昼下がり。加州清光は、きらきらと桃色に輝く爪をみてにまにまと笑っている。
それをじっ、とくだらないと思っているような顔で見ているのは大和守安定だ。
大和守安定の視線に気づいた加州清光は自慢げに爪を彼に見せびらかす。
いつもなら見せびらかすなんてことはしないが、この日の加州清光はとびきりご機嫌だった。
「主が俺のために買ってきてくれたんだ。いいでしょ」
加州清光の爪はいつもの爪紅とは異なり、桜のような色をしている。
お洒落をすることが好きな加州清光のために審神者が現代で買ってきたマニキュアだ。
「べつに。刀が着飾っちゃって、ばかじゃないの」
大和守安定は興味もなさそうに加州清光の爪からさっと目を逸らす。
加州清光は大和守安定の言葉を聞いて顔をくもらせるが、すぐには怒らず、余裕があるようにふるまう。
このふたりは顔なじみということもあってか、喧嘩をすることがとてもおおい。いまもすでに、両者の間には静かな火花が散っている。
「主に構ってもらえてるのが羨ましいんでしょ。言えばいいじゃん。主、基本的には優しいんだから」
「べつに構ってほしくなんかない。お前じゃないんだから」
「……沖田くんの時はべったりだったくせに。変なの」
加州が前の主の名を口にすると、安定は目を見開いて加州を睨みつける。
安定は、数多いる刀剣のなかでも前の主に対する依存度が非常に高く、それは審神者のもとに喚ばれて何か月か経ったいまもそれは変わらない。
いまの主のことを信頼していないというわけではないのだが、ことあるごとに前の主の名前をだす。
その言動は、加州との会話でたびたび引き合いに出され、いつも喧騒のネタになっている。
昔から付き合いがあり、主が同じだった加州は安定のことをほかの刀剣たちよりもよく知っている。
よく知っているということは、前の主に対する依存度も、その件に関するとどうなるかもよくしっているということなのだが。
「あのひとと沖田くんはちがう。だれでもいいお前と一緒にするな」
いまの主である審神者をあのひと呼ばわり。まるでいまの主を認めていない、否定したともとれる言葉を吐き捨て、安定は目を細める。
しかし加州には、いまの主と前の主はちがうと口にだすことで、自分のなかで必死に整理をつけているようにもみえた。
「……お前、主が沖田くんみたいになるのが怖いんだろ」
ぽつり、と加州はつぶやく。
沖田総司の最期は、床の上であったことは有名である。
新選組随一の剣豪であったが、体調の悪化にともない第一線で活躍することは敵わず、最果てには猫を斬ることすらできず命を枯らしたという。
そんな沖田総司にとって、大和守安定は最後の刀だった。
日に日に主が衰えていく姿を目の当たりにし、刀として振るってもらえず、ついにはおいて逝かれた。
主を看取り、その後も生きた刀は星の数ほど存在する。
けれども、安定にとってはじめての主である沖田総司が、病に倒れ亡くなったことは、安定の心に深い傷と記憶を植えつけた。
加州はそのことを理解した上で安定の傷をえぐるような言葉をつきつける。
「は……なに言ってるかぜんぜんわかんないんだけど」
意味がわからない、というふうに大和守安定は反応するが、声は震えている。その姿は、核心を突かれて気が動転しているようにもきこえた。
いまの主は朗らかで、ふざけたところもあるが、みなに優しい女性だ。
短刀たちと遊ぶ陽気な姿も、戦となれば厳しい姿も、前の主、沖田総司を彷彿とさせる。だから、安定は近寄れないでいた。
破壊されない限り朽ち果てることのない刀剣とちがい、人間はいずれ死ぬ。ひとの命が尽きて果てることが、安定をなによりも恐怖させるものであった。
安定はこの胸の内を、誰かにもらしたことはない。ひとりで、ひっそりと抱えていたはずだった。
けれども、安定とともに沖田総司のそばにあった加州には、審神者と沖田総司に似通う部分があることはよくわかっていたし、安定がそれに苛んでいるのもわかっていた。
わかってはいるが安定の気持ちを理解できるわけではない。いまの主と沖田総司はまったくべつの人間なのだと、割り切れずに過去を投影する安定に、加州はいらだっていた。
