1.Fimbulvetr



 午後二時半をすこし過ぎたところ。この学校のなかでも一番広い第一演習場にはRainsのほかにも野次馬のように生徒が集まっていた。
 全校生徒、とまではいかないだろうがそれに匹敵するほどのギャラリーに、泡良妃央はとてもご満悦だった。目立つことがなによりも好きな彼女は人に見られようがどんな状況だろうと自分を崩すことはない。むしろ人に見られることによってよりいっそう強さと輝きが増すタイプなのだ。
 一方柏真はというと、観客の多さにいまにも笑い出しそうな妃央を横目に、軽い準備運動をしていた。つくづく柏真と妃央は正反対だ。柏真は目立つことは嫌いだし、なんでも普通でいたがるきらいがあり、そこがよいところでもあり悪いところでもあった。柏真の左手中指に嵌められているR2Pはやや鈍い金色に光り輝いている。
 人間のエネルギーには十種類のエネルギーカラーがあり、装着する人間の色によってR2Pの色も異なる。R2Pがきれいに光り輝いていればいるほど、その使用者本体も元気であるということであり、エネルギーが尽きればR2Pは黒くにごり、自動的に解除されて敗者となる。柏真のR2Pがにごっているのは、一昨日に妃央と戦った凍傷がいまだに治っていないからだ。服で隠れてわからないが、脚は炎症が治りかけで、まだ皮膚はあかく爛れていた。焼けるような痛みに耐えるのはなれたが、どうも身体は本調子ではない。あまりやる気はないが、妃央にただで負ける気はさらさらない柏真は、加減をしながらゲームができるほど頭がよくはない。
 すこしでも痛みをやわらげようと脚をさすっていると、とつぜん影ができる。
「あんたねぇ」
「……なんだよ、深早」
 影の正体は天才、棺乃深早だった。深早が柏真に話しかけるなんてことは珍しく、柏真は思わず怪訝そうな顔をしてしまう。柏真はなにを考えているかわからない天才のたぐいはさっぱり苦手で、思わず目を逸らしての受け答えになってしまった。
「ソレ」
 深早が指をさしたのは柏真がさすっている患部だった。深早は腰をおとして、柏真の脚を人差し指で布越しにぐっと押すようにさわる。やっとおさまってきていた痛みが一斉に広がった。急な痛みに背筋に鳥肌が立ち、柏真は目を見開いて深早の顔を見る。
「なにするんだよ、お前は!」
「あら、治してあげたのよぉ。私、アンフェアはきらいなのよねぇ」
 不気味にわらう深早を横目に、パンツの裾をあげると、凍傷になっていた部分は見る影もなくふつうの状態に戻っていた。皮膚がやわらかく爛れてもいなければ、先ほどまでの炙られているような痛みも感じない。
 深早のアンフェアがきらい、という言葉は真に受けていなかったが、柏真にとってこれほど幸いなことはなかった。
「ど、どーも……」
「同じように妃央に負けるのはなしよぉ。治した意味がないもの」
 深早は怪我を見てもいないのに誰にやられた怪我かを当ててみせた。この凍傷は妃央に負わされた傷で間違いない。傷をみてもいないのに、触っただけで理解されたことに柏真は驚き、深早の挑発じみた台詞にかえす言葉もでない。
 ぼんやりとしていると、野次馬たちがはやく始めろと言わんばかりに喚きだす。あまりの人の声の多さに柏真は両手でかるく耳を塞ぎ、二階のアリーナ席のほうに目を向ける。自身がRainsに入れなかった怨念なのか、嫉妬なのか人間の悪いところを凝縮したような感情をつのらせた罵詈雑言がいやに耳にはいる。指を咥えて見ていることしかできない騎士たちのなんとあわれで醜いことか。己の欲を丸出しにした騎士のみぐるしさに、柏真は自分を重ねてしまう。そして、もしかしたら自分もあちら側になっていたのではないかと、ひっそり恐怖した。
「さーて、そろそろ始めますか」
「ルールは」
「制限時間三十分。倒した人数の多いほうが勝ち」
 秒針はゆっくりと時を刻み、十二の文字に一瞬ぴたりと秒針が合った瞬間だった。
