3.Andras



 前回の戦いから一週間もしないうち、仙桃綾子は天翔学校から姿を消した。
 親の都合、と説明づけられていたが、Rainsに敗れてこの学校に居づらくなったというのがもっぱらのうわさである。
 三年生で権威をふりかざしていた仙桃綾子が敗北したことで、Rainsに手を出せる者はいなくなった。

 ラグナロクが開戦してすでに八日が経っていた。
 しかしRainsは未だどこの騎士団とも戦っておらず、戦績に傷もなければ誇るものもない。
 現在はラグナロクの一次予選段階だ。県内でもいくつかの区域にわけられており、その中で勝敗を競う。
 もっとも勝利数の多い騎士団が二次予選に勝ち上がれる。いたってシンプルなルールだ。
 二次予選に勝ち上がるためにはなんといっても勝利数を増やさなければならない。そのためなら行動は早いほうが良いはずだ。
 だが、Rainsの支配者である泡良妃央は一向に行動を起こそうとはしない。

 八日目の放課後、高塔柏真は屋上に向かっていた。
 諸事情により昼休みに昼食を摂ることができず、やっと落ち着いた放課後に食事の時間というわけだ。
 その手には手のひらサイズの長方形の箱も握られている。
 白を基調とした箱には赤い円の中にアルファベットが書かれており、箱の横には健康に悪影響を及ぼす、だとか、依存の恐れがある、と警告の文章が羅列されている。
 しかしそれを握る高塔柏真の顔は明るい。シンプルで小洒落た柄の箱の正体はだれが見ても明らかだ。タバコである。
 この男、一時は喫煙すると決めたが、実際やめていた期間はわずか三日。いわゆる三日坊主というやつだ。
 屋上へつづく階段をあがる軽快な足取りがはた、と止まる。
 聞いた覚えのある声がふたつ聞こえた。男女の声だ。なにやら会話をしているが、その内容までは聞きとれない。
 柏真の聴覚に間違いがなければ、片方は柏真と相性の悪い人物の声だ。
 足音がこちらに近づいてきて、ドアがぎい、とひかれる音がする。
 ドアの間から出てきた少女をみて、柏真は自身のただしい聴覚にうんざりした。
 とっさに手に持っていた箱をポケットに隠し、無視を決め込もうと視線をわざとらしくそらす。
 柏真は何事もなかったかのように階段に足をかけ、無視するように目をそらしてかつ、かつ、と階段をのぼる。
「用が終わったら第五演習場へこい。話がある」
 開口一番、高圧的な言葉が柏真の耳をつんざく。
 柏真はぎろり、とすれ違う少女を睨みつけ、あからさまに嫌な顔、眉間にしわを寄せて威圧する。
「はあ?!」
「来ないという選択肢は与えんぞ」
 いらだちを隠そうともしない柏真に対して、Rainsのマスターである泡良妃央はひるみもせず、フン、と鼻で笑って階段を降りていく。
 妃央が柏真の横を過ぎ去った瞬間、先ほどタバコを隠したポケットに違和感を感じる。
 ポケットをたたくが箱が収まっている感触はない。慌てふためいて周囲を見渡す。
 まだ開封したばかりの箱はまたもや泡良妃央の手におさめられていた。
 挑発するように、妃央は箱を振ってみせる。から、から、とまだ何本か入っているタバコの揺られる音がする。
「あまいな」
 これで泡良妃央にタバコをとられるのは二度目である。
 ばかにされて、思わず頭に血がのぼった柏真は、大きい足音をさせて階段をのぼり、屋上へつながる扉をあけた。
 途端にごうっ、とつよい風がふき、柏真の金色の髪の毛は乱れてしまう。妃央に与えられた腹立たしさもあいまってイライラがさらに募る。
「なんかすっげー足音聞こえたけど?」
「うるせーな」
 屋上のフェンスに背をあずけて携帯電話をいじっている九澄始が柏真に問いかける。
 しかしいらだってそれにすら触れてほしくない柏真はぶっきらぼうに一蹴してしまう。
 そんな柏真に始は携帯電話から視線をはずし、にやりと柏真に笑いかける。
「さては妃央ちゃんになんか言われただろ」
「うるせえっつってんだろ!」
「図星だな、図星」
 八つ当りされているのにも関わらず始はひょうひょうと言葉をかえす。
 柏真はいらだったまま菓子パンの袋を開け、かじりつく。甘くて美味しいはずなのに、怒りが勝って味すら感じない。
 始はこれ以上柏真の逆鱗に触れるのは面倒だと思い、話題を変えるために話を振る。
「そろそろゲームしねえとなあ。なんといっても勝利数が鍵だし」
「まあな。つっても一次予選すら勝ち上がれるか微妙だけど」
 一次予選はなんといっても参加騎士団の数が多い。
 その中で勝ち抜ける騎士団は上位一位から最大でも三位までだ。
 現実的な思考を持つ柏真は一次予選突破すらあやしいと踏んでいた。
 天翔学校での選抜騎士団「Rains」は過去に何度も予選を突破しているエリート校だが、そう何度もうまくいくはずがない。
 周囲は期待の目でみるやもしれないが、当の本人である高塔柏真は騎士団での勝利には大してこだわりがなく、さめた気持ちを抱えていた。
 大衆の目の前、世間体を考えて、デウスになれるものならなりたい、とは言うようにしている。そうでなければこの学校に入った意味がないのだから。
「俺はけっこう期待してるぜ?」
「はあ? まじかよ」
 意外な始の言葉に柏真は拍子抜けしてしまう。
 しかし九澄始の場合、その言葉が本当かどうかもうたがい深い。
 始の言葉はつねに冗談か本音かあいまいだ。
 そのままの意味で受け取るか、別の意味合いを勘ぐるかは個人の自由だが、柏真は基本的には始の言葉を真に受けない。
 フェンスに身体をあずけたまま、始は自身の発言に驚いている柏真に対しさらに言葉を続ける。
「俺はこの騎士団なら、なれると思ってるよ」
「ははっ。お前って案外、理想家だったんだな」
 柏真は始の言葉を冗談だと判断して笑い飛ばす。
「笑うなんてひどいねえ~。思ったことを言っただけだよ、俺は」
 始はあくまで軽い口調をくずさない。
 柏真はパンのかけらを口に放り込み、フルーツの味に加工された乳飲料をストローで飲み干す。
 ストローから口を離すと、へこんでいた紙パックがぼこ、と音をたてる。
「じゃあ、なんでお前は強くなろうとしてるんだ。デウスになることなんかどうでもいいって口ぶりだけど」
 始の口ぶりはわざとなのか。紙パックを握っている柏真の手に思わず力がはいる。
 柏真は以前の、Rainsの面々は発表されて食堂で顔を合わせたあの日、デウスになりたい理由を語る自分以外の人間に違和感を感じていた。
 けれども、はたから見れば自分の違和感のかたまりでしかなのだ。
 強さとは権力を得るもの。そういう風潮のこの世界ではむしろ柏真のような存在のほうが少数派だ。
 人は贅沢だ。一を求めるだけでは飽きたらず、二、三、と手をのばす。
「『あいつ』に勝ちたいからに決まってる。それ以外、俺が力をつける理由なんてねえよ」
 この答えに誘導されているような気もしたが、柏真は正直に答える。
 食べ終えたパンの袋と飲料の紙パックをゴミ箱に投げ入れ、柏真は屋上を立ち去ろうとする。
 話があると呼ばれているのだ。気はあまり進まないが、いかなければいかないでまた厄介なのだ、あの高慢ちきの少女は。
「本当に好きだねえ、妃央ちゃんのこと」
 いらだちを焚きつけるように始は余計な一言をつけ加える。
 さすがにここまで意識させられるのも腹がたったので、柏真は始の挑発を無視して屋上を去った。