加州は安定の声の上ずった声にまゆを寄せて、さらに言葉を畳みかける。
「だーかーら、いまの主がもし沖田くんみたいにいなくなったらって考えるから……」
いま主が沖田総司のように自分をおいて逝くのが怖いから主に懐けないのだろう。加州が言っているのはのはそういうことだ。
自分の本心をえぐられてかっとなった安定は、加州が話し終わる前に自分と揃いの赤いマフラーと衿を掴み、襖に投げ飛ばす。
激しい音がして、加州は倒れこむが、とっさに爪を確認し、声を荒らげる。乾かしていた最中のマニキュアの一部が剥げてしまっていた。
「僕の……僕の主は沖田くんだけだ! 審神者が……あのひとが死んでも、僕には関係ない!」
安定の脳裏によみがえるのは前の主、沖田総司が亡くなる少し前の姿。
静寂ただよう和室に敷かれた布団に寝ている沖田総司は、いつまでも人の心配をしていた。
だが、その直後にひどい発作を起こし、布団と畳を汚すほどの血を吐き、最期を迎えた。彼は苦しんで逝ってしまった。
沖田総司の死に、落ち込んだ安定は二度とひとに情を移さないと決めた。
けれども、いまの主があらわれて、安定の心は揺り動かされた。
いくら冷たく接してもにこやかに話しかけてくれる審神者が鬱陶しくてしかたがないはずなのに、気になってしかたがない。
そしていつの間にか、主のことを目で追っている自分がいることに安定は気がついてしまった。
彼女の姿に前の主の最期を投影することも増えた。頭を振ってくだらない妄執から逃れようとしても、映像が頭にはりついて離れない。
沖田総司のような死を迎える可能性を危惧し、恐怖する。好いているからこそ、そんな幻想にとらわれる。
口では加州の言うことをすべて否定するが、言葉はいつまでも震えていて、目には涙をためている。
きらいになろうと、無関心になろうとしたが、安定にはそれができなかった。むしろ、考えれば考えるほどに審神者のことが気になって仕方がないのだ。
安定の言葉に、加州は起き上がって胸ぐらを掴み返す。
「本当にそう思ってんなら、いつまでもじめじめ悩んでないでここから消えろよ! しめっぽくてうざいんだよ!」
「僕だってそうしたいよ! また……また、苦しくてしかたがないんだよ……!」
「お前なあ……!」
言い争う流れのまま、殺気だったふたりは、柄に手をかけ、白刃をみせる。
しかし、ふたりの喧騒を聞きつけたのか、勢いよく障子が開けられる。
「清光、安定! なにを騒いで……」
障子を開けて現れたのは、幸か不幸か、この本丸の主である審神者だった。
主の顔をみると、ふたりとも殺気が抜けたような顔をする。
安定は鞘に刃を収めると、いまにも溢れてしまいそうな涙を我慢しながら、なにも言わずに部屋を立ち去ってしまった。
「ちょ、ちょっと……待ちなさい、安定!」
主がそう呼びかけようとも、安定は無視して廊下を走って行ってしまう。
行ってしまったものはしかたがないと主は諦め、しかめっ面のままの加州にかけよる。
加州はかけよってきた審神者に抱きつき、肩に顔をうずめる。
「……ごめん、主。爪剥げちゃった」
「いいよ、そんなの……。また塗ってあげるから」
加州清光は色の剥げてしまった爪を見て、ため息をつく。
審神者は落ち込む加州清光の頭をぽんぽんとなで、なぐさめる。
「ところで主……いつから聞いてたの」
「あはは……清光には、バレてたか……」
「影がね、見えてたから。あいつはわかってなかったけど」
審神者は声を詰まらせながら、無理やりにわらう。
加州清光は自分がやってもらったと同じように主の頭をなでて、また、ごめんと謝る。
審神者はぐうぜんこの部屋の前を通りかかり、がたんっ、と襖にものが当たってひびく音を聞いた。
だれかがふざけて遊んでいるのかと思い、叱ろうと障子に手をかけた、が、様子がどうもおかしいことに気がついた。
聞こえてきたふたりの声はいつもに増して荒っぽく、障子に手をかけることすら躊躇させられた。
ふたりの前の主、沖田総司と自分を主軸に揉めている声が聞こえてきた時には、思わず審神者の心臓の動きはばくばくと加速していった。