「<わが水の息吹を糧に、この現へ御身をとこしえの時間から蘇らせることを許し給え――悪しき海の魔物、クラーケン>!」
 水の蘇生が演習場に響きわたると、大きな客船をもそのまま複数ある足で捕まえてしまいそうなほど巨大な、蛸のような頭足類が現れる。その粘液まみれの腕のひとつは柏真の体を掴み、天井のほうに持ち上げた。このままでは間違いなく地面に叩きつけられると確信した柏真は、素手でそのぬめる腕を掴んではみるものの、まったく掴めたものではない。さてどうしたものとか抜けだす方法を考えている間に、<クラーケン>の腕は無慈悲にも振り下ろされた。
「<わが雷の息吹を糧に、仕えよ――雷切>!」
 柏真がそう叫ぶと、身体にはいつも通り、電流が走る感触が駆けめぐる。この<雷切>、雷そのものこそが柏真の蘇生武器である。身体から放電できるため、非常に使い勝手がよく、さらに言えば自身が受けた雷の蘇生はある程度のものであれば体内に吸収することができる。その応用性は高く、ひとりひとりが異なる武器を持つこの世界ではたいそう恵まれたものだと柏真も<雷切>を自負していた。
 叩きつけられそうになった、天井から地面までのこの一瞬、柏真は<クラーケン>の腕を伝って身体に雷を流し込む。雷の蘇生は水の蘇生に強く、ほかの蘇生よりも攻撃が効きやすい。<クラーケン>はほとばしる雷の痛みに耐え切れなかったのか、柏真の身体を縛りあげていた腕は力が抜け、柏真は叩きつけられる寸前で体勢を立て直す。いくらR2Pを発動しているといえども、足が治っていなければこんな動きは無理だったので、深早にはいっそう感謝するほかなかった。
「……まだ足は治っていないと思った。が、だれかに治してもらったか?」
 <クラーケン>を蘇生した当の本人、水のエネルギーを持つ泡良妃央は薄ら笑みをうかべる。妃央の手に握られた蛇腹の剣は地面に叩きつけられてしなる。体勢を立てなおしたとは言っても、高いところから落ちればそれなりの衝撃が足にかかり、すぐに動けることはできなかった。剣先を柏真の右目に合わせた妃央は、微笑をやめて摂氏零度のつめたい眼差しを柏真へ向けた。
「腕試しとは言っても、わたしは手を抜くことがきらいだ。ラグナロクが始まる前に、おまえがわたしには勝てないということを、いま一度思い知らせてやろう」
「……そんなことわからねえだろうが!」
 挑発とわかっていても妃央に関してはやたらと短気になってしまうのが柏真のよくない性格だ。整えた体勢から雷の走る右腕で妃央を掴みかかろうとするが、彼女は血がのぼった人間に捕らわれるような愚鈍な人間ではない。すぐさまさっと左に避けると、柏真の胸に潜り込み、蛇腹剣を手放して柏真の右腕を素手で掴んで引っ張り、重心が崩れたのをさらに崩してから不安定な柏真の左足を外側に蹴り上げる。完全にバランスを崩した柏真は情けなくうつ伏せに倒され、左腕はひねりあげられ、用心深く右肩は足で抑えるように踏まれた。
 たった数分でここまで追い込まれた柏真はすこし顔を動かして妃央の顔を睨むのがやっとで、叩きつけられたことで衝撃を受けた心臓がどくどくと鳴り響いているのが無性に腹立たしかった。
「この世界ではわたしが上! おまえが下だ!」
 こんな現状から、妃央の言葉に言い返すほどの活力は柏真にはない。しかし――些細な反撃をすることはできる。
 ばちばちと放電を始めようとする音は妃央の手をあっさりと離させる。雷と水は相性がわるい。
「あまりにも脅威でないものだから忘れていたぞ、貴様のエネルギーカラーが雷だということを」
「……よく言うな、雷には人一倍ビビってるくせに」
 妃央もまた、煽られやすい性格だ。ほう、反応してみせると身体を起こした柏真の顔にずいっと近寄る。
「このわたしが貴様ごときにビビっているだと。とんだ勘違いだ」
「図星だろうが」
「ふん、たとえわたしが雷の蘇生に弱くとも、貴様より強いことは変わりないがな!」
