1.Fimbulvetr



 私立天翔学校の昼はおそい。
 ぞろぞろと沸くように集まってくる生徒たちはおのおの食堂で学食を購入したり、持ち寄った弁当を開いて食事をしている。
 食堂で日替わりのAランチ頼んだ柏真は、隣でミートスパゲティを元気よく頼んでいる陽如月とはわりと仲のよいほうで、食事も一緒に摂ることが多かった。外ハネした黒い髪に左目は隠されている。白い素肌に長い下まつ毛と黒い目がよく映える。柏真と身長はあまり変わらないが、だいぶ細身で、山のようになって出てきたミートスパゲティを食べられるのか見てるほうが不安になるほどだった。
 今日はそれに加えて、先日同じくRainsに選抜された青年、九澄始がいた。柏真は始との付き合いはそれなりに長かったが、それでも素性については詳しく知らない。九澄始という人間は自身を隠したがるくせに人のことを知りたがる性格で、友好関係も老若男女と非常に幅広い。自分が教えた覚えがなくともいつの間にか彼は知っている。あらゆる人間から情報を売り買いしているらしく、柏真はその彼の性格をあまり快くは思っていなかった。
 柏真はふと、昨日帰りがけに理事長、松原蘭に言われた言葉を思い出し、彼らに問いかける。
「そういえば昨日さ、理事長に『あなた達にはデウスになる理由がある』って言われたんだけど、なんだったんだろうな」
「……なんだそりゃ、理由?」
 デウスという地位の力はかなり巨大なものだと言われているのは柏真も知っていた。
 地位、富、名声すべてが手に入り、なんでも願いが叶う真に強き者として崇められるデウスという地位はそれはもうただの平民からすれば目がくらむような存在であった。
 それになるべき「理由」とは。
 柏真のなかで妙に引っかかっていた疑問が、仲間中にも広がる。
 松原蘭の言う理由というのは、柏真には富や名声のことを言っているのではないような気がしたのだ。もっと別のものを指している気が、だとしたらそれは一体何であるのか。
「お前らはさあ、なんでデウスになろうとしてんの?」
「俺? うーん、俺はまあ、権力に憧れるお年頃、って感じ?」
 始が本当のことを言うはずがない。そうわかっててあえて質問したのだが、あまりにしょうもない返答に柏真はため息を吐いてから本日のAランチのメインであるトンカツを口に運ぶ。
「あっ、僕もそんなかんじかな!」
「お前らまともに考えてねーだろ……」
 始の答えに便乗した如月が、ふざけながらそう答える。
 行き先が不安になる回答だらけだが、これでも始と如月は柏真よりも実力が上な、いわゆる優等生なのである。人格はどうであれR2Pの実力に関しては。
「じゃあ柏真はどうなのさ」
 如月はミートスパゲティをフォークでくるくると巻きながら柏真に質問を返す。
 自分の答えを用意していなかった柏真は白米の入った茶碗に箸を刺したまま、数秒ぼうっと考える。
「…………まあ、なんとなく」
「お前だって適当じゃねーの」
「う、うるせーな!」
 お互いくだらないことで笑い合う普通の高校生男子の日常である。Rainsという特別な騎士団に選ばれても、高慢になるわけでもなく、いつもと変わらないふたりに柏真は安心していた。
 しかし柏真がふと視線を外した先に見えた外野の顔は普通ではなかった。これっぽっちも顔に表情がないのだ。瞳孔が開いた目だけが、柏真たちを凝視しており、黒目がぎょろりと顔から浮いているように見える。
 柏真たちにとっては普通の会話だったかもしれないが、他の人間からすれば普通の会話ではない。特別から洩れた人間の静かな憎悪がこれほど醜くおそろしいものだと、柏真は気づかされた。
 Raisに選ばれるということは妬み嫉みの種になるということ。敵はこれから戦うであろうラグナロクに参戦する騎士団だけではないことを思い知った。
「おい、周りの目、やばいって」
