1.Fimbulvetr



 それは合図だった。顔を上げた時には、彼女は別人になっていた。
 先の優しげな眼差しとは異なり、攻撃的な目つきになり、行儀悪く箸で向かいに座る始を指した。
「九澄てめえ、あたしの体に馴れ馴れしく触りやがってボケが!」
 気弱そうな彼女からはとても想像できない口ぶりである。
 激しい剣幕の彼女に降参状態の始は両手をあげて、苦笑いをしている。
「ごめんごめん、結未華ちゃんー!」
「その薄汚れた手を二度とこっちに向けんじゃねえ」
 それだけ言うと結未華は黙々と食事を始める。
 槇下結未華。槇下華未結の体を支配するもうひとりの人格は時折出てきては自分の体に害を及ぼしそうな人間を寄せつけまいとする。
 自身を守る存在である彼女は非常に好戦的で、口調もたいそう悪く、華未結とはとことん対照的な存在だった。目つきも異なれば口の曲がりかたも違う。しかし彼女のことを知らない人間から見れば、菖蒲と杜若を比べるようなこと。
「ねえねえ、深早ちゃんと結未華ちゃんはデウスになりたい理由ってるある?」
 如月に問いかけられると、深早と結未華は顔を合わせて数秒考えたあと、ふたりはそれぞれ答えを出す。
「金」
「権力」
「あのさあ……今まで聞いてきたなかでいちばん薄汚い答えだよ?」
「だってぇ、ねぇ?」
「ああ、深早なんてうちの若い奴らの車に当たり屋してみごと儲けるぐらい金が好きなんだぞ!」
「結未華……事実だけど変なこと言っちゃだめよぉ」
 隣に座る結未華にしーっ、と口の前に人差し指をあわせる。事実だと自分から言っている上に周囲の人間にはもろに聞こえてしまっているので、そのジェスチャーはまったく意味がなかった。
 それに結未華の口からもふつうに生活していれば聞けないようなフレーズが聞こえたが、だれも触れることはしなかった。彼女の家がどういう家か、だれもが知っている。
「なぁに話してるんですかあ?」
 深早の顔を覗きこむように現れたのは真っ赤の髪をショート丈に切り揃えた、おさなさの残る少女だった。
 誰よりも大きな橙色の瞳をしており、頭にはこれまた大きな黄色のリボンをつけている。そんなどこにでもいるような風貌の少女は、深早の隣に腰をおろす。
「デウスになりたい理由、ですって」
「ええー! そうですねー、あたしはぁ、妃央様のお役にたちたいだけなので妃央さまがデウスを目指すならあたしも目指します!」
「はは、恋朱ちゃんらしいなあ」
「人の名前気安く呼ばないでください、如月センパイ」
 睨みつけるように、恋朱と呼ばれた少女は厳しい剣幕を如月に向けた。
 如月にだけこうなのではなく、伊江色恋朱は男にならば誰に対してもこの調子であった。彼女は自称男性不信で、男に対してはとことん冷徹に接し、近づこうとも近寄らせもしない。また、女性であろうとも自分より弱い人間にはまったく興味がなく、ただひとりとある人物だけを妄信的に崇拝している。そしてその、盲信する力だけでRainsの一員とまでなってしまった彼女はよく言えばだれよりもひたむきで真っ直ぐな性格である。
「だれかわたしの話をしたか!」
「あっ、妃央さま!」
 どこからともなく現れた碧色の髪の少女。 先日柏真を完膚なきまでに叩きのめした彼女こそ、この騎士団「Rains」を束ねる者、マスター(支配者)であった。
 つねに自信たっぷりで余裕そうな顔をしている彼女は、崇拝対象が現れて目を輝かせている恋朱の向かいに腰をおとす。
 恋朱は目を妃央一点に集中させたまま、彼女に対して自分が問いかけられたのと同じ問いをする。
「妃央さまは、どうしてデウスを目指しているんですか?」
「恋朱よ、わたしがならなくてだれがデウスになるというのだ」
 まるで当然かのように即答した。