 拾い上げた剣を、妃央は素早く振り下ろす。この至近距離で防ぐことはかなり難しい。妃央は近距離から中距離の攻撃に長けたタイプであるため、間を詰められては柏真の分が悪い。
 しかし振り下ろされた衝撃は、たった一枚のトランプに吸収されてしまった。盾としての役目を果たしたトランプはひらひらと床に落ちていく。
「柏真も妃央ちゃんも、これは一対一のゲームじゃないんだよ」
 トランプを柏真を守る守備兵として仕向けたのは始だった。攻撃を防がれたことが面白くないといったような顔をしている妃央は後方に向き直り、相変わらずの減らず口を叩く。
「ルールが理解できない馬鹿ではない。淡々とわたしを狙うおまえに、気づいていないとでも思ったか?」
 向き直った先にはくすくすとわらう深早がいる。妃央の頭上には彼女が仕掛けた医療用の刃物の数々が四方八方に散らばっていた。左手を空にかざしている彼女は妃央を狙え、と指示するように左手を振り下ろす。
 ぎらりと光る数多の凶器が妃央に向かって飛び込みはじめる。しかし当の本人はなんの問題もないと言わんばかりに口角をあげる。
「<わが光の息吹を糧に、この現へ御身をとこしえの時間から蘇らせることを許し給え――王の守護者、バステト>」
 そう詠唱が聞こえると、妃央を囲むよう全方位に生まれた光の壁は特攻してくる刃物をいとも簡単にはじいた。
 床に散らばった刃物をみて、深早は<バステト>を蘇生した陽兄妹の弟、陽睦月を睨む。
 しかし睦月のほうはまったく関心がなさそうにふう、とため息をつくだけで、深早のほうなど一切見なかった。
「<わが炎の息吹を糧に、仕えよ――ネルガル>!」
 火炎にまかれた大鎌を持った伊江色恋朱が突如、睦月を襲う。突如とはいっても、いまは敵同士なので相手の隙を狙うのは当然といえば当然なのだが。
 間一髪、詠唱の声に気づいて振り下ろされる大鎌をかわした睦月は、奇襲されてむっとした表情になる。
 一方の恋朱はというと、大鎌を片手で持って睦月にその刃を向ける。その顔はなんだかぐしゃぐしゃの涙目につり眉で、とても怒っているようだったが、睦月には恋朱の怒っている理由になどさっぱり検討がつかなかった。
「妃央さまを護るのはあたしの役目なのに!」
 どうやら同じチームの睦月が妃央を護った、という行動がそのものが許せなかったらしい。
 恋朱は走りだして、離れたところに避難した睦月をめがけて大鎌を両手で持ち直して横に振るう。
「……しらないよ。そんなこと」
 跳躍して恋朱の単純な攻撃を避けた睦月の背後に人の影ができる。
 それに気づいて頭上に視線をやるものの、時は待ってはくれない。
「<仕えろ、エース>」
 短い詠唱で現れた細身の槍を持つ始は、その槍を上から落とすように左肩を突くが、睦月が手していた弓、<天羽々矢>で阻止されてしまう。しかし上から圧力をかけられれば下で受け止めているほうは完全に不利だ。それに、始のほうが圧倒的に体格や筋力で優っている。睦月がそれに耐えられるのも時間の問題だった。しかし睦月はあくまでも苦しむような素振りは見せずに、じっと堪える。その顔には汗すら一筋も流さない。
 そんな後輩の余裕面を崩すために、始は一旦槍を持ち直すと下から上へ勢いよく振るい、睦月の弓をその手から強引に取り上げた。身を護るものがなくなってしまった睦月は、不快感をおもいきり顔にだす。顔になんらかの表情を出した時こそ睦月に隙ができた合図である。始はサングラス越しに笑ってみせて、今度こそと言わんばかりに、的確に睦月の左胸を狙い、再度腕を振り上げた。――しかし攻撃は未遂に終わる。突如飛んできた三叉の戟によって、始の槍は弾き飛ばされ、地面に大きな音をたてて落下した。
「ねえ、僕の弟いじめないでくれる?」
 さも怒っています、とでも言いたげな嘘くさい笑みを浮かべる兄を見て、弟は露骨にいやな顔をした。