1.Fimbulvetr



 これが夢であることはもうわかりきっていた。
 高塔柏真は夢が夢であることをつねに自覚していた。しかし、夢のなかでの自分は、ただ物事をぼうぜんと見ているだけの存在であった。
 感情はある。けれども夢は思い通りにはならない。からだは勝手に動くが、声がでることはない。
 一般的に自覚があり、自在に動かせる夢を明晰夢と呼ぶが、柏真のこれはすこし違う。

 ああ、今日もまたあの夢を見ている。
 舞台はいつも決まって夕方の教室だ。時計はいつも午後五時あたりを指していて、窓のほうを見れば雨が降っている。けれども雨の音は聞こえない。もう生徒が下校したあとの、がらんとしたただの教室であった。
 そのなかにいつもひとり立ち尽くす少女がいて、その容貌はいつも変化がない。
 柏真は彼女を知っている。
 彼女はこちらを向いているが、表情はいつも歪んでぼやけて、はっきりと確認できない。
 いつも目をこらして顔をみようとする。けれどもいつも、口元が動いているのだけがなんとなくわかるぐらいで、彼女がいまどんな表情をしているのかはまったくわからないし、なにを言っているのかも、柏真には検討がつかない。
 なにかを言い終わって、彼女の顔はまっすぐ前を向いている。柏真はいつも目が合っているような感触を感じたが、そう思っているのは自分だけなのかもしれない。
 ここで彼女の動きは止まる。まるで映像の停止ボタンを押したかのように、不自然に止まっている。
 止まってからしばらくして、暗闇が彼女の背後からせまってくる。いつも暗闇は彼女を飲み込んでいく。
 その光景をみて、柏真はいつも暗闇に消えゆく彼女を追いかける。追いつけないとはわかっていても、からだが勝手に動くのだからしかたがない。
 自分はなにかを言おうとしている。しかしその言葉はいつも喉の奥にへばりついて声にはならない。柏真の夢には音が許可されていない。
 暗闇に消える彼女の顔は最後だけ、もやがとれたようにはっきり目に映り、瞳から流れている涙だけが印象にのこる。
 伸ばした手が届かないまま、柏真の夢は終わってしまう。


 目が覚めたと同時に、不快感が柏真のなかをかけめぐる。
 高塔柏真は多くの夢をおぼえているが、なかでもこの夢が一番きらいであった。
 頭から血の気が引く感覚と、どっと溢れだす冷や汗もきらいだ。不意打ちで高いところから落とされるような感触が心を汚染していく。
 まだ頭が回らない、ぼんやりとした気持ちの中、携帯電話で時計を確認すると、目覚ましをかけた時刻より二十分以上過ぎていた。目覚まし時計はどうやら無意識のうちに止めていたらしい。
 柏真は夢の余韻にひたる間も、絶望する間もないまま飛び起きて、ナイトテーブルに置いてある指輪を取って、左手中指に嵌めながら部屋を出ていく。
 この指輪はただの指輪ではない。正式にいえば装飾品の指輪ではない。

 指輪のようなこの装置のことを「Revival of Psyche in the Past」、略して「R2P」と呼ばれている。元々は戦争の道具であった。
 ふだん人間は、持っている四分の一ほどしかエネルギーを使ってないと言われている。それを強制解除し、あらゆる身体能力を強化する。人間に用いる増幅器のようなものだ。
 さらにこの装置は、「蘇生世界」を作り出し、「過去のものを蘇生する」ことができる。蘇らせる遺物は様々な効果を有し、それが人を攻撃する力になった。
 やがてR2Pは軍人のみならず一般人にまで広がり、人々もそれを戦う道具とした。R2Pが市民にも浸透した頃、いつしか戦うことは強者を見分ける術となっていた。
 戦う者、すなわち「騎士」が増えたころには、国が正式な戦いの場「ラグナロク」を用意し、その頂へ座る者は「デウス」と呼ばれ崇められ、栄光を手にした。
 騎士はデウスを目指す。栄光を渇望し、私利私欲のために。国はいつしか強者が支配する国へと成り果てていた。
 ――弱者の生きづらいこの国で、高塔柏真もまた、デウスを目指す騎士であった。

「Rain(s)」
 此れは、雨では流れ落ちない縁を背負った人の物語である。