審神者は縁談のため、とある旅館の一室に居た。もちろん望んだ縁談ではなく、致しかたなくここにいるのだが、話の切り上げ方がわからず悩んでもう小一時間が経とうとしていた。
自分に会いたいと言ってくれた男性に好意はなくとも無下にすることはできず、適当に言葉を返し、口角を上げ続けることにももう疲れてしまった。その上相手はがちがちに緊張しており、会話もうまく進まない。こんなことなら会って直接断ろうだなんて律儀なことは思わず、会う前に断ればよかったと、審神者は遅い後悔した。
この縁談に来るためには色々と危険があった。その危険分子というのが己の近侍である。縁談、だなんて知ったら相当怒るに違いない。いつもは穏やかな笑みを浮かべているその顔を真っ赤にして、戦場よりも高揚して断りの書状を書いているところが目に浮かぶことだ。
そんな近侍に知られないように万屋に行ってくると言って出てきたはいいものの、まず供を連れて行かないことがおかしい。そして審神者は普段から買い物は早く終わる性格だ。それが何時間も帰ってこないとなれば近侍も怪しむだろう。
そんな危険をおかして審神者が此処に来たのは、周囲の人間の好意を無駄にするようなことができなかったからだ。流されやすい、というわけではないのだが、貴方のためを思ってと何度も重ね重ね言われれば圧倒されてしまうというものだ。たとえ破断になったとしても、縁がなかったということで片付く。審神者はごく軽い気持ちでこの場を訪れたのだが、相手方はそうでもなかったのが誤算であった。
適当にお茶を濁して切り上げられるような相手ではなかったのだ。なるべく思いたくはなかったが、審神者の頭にはぼんやりと早く帰りたいという一言が思い浮かんだ。もう相手の話を聞くのも疲れてしまったし、正座した足も痺れてきてしまった。もういっそのこと近侍がこのことを察知して乱入でもしてくれないだろうかなんて愚かで非常識な絵空事が脳内を漂う。そんな折だった。
すぱんっ、と勢いよく障子が開いたかと思えば、現れたのは戦装束を身にまとったままの近侍であった。いつも彼から感じるような春色の和やかな雰囲気は一切感じられず、口角は上げていても目はちっとも笑っていない。よその本丸のものではない、紛れもなく自分の近侍である、歌仙兼定だった。脳内で描いていた空想が急に現実となり、審神者は驚きのあまり一瞬心臓が止まった気がした。
歌仙は己の主を一瞥すると、それからすぐ審神者の縁談相手の男性に視線をやり、目を細める。
「なんっ、なんで、歌仙…… 」
歌仙は厚い面の皮に笑みを浮かべることを怠らず、余所行きの嘘くさい笑顔のまま審神者を半ば無理やりに立ち上がらせ、口を開く。
「失礼。……僕の主はまだ教養が浅くてね、まだ余所様へ嫁がせるには青すぎる。今回の縁談はなかったことにしていただこう。行くよ、主」
不遜な態度を隠そうともしないまま、歌仙は淡々と審神者を嫁にやる気はないことを述べると、外套を審神者の顔に被せ、無理やりに手をとって、さっさと部屋を出て行ってしまう。あまりに突然の出来事に、審神者もわけがわからないまま歌仙に歩かされ、部屋を出て行くこととなってしまった。
良いのか悪いのかで言えば間違いなく悪いのだが、間違いなく縁談は破談となるだろう。しかしこんな断り方が世間的に許されるはずがない。審神者は後日の対応を考えて頭が痛くなる。
歌仙は常識知らずではない。それどころか審神者よりもずっと教養が深く、物知りで、審神者に旧き時代の知識を植えつけているのももっぱら歌仙だ。短気で怒りやすく、どこか物騒なところが玉にきずだが、それ以外はなんてことはない。見目にも気を使う、どこに出しても恥ずかしくはない、審神者にとっても誇れる刀剣男士だ。しかしいまの行いは彼で言うところの雅ではない行動になるのではないか。審神者はそんなことを考えながら、己の頭を隠す彼の外套を剥ぎ取り、胸元から離れて立ち止まらせる。
「待って、待って歌仙……!」
「……なんだい」
ここは旅館の廊下だ。人気はないがあまり大声で話すことは好ましくない。こんなところで喧嘩だなんてことは避けたかったが、そもそも縁談のことを伝えていない、場所すらも知らないはずの歌仙がなぜここにいるのか審神者には理解できなかった。