審神者は、安定から好まれていないとは思っていたが、まさか自分の手元から離れたいほどにいやがっているとは思っていなかったのだ。
盗み聞きはいけないことだとわかっていたが、審神者の足は動かなかった。いや、動揺して動かせられなかったというのが正しいか。
刀を引き抜く音が聞こえて、ようやく我に返り、部屋に踏み込んでいまに至るというわけだ。
「ごめん……聞くつもりはなかったんだけど……」
審神者はこらえきれず涙声になってしまう。ぽたり、ぽたりと加州清光の着物を涙で濡らした。
ふだんは強気で明朗な審神者だが、いまばかりは少々弱気になってしまう。
「あいつが悪いんだ……あいつが、素直にならないから」
「安定は悪くない。……安定の不安を取り除けないわたしの力不足だよ」
「は、ちがうって……」
審神者の言葉を否定しようと加州が言いかけたところで、審神者はからだを離すと、まだ涙のとまらない目を手の甲で拭きながら立ち上がる。
「……マニキュアとってくるから、ちょっと待っててね」
そう言って審神者はマニキュアを部屋からとってくると、一旦剥がれた部分を除光液で拭き取り、加州の爪にまた新しく色を塗っていく。
気が立っていた加州も、これ以上審神者を不安がらせてはいけないと思ったのかいつも通りの表情に戻っていた。
「ありがと、主。……あの、さ、あんまり気にしないでよ。あいつってば扱いにくいやつだけど、本当にそんなこと思ってるわけじゃないから」
加州はそう言うと馬当番があると言って部屋を去っていった。
気にするな、と励まされても審神者の心にはしこりが残ったままであった。
* * *
審神者の心にはわだかまりが残ったまま、夜更けが訪れた。日々の日誌を書いている手が、ふと止まる。やはり安定のことを考えてしまう。
自分が死んでも人と思われていたことがショックではないと言えば嘘になる。
仲良くしようと安定には積極的に接していたが、それも迷惑ぐらいにしか思われてなかったのかもしれないと考えるとますます気落ちした。
審神者は安定の顔を思い出そうとするが、どれもこれも出てくるのは困ったような顔か、無理やりに、がんばって笑っているような表情ばかり。
大和守安定は人を選ぶ刀と言われている。ならば過去に安定を使っていた人物は、沖田総司はどんな人なのか。
沖田総司のことを調べようと、審神者は机上のノートパソコンを立ち上げて、沖田総司に関する文献をあさる。
前の主のことだから、安定でなくとも加州清光に聞けばよいのだが、気にしなくていいと言ってくれた彼に聞くのはどことなく気が引けた。
安定があれほど慕っているのだから、よっぽど強くて、優しい人格者なのだろう。資料をあさると、まさにその通りの話がおおく出てくる。
「こんな魅力的なひとのそばにずっといたんだ……忘れられなくて当然か……」
誰に対しても人当たりがよく、子ども好きで、陽気な人であったらしい沖田総司。それに剣術の腕もたつときた。
もしも明日起きて、安定がいなくなっていたらどうしようと、そう考えると胸が痛む。
安定が加州と喧嘩をして、部屋を出ていったとき、泣きそうな顔をしていたことをを思い出す。
あの涙は自分のせいだ。安定の心境を考えるといたたまれない。
机に突っ伏し、安定にとっての最良とはなにかを考えるが、頭の中は感情がこんがらがってなにも思い浮かばない。
安定のことを考えれば考えるほど、昼下がりに言っていた言葉が忘れられなくなる。
――また、苦しくてしかたがないんだ。
自分がここに呼び出したせいで安定を苦しませているのかもしれない。そう考えると、涙がこぼれてきた。
悩んでいるうちに、朝方になり、布団にも入らず机に突っ伏したまま結局、寝落ちしてしまう。
まだ季節は春先。冷たい風が、障子の隙間から入り込んでいた。
* * *
「えー、今日の……へっくしゅん! ……部隊と、ん゛んっ、内番を連絡します……」
審神者はマスクをしながら、せきでかすれた声で刀剣たちに連絡事項を述べる。
短刀たちは主さま、主さま、と心配そうにかけよるが、審神者はふらふらとしながらも大丈夫、といつもより晴れない笑顔で答えるだけ。
