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 やさしい和灯はふたりの男と女が重なる姿を薄く照らす。部屋には生々しい性のにおいと灯明皿から香る白檀が混ざったにおいがして、それは決して他者を寄せつけない。
 互いの体のすべてを隈なく愛し、己のものであるという痕を消えぬように残し、愛という情念を囁く時間は男と女にとっては貴重なものだ。昼間は男は女に仕え、女は男を使役する。男は神であり、人間の女より地位は遥かに上であったが、人間に使われなければ意味が無いもの。そのため男は女に付き従い、親身になって彼女の補佐をする。
 しかし深夜になれば男と女を締めつけるしがらみはなくなり、ふたりはただの男女となる。唇を重ね、肌を貪り、かたく結び合う。その姿に人間だとか神だとかは関係ないし、主従もなにもなかった。
「歌仙っ……もっとこっちにきて」
「困ったね、今日の主はやけに欲しがりだ」
 女――彼の主、審神者が両手を広げて男を、歌仙兼定を望む。歌仙は困ったと言いつつ嬉しそうに口角を上げてほほ笑むと、彼女にゆっくりと覆いかぶさり、手を背中にまわさせる。背中を必死に掴む審神者の小さな掌の温かい感触が、歌仙は好きだった。必要とされているような気持ちになって、心地が良いのだ。男としての優越感か、それとも主を征服しているという満足感なのか、とにかく彼女は自分のものだという証が欲しいから、背中についた爪痕すら誉れに思う。
 じいっと歌仙が審神者の顔を見つめていると、いつもは気恥ずかしさのあまり目を逸らすが、今夜は違っていた。やはり欲しがりだ、と歌仙は思った。審神者は回した両手に力を入れると、歌仙の顔を自分に寄せて、小さな口づけを落とす。いつもならそれから歌仙の口が追うのを待つが、今日は我慢がきかないようで、歌仙の厚ぼったい唇を舌でなぞり、上唇にやさしく噛みつく。しかしそれでも口を開けてはくれない歌仙に対し、審神者は切なさのあまり眉頭を寄せて、歌仙の眼を見やる。その物欲しげな瞳に、歌仙は思わず身震いをした。好いた女が自分を望んで、焦らされて、困り果てた顔をしている。これほど胸を擽らせるものがあるだろうか。
 いつもの審神者は、歌仙ら刀剣たちの上に立ち、何振りもの刀を従えている。時代が時代なら女傑と呼ばれていただろう。そんな女が、自分にはか弱く甘えてくるものだから、これほど高揚することはなかった。歌仙にとって彼女が愛おしくてたまらないのは、普段の性格や心の美しさもあるが、一番は主である時とただの女である時、つまり自分の恋人である時との差だ。ただの女性に戻った彼女を知っているのは自分だけ。自分だけが彼女を女性として愛している。
「どうしていじわるするの……なんで、してくれないの」
 審神者からすれば勇気を振り絞ってねだったのに、歌仙はその要求にまったく答えてはくれない。それどころか、審神者の目にはいつもよりも冷静に見えて、自分ではこの男を昂ぶらせることができないのかと悲しくもあった。美しい、花神のような刀剣の神に自分は翻弄されてばかりで、審神者は顔を覆いたくなるぐらい恥ずかしかった。見返りを要求するわけではなかったが、自分ばかりが必死に彼を追い縋っているようにも思えて目頭が熱くなる。
 彼女は知らないのだ。強欲の権化なのではないかと思わされるぐらい執着心の強い神にどれほど愛されてしまっているか、分かっていない。だから審神者は歌仙の笑みや振舞いに余裕を感じ、余裕のない自分を責める。そして神のほうも、審神者がまさか己の深い愛情に気づいていないとは思っていない。交じり合わない奇妙な感情の交差が生じている。
「君があまりにもかわいいからだよ」
「はあ……もう、ばか……」
 改めて口説くことが歌仙は好きだった。今にも泣きだしてしまいそうな彼女に愛を伝えると、きゅっと唇を結び、震えた声を振り絞って反応をしてくれる。いつもかわいい反応を示してくれる彼女の顔を眺めることに飽きなどこない。余裕なく、獣のように彼女を抱いて、愛の証をその身に注ぎ込みたい衝動に駆られるが、歌仙は必死に自分を抑えつける。そんなことをしたら彼女が本当に怖がってしまう。まだそういう時期ではないと自分に言い聞かせ、歌仙は深呼吸をして余裕を保つ。頬を赤らめ、潤んだ瞳で見つめ返すようなうら若き恋人を獰猛に抱くような真似はできない。彼女の色を染め上げるのはゆっくりと、じっくりとでいいのだ。
「本当のことを言っているんだけれどね、僕は」
 面倒な女だと思われていないだろうか。歌仙の褒め言葉に対してひねくれた言葉を呟いてから、審神者はまたも後悔をした。背中にはじんわりと嫌な汗が浮かんでいる気がして、また自分はかわいげのないことをしてしまったと再び唇を固く結んで下唇を噛む。歌仙が口説けば口説くほど、審神者は不安に駆られた。彼に気を使わせてしまったのではないかとびくびくしてしまう。やさしく抱かれることが逆に恐怖であった。激しく、感情をぶつけるように抱いてほしいと思っても、審神者は結局言えずじまいのまま、やさしい恋人に、包み込むように愛される。ふたりの感情は、未だ交差しない。

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