3.Andras



 高塔柏真が演習場を出てすぐの渡り廊下で男女の喧騒が目にはいる。
 喧騒といっても、女のほうが一方的に男をどなりつけているのだが。
「うそつかないでください! 如月センパイが食べたんじゃないですか、あたしのマシュマロ味プリン!」
「だから……お……、僕は食べてないって。万が一、食べてたとしても、名前も書いておかない君が悪いね!」
「そんなへりくつ言ってないで買って返してください! あれ限定品なのにぃ!」
「僕の知ったことじゃないね」
 マシュマロ味のプリンだとかいう奇妙なものを何者かに食べられて怒っているのは同じ騎士団で後輩の伊江色恋朱だ。
 その容疑をかけられているのが柏真と同クラスの陽如月。如月が甘味好きなのは柏真もよく知っている。
 喧騒の内容は柏真にはとてもくだらなく映ったが、食べられた本人はいたって真面目なのだろう。
 如月をにらんで低くうなっている恋朱は、その手に武器である大鎌をしずかに蘇生させる。
 口で言ってもわからないのなら力ずく、というなんともわかりやすい思考回路で動くのが伊江色恋朱だ。
 こんなところでおっ始められたら、同じ騎士団である柏真としてもたまったもんではない。さらに学校での肩身がせまくなってしまう。
「おいおい、やめろって恋朱。如月も……勝手に食ったなら謝るぐらいしろよ」
「あ、高塔センパイいたんですか? あたしちゃんと見たんですよ、この目で! このひとがあたしのプリン……」
「だから食べてないってば!」
 選ばれてから数週間、Rainsは周囲からあからさまに敬遠されている。
 それなのに校内で仲間内で揉めごとなんて起こされても、変に目立ってまた周囲から孤立してしまう。
 普通を重んじる柏真としては避けたいことのひとつだった。
 けれどもこのふたりもまた普通とは対極に位置する人間で、柏真の思惑なんてものは理解されない。
 柏真が間に入ってもまだふたりはいがみ合っている。後輩相手に如月のなんと大人げないことかと柏真は呆れてしまう。
「たった何百円かだろ。買ってこいよ、如月」
「…………わかったよ。けど、どれかわからないから恋朱……ちゃんにはついてきてもらうよ」
「人のモン食べたくせにわからないってどういうことですか! ばかなんですか!」
「……君にバカって言われたくないね。ほら、行くよ」
「もうー、男の隣歩くなんてまじでサイアク!」
 恋朱はぶつぶつ言いながら先に歩く如月のうしろを早歩きでついていく。
 喧騒の解決に柏真ははあ、とため息をつく。
「大変だな、後輩たちのお守りは」
 背後から笑いを含んだ口調で声をかけられる。
 びくっとして後ろを振り向くと、先ほど屋上にいた九澄始が立っていた。
「後輩たちって……後輩は恋朱ひとりだけだろ」
「お前……あれが本当に如月だと思ってたのか?」
 あれが如月ではなくて誰なのか、と反論しそうになったが、柏真は先ほどの「如月」との会話の内容を思い出す。
 かわいい女の子には優しい如月があんなにぶっきらぼうに、いくら男は全員が敵思考の恋朱といえども、彼女を突き放すような言い方をするだろうか。
 それに甘党の如月がコンビニの新商品を食べておいてわからないなんて言うはずもないし、如月の性格ならばばれてしまったらすぐに白状するはずだ。
「あー……睦月にはかわいそうなことしたな……」
「まあ、ホンモノが悪いんだけどね、ホンモノが」
 ようやっと理解した柏真をはじめはけらけらと笑い飛ばす。
 先ほどのあれは如月の姿をした睦月だったのだ。
 年齢も一歳しか違わず、背丈もほぼ同じ、顔のパーツもそっくりの陽兄弟を見極めるのは普段一緒にいる人間でも困難をきわめる。
 普段は髪の分け目でふたりを判断している柏真は、先の人物を如月だと信じて疑わなかった。
 ふたりを判断するには、声のトーンや不完全な口調、話の内容に対する受け答えで判断するほかない。
 ところで、とはじめは話をすり替える。