馬当番を命じられた安定と加州は、馬小屋の床をほうきで掃いている。
馬小屋より少し離れたとこにある、畑の仕事を手伝う審神者を心配そうに見つめるのは大和守安定だ。
その視線に、加州はため息をついて安定を小突く。
「ほら、やっぱり主が気になってるじゃん。うそつき」
「だっ、だって……風邪ひいてるのに、外なんか出て、もしものことがあったら……」
「もしも?」
「風邪が悪化して変な病気にかかったら……沖田くんみたいに……」
やはり、大和守安定は沖田総司をいまの主に投影してしまっている。
大和守安定は遠くから主をじっと見つめ、ほうきをぎゅっと握りしめる。
「主は主。沖田くんは沖田くん。ちがう人間なんだよ」
「うるさい……わかってるよ……」
「全然わかってねえよ。いつまでも混同しちゃってさ……。お前は自分が傷つきたくないから主から逃げてるだけだよ。自分勝手だよ、そういうの……」
加州はほうきによしかかりながら、主を見つめつつ、安定に昨日のことを話す。
自分たちの喧嘩を聞かれていたこと。それを聞いて審神者が自分に責任を感じてしまっていること。
安定はそれを聞いて俯いてしまう。まさか聞かれていたとは思っていなくて、審神者を傷つけてしまったことにひどく罪悪感をおぼえた。
ふたりがぼうっと主を見つめていると、主はこちらに歩いてきた。
はたから見ると、ふたりはサボっているようにしか見えないふたりを注意しにきたのだろうか。
加州と安定は慌てて掃き掃除を再開させる。
「ちゃんとやってる?」
審神者はいつも通りの笑顔を浮かべてふたりの仕事の様子をチェックする。
「やってるってば。それより、風邪は大丈夫なの?」
加州は心配そうに審神者の顔を覗きこむ。
安定は審神者から目をそらしたまま、掃き掃除を続けている。
気になって聞き耳はたてているが、どうしても話しかけることはできない。
「うん。大丈夫、大丈夫。薬飲んだから調子いいよ。んんっ……それより清光、これから出陣してもらえる?」
「もちろん!」
「安定も、これから遠征に行ってもらうから。頼りにしてるよ」
審神者に名前を呼ばれてびくりと安定は肩を震わせる。
それから、ろくに返事もせず、ほうきをおいて足早に立ち去ってしまう。
安定のまったく変わらない態度に、加州は呆れ顔で額をおさえている。
「ったく……あいつってば」
「ははっ、まいったなあ……」
安定は足早に自室へ戻ると、遠征のための支度をする。
審神者をいざ前にすると、どういう返事をしていいかわからなくなってしまい、なにも言わずに立ち去ってしまった。
加州が言っていた、審神者は昨日の話を聞いていたと。つまり安定の、審神者に対する罵詈雑言も聞かれていたということだ。
顔向けができなかった。それに、風邪のせいとは思えない、赤く腫らした目をみると、もしかして自分が泣かせてしまったのではとさらに罪悪が積み重なっていった。
加州の言うとおり、いまの主と前の主はちがう人間だと、安定も理解しているつもりだ。
思考も、生き方も、からだもなにもかもがちがう。だが踏ん切りをつけられず、安定は沖田総司を主に投影してしまう。大切で、いい人だと思うからこそ面影をみてしまう。
笑い方や自分たちの扱い、苦しいのに無理をしているところ、そういうところに前の主の面影を感じてしまって、安定はそのたびに主から目をそらしてきた。
すべては、大切なひとに二度とおいて逝かれたくないという恐怖心のせいだ。
そんなは気持ちは捨てなければならないと、安定もわかっていた。なのに恐怖の感情を捨てられない自分が腹立たしい。
「安定さん、そろそろお時間です」
「……わかった」
一緒の隊の短刀が障子越しに大和守安定に声をかける。
籠手をはめ、羽織を着て、刀を腰に下げる。
ただの遠征だ。いつも通りやって帰って来ればいいと、不安定な精神を落ち着かせる。
遠征部隊の見送りに審神者の姿はなかった。ほかの刀剣に休んでるよう言われたのだろうか。
審神者の身をあんじながら、大和守安定率いる遠征部隊は出立した。