 Rainsになったことを知らされたあの日とまったく同じく、底冷えした演習場に呼び出された柏真は、わざと勢いよく扉を開けた。
 そこに蛇の女はただひとり座っていた。柏真が訪れたことに気がつくと立ち上がり、目を合わせる。
 妃央にじっと見つめられ、柏真は引き込まれるように目を合わせてしまう。
 少女の眼力は合わせるものを威圧するが、それと同時に吸い込まれるような魅力もある。彼女がメドゥーサ、と異称される最たる理由がその眼力だ。
「なんのために貴様は強くなろうとしている」
 妃央は九澄始と同じ質問を柏真し、それを聞いた柏真はデジャブを感じて嫌な気分になる。
 その言葉はもう聞き飽きた。
「そんなこと……お前に負けたままじゃいられないからに決まってるだろ!」
 また、同じように答える。
 しかし先と違うのは、その対象が目の前にいるということだ。
 妃央は鋭い目線を下に伏せて、ため息をつく。
「つまらない、実につまらない。いつまで過去に囚われているんだ。あの頃から結局、ぜんぜん成長していないな」
 自分の想いをつまらないと、そう一蹴されることにどれだけのストレスがあるだろうか。
 柏真はこれまで、妃央に勝ちたいがために己の戦闘技術を磨き上げてきた。
 それが妃央によって否定されることは、長年の自身の努力までもが否定されている思いだった。
 柏真にはとりわけ目立った才能がない。それがコンプレックスでもある。
 泡良妃央というはたから見れば才能の塊のような女を倒すことは不可能かもしれないと何度も思った。
 けれども、妃央に勝ちたい、と根底にある意識は一度もブレなかった。
「――いいよな才能のある奴は! 俺を見下して、ばかにして、さぞかし楽しいだろうよ」
「才能だと?」
 妃央はその言葉にひっかかり、柏真へ詰めよる。
 先ほどまでのすました顔とは一変して、険しい表情をしている。
 怒りの琴線に触れてしまったことに気づいた柏真は妃央から後ずさる。
「わたしは強さを才能だけに理由づける奴は嫌いだと、とうの昔に言ったはずだぞ。その空きのある脳みそに今一度よく叩き込んでおけ」
 それだけ言うと、フン、と妃央は鼻をならして演習場から出て行ってしまう。
 柏真の予想では、妃央は上から目線で高らかにふんぞり返って言葉を返してくると思っていたが、まったく予想外の返答で、調子が狂わされてしまった。
 なんのために呼ばれたのか、妃央の意図がまったく汲めなかった柏真は「なんだよ」と独り言を呟いて、頭を掻く。
 とうの昔、と言われても柏真にはまったく身に覚えがない。
 しん、とした演習場は妃央がいなくなったことで次第に暖かみを取り戻していき、柏真も静かに演習場を出て行った。