 泡良妃央は誰よりも自分に対して並々ならぬ自信を持っていた。容姿に対してもR2Pの実力に対してもだ。彼女のあまりに自己愛的な態度に、人はよく彼女の性格をナルシストと嘲弄した。
 彼女の物言いは自分自身の首を絞めているようにも聞こえるが、彼女ならきっと成し遂げてしまうのだろう、そんな不可思議な安定感すらも感じた。一種のカリスマ性というものなのかもしれない。敬遠する人間にはとことん敬遠されていたが、彼女の力強い物言いに惹かれる人間もまた多かった。その代表的な人間が後輩の伊江色恋朱である。
 Rainsのトップ、つまりこの学校でのトップを柏真は自身の敵として見据えていた。彼女の背中は誰よりも遠い。普通であることがとりえでもある高塔柏真が彼女の背中に追いつける日は自分でも見えなかった。
 彼女が目の前に現れるとどうも気持ちが穏やかではいられない。柏真は妃央が現れたことをスルーしてサラダの中にあるミニトマトに箸を突き刺した。
「ちょっとー、トマトに箸刺さないでよ」
「いいだろべつに……」
 箸に刺さったトマトを口に放り込む。如月に注意をされたが、柏真にとってはどうでもよかった。
 この場にはすでにRainsの八人が集まっており、周囲に放つ異質感は相当なものであった。その証拠に、Rainsが座るテーブルの周囲には人が寄りつくことはなかった。力で上に立つということは人に嫌われることも兼ねている。多少はしかたがないと言えども、これまで一般人面をしていた柏真にとっては居心地のよいもではない。柏真はとっくのとうに理解していた。自分はこの八人のなかでもっとも平凡で、どちらかといえばRainsに対して嫉妬の念を燃やしている一般人に似ているということを。しかし異質だらけのなかに普通が存在するこの感触は柏真以外の誰かが理解しえるものではない。
 それに、「デウスになりたい理由」に対するそれぞれの回答について、柏真は不透明さを感じていた。ここは、デウスを目指す騎士を育成する特殊な学校である。自分の意思でこの学校に通っているのだから、なりたい理由があって当たり前だ。それなのに、今ここにいる人間は漠然とした希望しか語らない。ブラフだらけの言葉があまりにも気味悪く、柏真のなかの彼女らに対する異質感はますます増幅した。

「さーて、昨日予告してたとおり、腕試しのゲームといきますか」
 カレーライスをたいらげた始が片肘をつきながら話しはじめる。
「えぇー、私やっぱり見学じゃだめぇ? 寝不足でぇ……」
「貴様の寝不足はいつものことだろう、深早。しのごの言わずにだまって参加しろ」
 嘯いて逃げようとする深早を妃央は逃がしはしない。彼女は妃央とは異なり天才であるが故のサボり癖がついている。
 深早はわざとらしくため息をついて観念すると、コーヒーを啜って食事をさっさと終えてしまう。
「じゃあ妃央ちゃんの命令ということで全員参加で。チーム戦にしようかね」
 そういうと始はよくある柄のトランプを八枚どこからか取り出し、皆の前に差し出す。
「黒が四枚、赤が四枚入ってる。さ、ひいてひいてー」
 呼びかけるとトランプはあっという間に始の手元からなくなっていく。
 それぞれがトランプを表にすると結果は明らかになる。妃央、如月、槇下、睦月が黒のトランプ。柏真、深早、始、恋朱が赤のトランプ。
 何度か戦っていてお互いを知っているとはいっても、手の内なんぞいくらでも隠して戦えるのがこのRainsに選ばれた騎士たちだ。遊びのようなゲームではあったが、仲間が自分にとって使える駒なのか見極める大きな機会であった。デウスにはひとりではなれない。だからこそ騎士たちは自分がデウスにのし上がるための駒を探している。
「じゃあ二時半に第一演習場でやろう。まあ、腕試し……お遊びだからね、本気でやるかやらないかはみんな次第ってことで」