今回の遠征は延暦寺周辺の見回りだ。
見回りとはいってもほとんどすることはなく、寺周辺を警護し、時間まで何事もなければ報酬をもらい本丸へ戻るだけなのだ。
延暦寺までたどり着き、伝達通りに配置を行い、敵部隊に備える。
短刀たちはふたり一組となって、それ以上のものはひとりで見回りを行う。
大和守安定も暗がりの境内で行灯を持ちながら、周囲を警戒する。
遠いこの地にきても、安定の心にあるのはいまの主である審神者のことだ。
仕事をしにきているのだから忘れようとしても、審神者の具合はどうだろうかだとか、可哀想なことをしてしまったと後悔の念ばかり浮かんで仕事にならない。
こうなったらはやく審神者の元へ帰って、自分の正直な気持ちを伝えて安心させてあげたいと、審神者の笑顔が見たいと、大和守安定が思った矢先のことだった。
「大和守、敵襲じゃ! じきそこまで来ちゅう!」
「?! 嘘だ……いままでそんなことは……!」
血相を変えた陸奥守吉行が安定のもとに現れ、敵襲を知らせる。
いままで何度遠征に来ようと見回りは平穏のうちに終わったはずだった。それなのになんと間の悪いことか。
かつてなかったことが起こり、部隊も、延暦寺を焼討ちするはずであるこの時代の人間も混乱している。
歴史修正主義者に焼討ちを阻止されれば、それ以降の歴史も大きく変わってしまう。それだけはなんとしてでも避けたいことだ。
「どうする大和守、部隊にゃ最低限の戦力しかおらんが……!」
「一旦引いて、本隊を呼ぶしかない。……陸奥守、他の子たちを連れて本丸まで戻ってくれ」
安定は部隊長として陸奥守にそう指示する。
この部隊は遠征のための編成になっており、戦をするのにはどうしても不十分だった。
本隊を引っ張ってくるほかにここを打破する方法はない。それを理解しての判断だった。
「おんし……自分はどうする気じゃ」
「僕は君たちが無事に帰るまで殿をつとめる」
「阿呆か! ほがなことしたらおんしは……」
陸奥守は無茶を言う安定の肩を掴む。
振り向いた安定の唇はゆるやかな弧を描いていた。
戦自体を楽しむような、人を斬ることが楽しみであるかのような、笑みに思わず陸奥守もぞくりとさせられる。
「――それ、僕をだれの刀だったか知ってて言ってるの? うだうだ言ってないで早く行けよ」
安定の言葉に、陸奥守は気をつけろ、とだけ言って安定の元から去る。
敵の大軍はすぐそこまで来ている。狙いはやはり自分ら政府側の人間と、延暦寺焼討ちを目論む織田の軍勢。
安定ひとりでどうにかなるわけではないが、味方を背に、ひとり戦場に立つ。
一気に敵軍が流れこんでくると同時に、延暦寺に篭っていた軍勢も戦を仕掛けてくる。
軍勢のなかに紛れ込、ひとり、ふたり、と次々に鮮やかな身のこなしで安定は敵をさばいていく。
足元はあっという間に壊れた刀の残骸だらけになったが、敵勢はとどまることなく延暦寺に押し寄せてくる。
目の前の敵に気をとられていると、横から飛んでくる弓矢に刀装が剥がされ、安定を守るものはなにひとつとしてなくなってしまう。
からだに痛みが走る。燃えたぎるような熱い痛みが、からだを蝕む。だが敵は待ってはくれない。
上から斬りかかってきた敵の腹を斬り捨て、後ろを振り向くと、もう味方の姿は見えなくなっていた。
安心して、一息つくと、自分を大きな影が覆うのがわかった。
見上げたときにはもう遅く、頭上から大太刀が振ってくる。
それをぎりぎりのところで受け止めるが、打刀とはまったく異なる重圧は、細い安定ではこらえきれそうにない。
しばらく持ちこたえていたが、大和守安定は刀を弾き飛ばされ、その場に倒れこんでしまう。
「くそ……こんなところで……」
地を這って、弾き飛ばされた刀のほうへと手をのばす。
生きて、主の元へ帰らなければならない。まだ伝えていないことがたくさんある。だが大和守安定のからだは重たく、思うように動いてくれない。
ようやっと刀を手にし、それを支えにして立ち上がるが、大和守安定のからだをいたぶるように敵は容赦なく斬りかかってくる。
「ごほっ……!」