「妃央ちゃんとはなにを話した?」
「……べつに、大したこと話してねえよ」
 いやな話題を振られ、柏真の顔がくもる。
 人に話すような内容でもない、いつものようにすこしの言い合いがあっただけだ。
 柏真は自分と妃央の関係性に干渉されることがあまり好きではなかった。
 干渉されて、他人に妃央とのことに意見される度に、自分に劣等感を感じてしまうからだ。
 それを踏まえた上で、九澄始は妃央のことを聞いてくるのだからとてもたちが悪い。
「まあ、まーた喧嘩してるかと思って様子を見にきたんだけどよ、口喧嘩だけで済んだみたいだな」
 柏真も、妃央に関してだけ言えば先ほどの恋朱たちを止める権利がないぐらい喧嘩っ早い。
 はじめは、柏真と妃央がまた無駄にエネルギーを消費していないかを確かめに演習場へむかっていた最中であったらしい。
 それも柏真からしたら大きなお世話なのだが、はじめに諌められて頭に上っていた血がすっとひいていくこともあるので、あまり大きな口は叩けなかった。
「でも、言い争いもいい加減やめてもらわないとな。このままじゃ、うちの騎士団は負けるだけだ」
「……どうせあいつは、こっちが手を差し伸べても払いのける女だよ」
「果たして本当にそうかな。他の奴らもまー問題はあるけど、やっぱり妃央ちゃんと柏真が一番やっかいだ」
「……悪かったな、やっかいで」
「そう思うなら、はやく妃央ちゃんに手を差し伸べて仲直りの握手でもしてもらいたいね」
 ああいえばこういう。柏真はもともと人よりも口が達者ではない、口下手な人間である。
 口喧嘩では妃央にだいたい完敗であるし、はじめにもすぐ言い返されてしまう。
 妃央のことを話していると苛ちがつのって、腕を組んで指でトントンと小刻みに揺らしてしまう。
「……しかたないだろ、俺もあいつも昔っから意固地だから」
「意固地っつーか頑固? ほんと昔っからそっく……」
 はじめが話している最中で、柏真の携帯電話の着信音が鳴った。
 慌ててポケットから取り出すと、液晶には着信、陽睦月と出ている。
 柏真は先ほど、濡れ衣を着せられたことに対する怒りの電話かと思いつつ、おそるおそる電話に出た。
「もしもし」
「『如月』だけど」
 如月のふりをした睦月からの電話だ。
 ふたりが柏真の前から立ち去ってからそうしばらく経っていないので、近くにまだ騙されたままの恋朱がいるのだろう。
 電話でも如月のような明るい声を真似している睦月の声音にはやや怒りが含まされているような気もした。
「……さっきは悪かったな、睦月」
「その件に関しては怒ってるけど……今はいいから、このまま聞いて。できるだけ人を集めて来てほしい。二条通りのコンビニにいるから。このままじゃゲームが始まりそうな予感がする」
「まさか、うちからふっかけたのか?」
「……半々だよ。とにかく急いで」
 睦月は端的に述べると一方的に電話を切る。
 まず柏真は一番近くにいたはじめにそのことを伝える。 
 はじめはあちゃー、とわかりやすいリアクションをとり、携帯電話を取り出す。
「とりあえず片っ端から電話かけるわ。柏真はホンモノの如月に連絡とって」
「わかった」


 結局、棺乃深早と槇下華未結は捕まらず、それ以外の四人で如月のふりをした睦月と恋朱の待つコンビニへと向かった。
 そこには別の学校の男子学生と揉めている恋朱と、それを諌めようとしている如月のふりをした睦月の姿。
 そして、おそらく買ったばかりであろうプリンがプラスチックのスプーンごと恋朱の足元に落ちている。真っ逆さまに転落したようで、口にいれることはもう不可能だろう。
「如月!」
 まだ恋朱にとっては一緒にコンビニに向かった相手は如月なので、柏真はそう呼びかける。
 睦月は呼ばれて後ろを振り向くと、柏真の後ろにいた兄の如月を一瞬睨んでから、恋朱を一旦引き剥がしてこちら側に歩いてくる。
「イヤーッ! 触らないでくださいよ、気持ち悪い!」
 如月にワイシャツの襟の部分を引っ張られ、恋朱は青ざめた顔で暴言をまき散らす。
