1.Fimbulvetr



 陽如月には瓜二つの弟がいる。しかし性格や好みはまるで正反対なうえに、エネルギーカラーも如月が闇で睦月が光とこれまた対極だ。如月は睦月をとくべつ溺愛するわけでもないし、睦月も如月を尊敬の念をこめてみることはない。至ってふつうの兄弟である。
 如月の言動の節々には嘘がまざる。虚言を会話の中に混入させることで相手を惑わせ、自分のペースにするのが大好きなのだ、陽如月という人間は。外見は中性的で骨と皮だけで構成された、とても頼りない人物にみえるが実物はとんでもない。ひ弱にみえる自身の外見を利用することもある。そのくせして、中性的と言われることはあまり好まないらしい。
 如月は大きくあくびをして、思い切り腕を天に伸ばす。
「すごい眠たいからさっさと終わらせたいんだよねー」
「それは同感ねぇ」
 棺乃深早は薄ら笑いながら如月の言葉に同意しながらも白衣のポケットから無尽蔵に蘇生される医療用刃物を取りだした。
 如月も先ほど投げつけた槍を手元にふたたび戻し、軽く手首だけで一回転させる。
「だから深早ちゃんを倒してさっさと終わらせようかな、このゲーム」
「それはいいけれど、すこし間違ってるわねぇ。倒されるのはあなたよぉ」
 深早も如月も悪どい笑みを浮かべる。深早がポケットから取りだした無数の刃物を如月目がけて投げるが、如月は槍ではらいながら深早のほうへと跳びかかり一気に近づく。
 しかし避けられることも計算済みだったらしい棺乃深早はさらに鋏と注射器を手に持ち、突っ込んできた如月の鎖骨付近に鋏を投げ飛ばす。それは見事命中し、かすめた骨に痛みがじんわりと広がった。だんだんと血で赤くなっていくと同時に、その部位だけが熱くなる。よく見れば鋏は血液ではない別の液体ですでに濡れており、身体に異物が入ったと如月は認識した。だが鋏を抜けば出血は余計ひどくなるので、血中を食い荒らされるような熱い痛みにはそのまま耐えるしかなかった。
 けれども、天翔の魔女と呼ばれる棺乃深早の一撃はこれだけでは済まされなかった。
「なかでお肉を切っちゃいましょうかぁ」
 口角を歪ませふざけながら、深早は両手で鋏を閉じたり開いたりするジェスチャーをとる。
 すると如月の血肉に深く埋まっていた鋏がひとりでに動きだし、あろうことか身体のなかで大きく切る動作を始めた。じょき、じょきとさらに深く、深く身体のなかへ潜っていくと、肉と刃物がこすれ合って粘着質な音が体中に響きわたる。増長する痛みに、如月は声にすらださないで苦しみをぐっとこらえる。本当ならばのたうち回って助けを求めたいところだろうが、如月は大きく呼吸を繰り返すことで声をださず苦しみに耐えて自尊心を守っている。
 痛みを堪える如月の気持ちなんぞ微塵もわからない深早はさらにポケットから鋏を取りだし、注射器で刃の部分に液体をたらす。
「もう一本刺しても、あなた平気でいられるのかしらぁ」
「どうだろうね。ま、僕本体にはまだ一本も刺さってないけど!」
 如月の声は明らかに深早の目の前にいる苦しみ藻掻いている如月から発せられているものではなかった。もっと遠く、上のほうから聞こえた元気な声だった。
「……まったく」
 如月の弟、睦月は呆れた声音でアリーナ席を見上げる。にこやかな笑みを浮かべて手を振る陽如月が、アリーナ席のど真ん中に足を組んで座っていた。
 してやられた形になってしまった深早は、静かに顔をしかめて、鋏を床に叩きつける。
「いやあ、でも参ったよ。<ドッペルゲンガー>へのダメージはそれなりに僕にもクるからね」
 そうは言いながらも相変わらず人を小馬鹿にしたようなへらへらとした笑顔を浮かべている。どう考えても完全な嫌味である。
 如月が用いた蘇生<ドッペルゲンガー>はもうひとりの自分を作り出すものだ。どうみても本人にしか見えないそれは自分の身代わりをしてくれる優れものではあるが、如月が口にした通り<ドッペルゲンガー>が受けたダメージは蘇生した騎士本人にも跳ね返ってくるため、使い勝手はあまりよろしくはない。
 <ドッペルゲンガー>の如月に鋏が突き刺さった鎖骨のあたりをさすりながらアリーナ席から立ち上がると、転落防止の柵を越えて地面に着地する。
「守ってばかりじゃあつまらないし、そろそろ反撃といかないとね。……すでに攻撃の準備は整ってるみたいだし」
 如月が目をやった先には槇下結未華がいた。好戦的な性格をしているはずの彼女は目をとじて俯いている。
「<わが音の息吹を糧に、この現へ偉大なる旋律を奏でることを許し給え――リスト「愛の夢」第三番>」
 結未華がそう唱えると、天から光が差すような温かみのある鍵盤楽器の音色が響き渡る。その優美なる独奏曲は不思議と悲しくも聞こえ、人々の心を引き寄せた。
 それを奏でる彼女は慈悲深い印象を与えたが、するどい眼差しで鍵盤だけを見ている。
 旋律は盛り上がりをみせてから静かに終わりへと向かっていく。しかし音の蘇生は心を奪われれば最後。メインパートに辿りついた頃、人々はその蘇生の効果を実感する。その効果は戦っている騎士のみならず、観客たちにまで及ぶ。