ふたたび斬り倒されると、からだの中から液体がせり上がってくる。それを吐き出すと、手は真っ赤に染められた。
胸の辺りがぜえぜえとうるさい。呼吸もままならず、からだが軋んでいるのが、いやでもわかる。
「喀血するなんて……まるでっ、……沖田くんみたいだ……」
空に腕を伸ばし、なにかを掴むかのように手を握る。
視界はぼやけ、意識も朦朧としてきて、いま自分の周囲がどのようになっているかすらもわからない。
(ここで死んだら……やっと、沖田くんのそばに……)
思い浮かんだのは亡き主、沖田総司への未練だった。
沖田総司が亡くなった時、大和守安定はともに逝けないことをひたすら悔やんだ。
そのまま生き延び、新しく審神者に仕えた時もその気持ちは変わることがなかった。
しかしいつからか、いまの主と沖田総司の姿は重なり始め、失うことへの恐怖がよみがえった。
頭をなでられるのだって、褒められるのだって、頼りにされるのだって嬉しかった。だが大和守安定はそれを口に出すことができなかった。
言ってしまえば審神者がより愛おしくなってしまう。その気持ちはいつも、ひっそりと押し殺していた。愛したひとを失うことの恐怖心から逃れるために。
そんな恐怖心も情念も、ここで壊れてしまえば、無になくなってしまうだろう。もう苦しい思いをすることもなくなるだろう、自身が壊れる境目でそう思った。
「……自分勝、手で、……ごめん、ね……あるじ……」
最後にもう一度だけ、彼女の笑顔を見たかった。胸にひっそりと思いをひそめて、大和守安定のまぶたはゆっくりと伏せられる。
助けにきた味方の声は、届かなかった。
* * *
大和守安定は浅葱色の羽織りを着た男性を追いかける。
追いかけてもまったく距離は縮まらず、ただ自分の息が切れるだけ。
それでも安定は、自分の最期の場所を求めた。
だが彼は呼びかけにも振り返らず、どんどん見えなくなっていく。
それでも安定は走り続け、彼の名を叫び続けた。
しかし、その歩みを止めように、背後から手を掴まれる。女性の、細くて、白い、よく知っている手だ。
その手のほうへ振り返ると、女性は涙を流して大和守安定の手を両手で握り締める。
「いかないで」
涙まじりの声にはっとなった安定は、気がつけば女性のほうへ向き直っていた。
――そうだ、彼女を泣かせてはいけない。
そう思った途端、安定の夢ははっと覚めた。
真っ先に目に入ったのは、自分の手を握る審神者のやわらかな手だった。
泣きはらした顔をして主は寝ていて、肩には毛布がかかっている。
主の姿をみて、生きて帰ってきたことを実感し、また泣かせてしまったと。
「…………あるじ……もしかしてずっとここに……」
「……んん、っ……や、安定、っ大丈夫?! まっ、待ってね、いま……」
安定の声に気づいたのか、審神者は目を覚まし、慌てた様子で立ち上がろうとする。
立ち上がるために離そうとする主の手を、安定は無意識につなぎ止める。
「安定……?」
審神者は安定が引き止めると座り直す。
安定は無理やり上半身を起こすと、審神者がからだを支えてくれる。
われながら情けないと安定は思ったが、話をするならいまがいいと、いましかないと思った。
「僕、君に謝らなくちゃいけない……」
「……怪我のこと? 怒ってないよ、無事に帰ってきてくれただけで……」
「そうじゃなくて、昨日の……その、話なんだけど……」
審神者は大和守安定の手を握ったまま、大和守安定の話に耳を傾ける。
「……僕は、沖田くんが死んじゃった時、すごく悲しくて、怖くて、こんな気持ちは二度と味わいたくないと思った。沖田くん以外の主はいらないって、本当に、ずっと思ってた」
安定の、沖田総司を想う気持ちはつよい。
自然と溢れてくる涙が止まらない安定の背中を、審神者は落ち着かせるようにさする。
「それから、君が現れて、優しさに触れるうちに、……またひとを好きになって、君が僕を置いていってしまうことを、何度も考えた。……一生懸命君のことを嫌おうとした……君がいなくなった時、自分が苦しまないように……ほんと、自分勝手だよね……」
堰を切ったように、大和守安定は言葉を連ねていく。