歌仙は面白くないといった表情を浮かべているが一応立ち止まってはくれる。眉間にしわを寄せ、口をへの字に曲げている。機嫌が悪いことを強調するかのようなその態度に審神者は威圧され、自分が悪いのだろうかと感情を流されてしまいそうになるが、いけないのは間違いなく乱入してきた歌仙の方だ。
「なんでここにいるの」
「なんで、だって? こんな青い果実を娶ろうとしようだなんて、ずいぶん相手方も愚かなことをすると思ってね。君が結婚だなんて、時期尚早だよ。嫁いだ先の家でどう振る舞えばいいかなんて、教養もないだろう。まったく、僕がここに来なかったら君はどうするつもりだったんだ」
自分の非を認めるどころか、歌仙は己の行動を正当化しようと言葉を畳み掛ける。審神者にとっては想定できなくもない流れだ。これまで歌仙と衝突した際、彼は頑なに非を認めようとはしなかった。
頑固、というべきか、歌仙はとにかく己の考えに対して絶対的な自信をもっている。些細なことから起こる衝突は結局いつも審神者が折れているのだが、今回は他人が絡んでいる。審神者が折れて終わる話ではない。
歌仙はとにかく審神者が結婚だなんてまだ早いといった論調で審神者を捲したてるが、本音はそうではなかった。審神者もそれを感づいている。だから縁談の話は彼にはせず自分だけで片付けてしまおうと思っていたのに、一体このことと誰が彼の耳に入れてしまったのか。しかし犯人探しをしたところで収まるものではない。
自分は間違ったことをしていないと片意地を張る歌仙に対し、審神者は少々呆れてため息をついてしまう。普段は思ったことはしっかりと口にするくせに、なぜこういう時ばかり建前をはさんで話すのだろうか。
「歌仙が来なくたって断るつもりだったよ。相手が顔合わせだけでもって言ってきたから仕方なく……」
気が早いのだ。審神者はべつに縁談を受けて結婚するだなんてひとことも口にしていない。審神者は繋がれたままの手を振りほどき、歌仙から視線を逸らす。そもそもこの縁談を断る理由は歌仙にあるというのに、どうしてこうも黙っていられない気の短くて、鈍感な神様なのだろうかと審神者は少し悩ましくなってしまう。
しかし歌仙は審神者の口ぶりに苛立ったのか、両肩を痛いぐらいに掴むと、なにかを言いかけようとして、口ごもってしまう。
「きっ、君は……! ああもう、君にはまだ早いのだから顔を合わせる必要なんてないだろう。向こうとあれ以上話して口車に乗せられていたらと思うと肝が冷えるよ。女性としての立ち振る舞いが身についていない主を余所に送り出すだなんて、僕としても恥ずかしいからね」
まるで世間知らずの娘のことを恥じる母親のような口調が、審神者はさらに面白くない。もっとちゃんとした、彼自身の言葉で言ってほしいのに。審神者がそう心の中で望んでも歌仙は秘匿する思いを晒すような真似は一切しない。それが雅ではないと恥じているのだろうか。そんなことは審神者からすればどうでもよいのだ。
審神者が察するに、歌仙は、恋に臆病なのだ。わざわざ審神者を下げるような発言をして縁談の場から連れ出し、結婚だなんて時期が早いだの妻として心得もないくせにだのと難癖をつけて思いとどまらせるようなことを言い、こんな主を世に出すなんて自分が恥ずかしいと暴言を吐いたりするのはすべて建前だ。
そうでなければわざわざ縁談の話を聞きつけたからといってこんなところにまで迎えに来なくともいいはずだし、笑みだけ浮かべて縁談相手に棘々しい殺気を放たずともいいはずだ。
「ねえ、歌仙……」
ちゃんと自分の言葉で話してほしい、審神者がそう言いかけたところで歌仙はそっぽを向き、肩を掴むのをやめる。
「今回の話は僕の方から改めて相手に断りを入れよう。次が来たとしても、まずは僕が見定める」
どうしてこの神様は素直に行かないでほしいと言えないのだろう。固く握り締められた歌仙の拳は震えている。審神者は素直にものが言えない近侍に呆れながらも、彼の隣にそっと寄り添い、早く相思相愛なのだと気づかないものかと震える拳に手を重ねるのだった。
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