「うるさいなあ」
「どうしてこうなったんだよ」
「いや、説明するとすっごいくだらないんだけどね」
「くだらなくなんかないです!」
「恋朱、お前はとりあえず黙ってろ」
 口をはさんでくる恋朱を妃央が落ち着かせて、睦月は柏真らを呼んだ理由を話し始める。

 ――睦月と恋朱が無事最後の一個であったマシュマロ味のプリンを購入し、コンビニから出た。
 恋朱はさっそく、とその場でプリンについているふたを剥がし、食べながら歩いていた。
 しかし、そんな恋朱たちの正面から周りを見ていないような、たいそうガラの悪い複数の男子学生が歩いてきて、恋朱の肩に勢いよくぶつかった。
 体格はもちろん男子生徒のほうが大柄で、ぶつかった勢いも軽いものではなかった。
 恋朱の手からプリンが投げ出される。気づいた時にはもう、プリンは地面と仲良しになっていた。
 お店に置いてあった最後の一個だったこともあり、恋朱は激怒した。如月がやったことも含めれば、二度も台無しにされているのだ。まあ怒るのも無理はない。
 だがその後の行動が問題だった。
 恋朱は、ぶつかって謝りもしない男子学生の背中を思い切り蹴飛ばしたのだ。
 R2Pを起動していない状態であったのがせめてもの救いなのか、男子学生はその場に倒れこむだけで済んだのだが。
 落ち着け、と睦月が言っても恋朱はとうぜん聞かない。それどころか、般若のような顔で「如月センパイは黙っててください」と一蹴されてしまった。
 もちろん、男子学生らは暴力をふるった恋朱に突っかかってきて、このままじゃまずいと思った睦月が柏真に電話して今に至るというわけだ。

「しかもあいつら、こいつの知り合いだったみたいで」
「恋朱に男の知り合い……? あいつ、どこかで見たことがあるな」
「…………」
 妃央が男子学生のひとりを見て、考えていると、恋朱はぶすっとした顔で黙ってしまう。
 男子学生集団の男がひとり、こちらに歩いてくる。
 身長は高校生の平均よりやや低めで、体格のいい男子学生のなかから出てきたのでやけに目立つ。
 体格はよくないが、周囲はその男に敬意を払っているようで、どうやらリーダー格であるようだ。
 男はわざわざ屈んで、恋朱の顔を覗き込み、にやりと笑う。
「よう、久しぶりじゃねえか、恋朱」
「…………あたしはあんたなんかしらない」
 恋朱はすぐに妃央の背後に隠れ、男を拒絶する。
「ヒデェこと言うな、むかしは拳で語り合う仲だったじゃねえか」
「うるさい! それより、あんたのツレのせいであたしのプリンが台無しよ! いますぐ買って返して!!」
「てめえが歩きながら食ってたのがわりーんだろ。どうしても弁償してほしけりゃ……オレに勝ってみな」
「あったりまえよ! あんたなんか昔みたいにぎったぎたのぼっこぼこにしてやるんだから!」
 鼻息荒く、恋朱は男との勝負に乗ってしまった。
 騎士団に所属している騎士の喧嘩は騎士団全体の問題だ。
 やっぱりこうなったか、と睦月は頭を抱えた。
 その様子をひょうひょうと眺めていた九澄始は感心したように口を開く。
「あいつは……悪魔の森のマスター、森永可夜か。むこうもラグナロクに参戦してるね」
「ということは……」
 ラグナロク参加騎士団同士のゲームはただの喧嘩じゃすまされない。
 勝敗が記録され、進退が左右される。
 しかもRainsにとっては初戦。このゲーム、落とすわけにはいかない。
「騎士団同士のゲームは個人の裁量じゃあ決められない。このゲーム、もちろんやるよな? Rainsマスター、泡良妃央」
 森永可夜は目線を妃央のほうに移し、挑発かのようににやりと嗤う。
「当然だ。恋朱は思い通りにならんとぐずってやかましいのでな、このゲーム勝たせてもらうぞ」
 そんな言い方をされて引き下がる妃央ではない。余裕のある笑みで答えを返す。
 ラグナロクにおいてついにRainsの初戦が始まる。――この大戦の旅路とプリンを賭けて。