審神者はそれを黙って聞き、ただ無言でうなずいている。
「僕……主のこと大好きだよ。失うのが怖くて、主の優しさからずっと逃げてた。……ごめんね……」
安定は恥ずかしげに笑いかける。
審神者は本心を話してくれたことがたまらなくて、安定に思い切り抱きつく。怪我などお構いなしだ。
それほどに安定の言葉は審神者にとって嬉しいものであり、心に染み入った。
「いッ、たたた……主、痛いってば……!」
「ごめんね、安定……そんなに苦しんでいたなんて知らなかった。わたしが、安定のことをもっと理解してあげらていたら……」
「主のせいじゃないってば……。あーもう……泣かないでよ」
「ふふっ、安定も泣いてるくせに」
お互いに涙を拭っていると、なんだかおかしくなって審神者はわらいはじめる。
安定は、審神者の笑顔をみて心底ほっとした。自分の見たかった笑顔が、いまここにあることが嬉しかった。
そして、自分も気兼ねなく笑えていることに、これでよかったんだと納得した。もう、ひとの死に怯える必要はない。
「さっき、起きる前、夢に沖田くんと主が出てきたんだよ」
「えっ、沖田さんとわたし?」
「うん。僕はね……沖田くんを追いかけてたんだけど、主の手が僕をつなぎ止めてくれたんだ。それで、いかないでって言われて、目が覚めた」
大和守安定が思い出したのは目覚める前の夢の話だ。
夢を見ている最中は確信を持てなかったが、あれは間違いなく前の主、沖田総司と、いまここにいる主の姿だった。
この話を聞いて、審神者は驚いた顔で大和守安定の顔をみつめる。
「主が僕を生かしてくれたんだよ」
「ひとの夢に出るのってなんか照れちゃうなあ……」
それでも嬉しそうにはにかむ審神者を、今度は安定のほうから抱き寄せる。
ぴたりとふたりの顔がくっつくと、安定はなにやら違和感を感じて、顔を離し、怪訝そうな顔で主を見る。
ぽかんとした顔の審神者の額に、ひんやりとした大和守安定のてのひらがあてられる。
「……主、すごいからだが熱いけど」
「えっ、いやあ……ははは」
審神者はごまかすように笑うが、安定には通用しない。
いまが何日の何時かはわからないが、主はおそらくずっとここにいたのだろう。
安定が出立する前、審神者は風邪をひいていた。それが悪化していてもおかしくはない。
「だれか、だれか!」
「わっ、ちょっと待って安定、しーっ!」
動けない大和守安定は大声で叫び、ひとを呼ぶ。
審神者は必死でそれを止めようとするが、すぐに部屋の外から足音が聞こえて、障子がひらく。
現れたのは安定と同じ沖田総司の刀であった加州清光だった。
「おっ、目ぇ覚めたの」
「まあね。それより、主連れてってよ。すごい熱ある」
安定は主のからだを自分から引き剥がし、加州に引き渡す。
「げっ、まじで?!」
加州清光も審神者の額に手をやると、やや呆れたような表情で主の顔を見る。
審神者はばつがわるそうな顔でふたりから目をそらす。顔色から察するに、熱があることは黙っていたようだ。
「主……風邪はなおったから安定の傍にいるって言ったんじゃなかったけ」
「そ、そんなこと言ったかなー、はは」
どうやら審神者は熱が出ていることを黙って安定の部屋にきていたようだ。
熱があったら放っておかない者が大勢いるはずなのに、果たしてどうかいくぐったのか、いささか謎である。
「ほら清光、主をはやく部屋に戻してよ。こじらせたら大変なんだから!」
「もー……心配性だなあ。安定、ゆっくり休んでね」
「うん、主もはやく直してね」
加州清光に連れられて、審神者は名残惜しそうに大和守安定の部屋を立ち去る。
ぱたん、と障子がとじて、足音が遠のいたのを確認して、大和守安定は布団に横になって、ふかい息を吐く。
主の手のぬくもりと感触が忘れられず、つないでいたほうの手をひらいたり握りしめたりする。
脳裏からはやっと見れた主の笑顔が頭から離れない。
もう二度と、あの笑顔を曇らせたりしないと、そう心に誓って、安定はふたたび深い眠りに落ちていくのであった。
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