 柏真は小さな声で如月と始に伝えるが、ふたりはそんなこともお構いなしに笑い飛ばす。
「大丈夫だってー、みんな僕たちには敵わないってわかってるから」
 調子よく如月はわざと大きな声でそう宣言する。
 外見は女の子みたいだと言われいる彼の性格がだれよりも悪魔そのものであることは柏真もよくわかっている。それでも煽るのはよくないと思ったが、止めるすべもないので諦めて食事を再開した。
 始は携帯電話をいじりながら食事をしていると思うと、食べているカレーライスのスプーンを口から離してやや遠くをみている。
「おーい、睦月!」
 睦月、と始に名前を呼びかけられた青年はムスッとした顔で柏真たちがいるテーブルのほうへ近づいてくる。
 その容貌は陽如月と瓜二つである。彼らは兄弟であり、重ねていえば兄弟でRainsに選ばれていた。
 陽睦月。兄の如月よりひとつ年下で、困り眉の兄と違ってつねに怒っているような表情をしており、髪の分け目も兄とは逆にしているため、彼は右目が隠れている。あまり自分から喋ることはなく、人との意思疎通をあまりしたがらない性格ではあったが、R2Pの実力は兄には優らずとも、確かなものだった。
 睦月はクリームパスタが乗ったトレーをテーブルに置くと、自身もイスに腰掛けて無口なまま食事を始めた。兄弟揃ってパスタとはなんとも見事な偶然である。
「睦月はさ、なんでデウスになりたいとかあるのか?」
 柏真は先ほど話のネタになっていた質問をぶつける。
「べつに、なりたいわけじゃない」
 睦月はパスタをスプーンの上で巻きながら簡潔に答えた。
 その回答は柏真をぎょっとさせるもので、柏真は半笑いでその答えを聞き流した。心なしか周囲がざわついた気がしたが、それも耳に入れないようにした。
 如月はそんな弟のまぶたに青あざができているのに気づく。
「睦月、その目どうしたの」
「……知らない人に絡まれた」
「おいおい大丈夫かよ」
 淡々と答える睦月に一応の心配をしてみる柏真ではあったが、睦月は平気そうな顔でスプーンの上で巻き終わったパスタを口に放り込む。
「如月のフリして切り抜けたから大丈夫」
「えっ、ちょっと、ひどくない? ねえ、はじ……あれ、いない」
「……あっち」
 睦月が指をさした方向をみると、いつの間にか席から立ち上がってた始がふたりの女子生徒に絡んでいた。
 槇下華未結と棺乃深早。先日Rainsに選ばれたふたりだった。
 始はどうやらふたりを一緒に食事を摂らないかテーブルに誘っていたらしい。
「あんたたち男ばっかりでむさいわねぇ」
「ええー、深早ちゃんひどーい! こんなにかっこいい男がいるのに!」
 棺乃深早。薄暗い茶髪の乱れた髪型になにをみているのわからない紫色の瞳、制服を着用せずに白衣を羽織って、素足にどこのものかわからないスリッパを履いている彼女の姿はまさに異端そのものだった。だが彼女の場合、異端なのは容姿だけではなかった。彼女は、凡人の表現で言えば天才というべき知性を持っており、その頭脳に関する噂は尽きることがない。なおかつ非常に怠慢かつ自由奔放な性格で、学校にいないこともしばしばだった。
「あーら、イケメンなんてどこにいるのかしらねぇ?」
「なんだか珍しい光景ですね。これから先、しばらくは一緒に行動するのでしょうけど」
「そうそう! だから仲良くしないとね、華未結ちゃん?」
「え、ええ……」
 きな臭い笑みの始にぽん、と肩に手をのせられて圧倒されているのは槇下華未結だ。すこし気が弱い少女ではあるが、このRainsのなかで誰よりも上品かつ聡明で、よい意味で異質の存在であった。
 始をさっとかわしてイスに腰かける華未結は、真ん中分けでよくみえる額をおさえて、食事を摂らずにじっと下を俯いている。
 しばらく俯いていると思ったら、びくんっ、と体が痙攣するように跳ねた。
 学校内では有名だった。彼女は人が変わる、と。