 野次馬たちの声は次第に少なくなっていき、膝から崩れる者が次々と現れる。無差別なこの演奏は敵味方問わず有効だ、もちろん傍観者にも。
「くっ……!」
 なんとか結未華の音による攻撃を蝸牛神経を身体に流れる電気で麻痺させ、一時的に聴力を低下させることで防いだ柏真は結未華の演奏を止めるためにほかの誰よりもはやく攻撃を仕掛ける。
 結未華のほうへ駆けだしてはみたものの、それはいとも簡単に目の前に立ちはだかる少女によって阻止されてしまう。
「<わが水の息吹を糧に、とこしえの時間からめざめて力を示せ――洪水の竜、ガルグイユ>」
 長い首を持った竜、<ガルグイユ>は柏真の顔に近づき大量の水を吐きだす。聴力を麻痺させたせいで危機を察知するのが遅くなった柏真に、驚く間もなく溺れてしまいそうなほどの水が襲う。むせ返るような水を防いでなんとかして確保した視界に、<ガルグイユ>を蘇生した声の主の姿は見えない。辺りを見渡す余裕すら与えてくれない水量と水圧の攻撃に、柏真は身体に流れる雷を放電させるが、<ガルグイユ>はびくともしない。
 水の蘇生には雷の蘇生が有効だったはずだが、時として例外もある。
「本当は高塔センパイなんて助けたくないんだけど!」
 かわいらしい声が聞こえた途端、焼かれた大鎌が<ガルグイユ>の肢体をえぐり捨てる。咆哮をあげてその場に倒れこんだ竜は水を吐くのをやめ、動くことはなくなった。
 とどめをさすように竜の頭部を柄の部分で強く真上から叩きつけると、男嫌いの、黄色いリボンが揺れる。
「妃央さまのつかう蘇生の対処法も知らないなんてほんとありえないんですけど。<ガルグイユ>が火と十字架に弱いのはジョーシキです!」
「……悪い」
「まったくですよ、もう!」
 蘇生の弱点を後輩から教えられる羽目になってしまった柏真はバツが悪そうに、妃央を盲信する少女、伊江色恋朱に謝った。
 謝られた恋朱はというと、ちらりと横目で柏真を睨みつけてから視線をはずし、小生意気にもため息混じりで愚痴ってみせる。どうも妃央以外に対する彼女の応対は上下関係で自分が下だということを一切感じさせないし、へりくだったりすることもない。いやなところばかり妃央に似ていくな、と柏真は思ったが口にはださなかった。それは悪い意味でも彼女にとっては褒め言葉になりうるからだ。
「流石このわたしの傍にいるだけあるな、恋朱よ」
「妃央さま!」
「だが、背後をとられるようではいけないな」
 左手で刀を振り上げた妃央が恋朱の背後を急襲する。背後の悪寒に気づいた恋朱はすぐに立ち回り、大鎌の柄で重たい一撃を受け止めるが、足はずるずると後退してしまう。苦しげな顔の恋朱に涼しい顔の妃央は先輩としてまるで稽古をつけてやっているかのようだった。一旦刃が離れるが、すぐさま妃央は刀をかぶり直し、水平にして恋朱の肩を狙う。速い速度の剣の振りに、恋朱は屈んで避けるのがやっとで、後先のことを考えられていないのは明らかだった。
 妃央が持つ蛇腹の剣は刃がばらばらと崩れて鞭のような形状になって、屈んで身動きの遅れた恋朱の華奢な足首を絡めとりきり裂いた。腱の付近からはおびただしい量の血液がこぼれ落ちる。熱のこもった痛みに、恋朱は傷口をおさえて思わず涙目になってしまう。
 R2Pを発動させて「蘇生世界」を作っても、痛みはかわらず苦しい。身体のあらゆる面を強化する特性をもつR2Pといえども、ただ人の限界地点を伸ばしているだけに過ぎない。痛みに耐えられる時間は長くなるが、痛みを鈍らせるわけではない。しょせん人は無敵にはなれないということをつくづく理解させられる装置でもあった。
「<わが雷の息吹を糧に、この現へ御身をとこしえの時間から蘇らせることを許し給え――嵐の片割れ、シュガール>」
 先ほど助けられたのだから自分が黙っているわけにはいかない。そうでなくとも妃央には食らいつかなければならない理由が柏真にはある。負傷を抱えた恋朱を見下ろす妃央へ向けて真上から雷を放つ。
「フン、中途半端な嵐など……」
「<わが風の息吹を糧に、御身をとこしえの時間から蘇らせることを許し給え――嵐の片割れ、マリ>」
「……始か!」
「どーよ妃央ちゃん。これで嵐は完成したんじゃない?」
 始が柏真に続くように、嵐神のもうひとりを蘇生させると、雷に旋風が混ざり、演習場はあっという間に嵐に覆われてしまった。
 雷神、蛇の姿をした<シュガール>は妃央を食いつくさんとばかりに妃央の肩に噛みつき、<マリ>は雷鳴と嵐をさらに大きくして妃央の近くにだれも立ち入れないようにした。
 肩に牙が食い込むたびにぶつり、と皮膚と肉を引きちぎる音がする。妃央の血液が<シュガール>の牙にべったりとつき、その薄汚れた歯でまた妃央の血肉をむさぼる。けれども妃央はびくともせず、冷静な目つきで雷に包まれた<シュガール>の胴体を掴む。身体の神経がおかしくなってしまいそうな電流が身体に染みわたるが、彼女はそんなことは一切気に留めなかった。
「このわたしに一矢報いる夢は見れたか?」
 彼女はあざわらう。自分に牙を剥くすべての人に。