の姿は好きだった。
審神者はいじけたような顔をしながらしばらく返答に悩んだ後、うんと頷く。
その答えを聞いて、歌仙は微笑み、嫉妬にまみれた手で審神者を抱きして耳元でささやく。
「今度は僕が着付けてあげるからね」
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