演練の申込みを受け、審神者は第一部隊を引き連れて演練場へと向かう。
政府が用意した演練場ではお互いの刀剣を高め合うほかにも審神者同士の情報交換の場として活用されている。
自分が収集した刀剣以外を見る機会というのは滅多にない。同じ刀剣でも個体差があることを審神者はよく知っている。
審神者の隣を歩く近侍の歌仙兼定は演練を前にして引き締まった凛々しい顔をしており、いつもの茶を点てたり花を愛でる姿とも審神者を叱る時の表情ともやはり異なる。
口を真一文字に閉じて冷えた目元に審神者が思わず見とれていると、歌仙は目線に気づいて目を合わせてやんわりと口角をあげてほほ笑む。
「おやおや、前を見ていないと転んでしまうよ」
「わっ、わかって……きゃっ!」
審神者は熱い視線を注いでいたことを恥じてそっぽを向くと、袴の裾を自身の右足で踏みつけてしまう。
体勢を崩してその場に倒れ込みそうになる。ぐらりと視点が地面に近づいた……かと思えば、大きな腕に包み込まれて審神者は床に顔をぶつけずに済んだ。
ほっとして審神者が顔をあげると、困り眉で温かみのある笑顔を向けている歌仙がいた。がしかし、それは自分のところの歌仙ではないと審神者は瞬時に確信した。
驚いて一瞬息が止まる。それから体を支えていた腕から離れると、自身の隣にいる歌仙と目の前にいる歌仙を見比べる。
当たり前だが顔はそっくり、しかし表情の根本がまったく異なる。目の前の歌仙からはどこか余裕を感じられ、おおらかな印象を受ける。少なくとも審神者から見て自分の本丸の歌仙を比べて、だが。
目の前の歌仙は眉尻を下げて首を傾げる。あまり見たことのない歌仙の表情、同じ顔の別人が現れたようで審神者はどうにもおろおろとしてしまう。
「あっ、ごめんなさい……。ありがとうございました」
「いいや、怪我がなくてよかった。気をつけるんだよ」
「は、はい……」
目の前の歌仙は審神者の頭を撫でつけてその横を通り過ぎていく。
紳士のような立ちふるまいに審神者はぽうっとしてしまい、その後姿を思わず見続けてしまう。自分がひとつでも情けないことをすれば渋い顔を浮かべる自分のところの歌仙とは大違いだ。
ああいう歌仙もいるのだと顔を綻ばせて別の本丸の歌仙を目で追っていると、審神者は力強く左肩を掴まれて横に向き直る。
曇り顔の近侍は眉間にしわを寄せて口をへの字に曲げていた。露骨に機嫌が悪そうだ。
「行くよ、主」
「ああ、うん……」
歌仙は冷めた声音で審神者の先を歩いていってしまう。いつもより早歩きで、審神者はとてもじゃないが追いつけない。
審神者は後ろ髪を引かれつつも、小走りで演練場へ向かう。相手は未だ到着しておらず、静寂の中でじっと相手方を待つ。その間も歌仙との会話はない。
しばらく待ち続けていると、向かい側の扉から相手方の部隊と審神者が現れる。
審神者の横を歩いていたのは歌仙兼定だ。審神者は彼を見てあれは先ほど自分を助けた歌仙だと気がつく。
「あっ、さっきの歌仙さんだ」
「…………」
審神者がそう呟くと、鼻から抜けるようなため息を吐いて歌仙は仕合の土俵に上がってしまう。
歌仙はやけに眉間にしわを寄せていて、心底機嫌がわるそうに刀身を鞘から抜き出す。髪の毛がやや乱れて、瞳はぎらぎらと光っているようにも見える。
……結果はというと惜敗だった。政府が用意してくれた手伝い札でさっさと刀剣たちの手入れを済ませ、帰路につく。
近侍でありつねに隣にいるはずの歌仙はさっさと本丸へ戻ってしまい、審神者は他の刀剣たちと並んで帰宅した。
先に帰宅してしまった歌仙のことが気がかりで審神者は近侍の部屋に訪れる。物音はまったくせず、静まりかえっている。
名を呼びかけても返事はない。しかし影があるので部屋にいることは明らかだ。障子戸をゆっくりと開けるとやはり歌仙は部屋に戻っていた。文机に向かって背を向けている。
文机の上に置かれた灯火が和紙越しに揺らめいている。怒鳴られるわけでもないので審神者は静かに歌仙の斜め後ろあたりに腰をおろして様子を伺う。
審神者が部屋に入ってきたことに気づいているはずなのに、歌仙は斜め後ろを見ようともしない。文机に落とされ続ける視線は氷のように冷たく、怒りも感じられた。
なんと声をかけてよいかわからず、審神者は口を開いては声を発さず空気を飲み込むように口を閉じてしまう。
「あ、あの……歌仙……?」
しかし話さねば始まらない。審神者が呼びかけても、からだはぴくりとも動かない。
「なんか、怒ってる?」
誰がどう見ても怒っているのだが、ひとまず歌仙の出方を見るためにそう問いかける。
歌仙は理由もなく怒るような幼稚さはない。怒っているのには理由があるはずなのだ。
それが審神者にあるのかはたまたまったく別のことなのか、審神者には皆目検討もつかない。
「君は僕でなくともいいんだね」
背筋が凍ってしまうほどの、感情のこもっていな声音が返ってきた。
突拍子もない言葉に審神者は驚いて口をぽかんと開けてしまう。相変わらず歌仙は振り向かない。
「……は?」
「他の歌仙兼定でも君は構わないんだろう。僕には君しかいないというのに、君でなくては駄目なのに。君は歌仙兼定ならどれでも良いのだろう?」
「ちょ、ちょっと、なに言って……」
なにがどうなって歌仙がそんなことを思って口にしているのか、審神者は理解が追いつかない。
審神者は立ち上がって歌仙の肩に手をかけて振り向かせようとするが、いとも簡単に払われてしまう。
歌仙の表情を横から伺うと血が出てしまいそうなほどに下唇を噛んでしまっている。歯を食いしばったその面持ちからは悔しさがにじみ出ている。
その表情を見て審神者はようやく歌仙が苛立っている理由が把握できた。つまるところ余所の歌仙を見ていたことが面白くないのだ。
審神者は原因が自分にあることを思い知り、歌仙の背中に優しく手のひらを添える。しかし歌仙は思いつきの言葉で機嫌を直すほど単純な性格でもない。
「わたしにとっての歌仙はあなた一振りだけだよ。だからそんなこと……」
歌仙を落ち着かせようと言葉をかけている最中、強い力で肩を鷲掴みにされ、鈍い痛みに審神者は言葉を詰まらせる。
長い前髪から垣間見える歌仙の眼差しはひどく荒んでいて、どこか苦痛を浮かべている。
肩に突き立てられる爪が、服越しに伝わる。普段の歌仙はいくら口調が強いといえども、審神者に乱暴を働くような刀剣ではない。
「ならどうして他の歌仙兼定を見たりするんだ! 君は僕だけ見ていれば良い。僕以外の男、ましてや別の歌仙兼定に目移りするなんて……君は誰でも良いのだと思ってしまっても仕方のないことだろう?!」
静かに怒っていたかと思えば突如激情的になって歌仙は怒鳴り始める。
精神状態にばらつきがあり、感情の振り幅に審神者も混乱してしまう。
「お、落ち着いてってば、歌仙! そんなことない。目移りなんかしてないよ」
「嘘だ……君は、君は僕以外を見ていただろう!」
謝ってしまっては非を認めたことになる。審神者も食い下がることは出来ない。
後ろ姿まで見てしまったのは事実だが、ああいう歌仙兼定もいるのだと思って眺めてしまっただけのことだった。
しかし相手の受け取り方によっては見とれていたようにも見えなくもない。少なくとも審神者の目の前にいる歌仙はそう感じたのだ。
食い込む爪の痛さが、歌仙の心の痛さなのだろうと、審神者は手を振りほどくことなく首を振る。
「主……僕を、僕をこれ以上困らせないでくれ。僕には君しかいない……君以外なんて考えられないのに……」
審神者のからだに縋りつくように、歌仙は力なく抱きつく。
肩に食い込む痛みが解け、審神者は歌仙の背中に手を回して優しく抱きとめる。ひっそりと抱えていた、心の脆さも受け止めるかのように。
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歌さに版深夜の60分一本勝負様 @kas_sen_1h
10/28 君じゃなきゃ駄目
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