2.Astraia



「あなた方は己の行動を顧み、悪行を反省すべきです!」
 政治家の街頭演説でも始まったのかと思うほど大きな、凛々しい声でそう宣言された。
 さも自分たちが悪者かのように言われたRainsは当然おもしろくなく、声の主を一斉に見る。
 正義の番犬は睨みつけられても怯むどころか笑顔を浮かべ、言葉を続ける。
「そして正しい心で物事をよく考え、己がいかに未熟で不順な人間であるかを自覚すべきです。そして、自分たちは学校の代表に相応しくないと辞退すべきです」
 おそらく本来の目的であろう「辞退」を口にした番犬の口元はさらにつりあがる。ここまで喋れば喋るほど、品位を落とす下品な口はなかなかない。
 まちがいなく、この戦いはRainsに選ばれた者ならば通らなければならない洗礼であった。
 唯一ラグナロクに参戦できる権利をもつ学校代表のRainsが選抜されたあとの恒例行事とも言える、通称「椅子取りゲーム」はこの学校の生徒ならば知らないはずがない。
 席を奪うこのゲームになぞらえられている通り、決定したはずの代表者を退かすための諍いである。理事長の松原蘭もそれを容認しており、過去には数の暴力に圧倒されて代表をおりてしまった騎士もいる。
 今回の場合、正々堂々と挑んでくるだけ前例と比べるとましともいえるが、正義なんてきれいごとを並べている分たちが悪い。しょせん、やっていることはただの強奪だ。
 Rainsの長、マスターである泡良妃央は悦に浸る番犬を嘲りをこめて睨みつける。
「目的はそれか。下品な雌犬だ」
「つまり、妬み嫉みってやつですね。妃央さまに敵うはずなんてないのにバカなやつ」
 伊江色恋朱も尊敬する妃央につづいて、雌犬と呼ばれた番犬を罵る。
 雌犬呼ばわりされた少女は髪の毛をかきあげ、余裕そうに鼻で笑うと、胸ポケットから茶色の手帳を取り出し、ばらばらとめくる。
「泡良妃央さん、あなたの校外での行動はいささか目に余りますわね。そのような振る舞いが外に出ては当校の恥ですわ」
「貴様のような権力にすがり警察ごっこをしている雌犬にそんなことを言われるとは甚だ不快だな」
 すこし落ち着きを取り戻したらしい妃央は高慢をさらに上回る高慢で言い返すと、鼻で笑ってみせる。
 あっさりと反論された少女は、悔しさをこらえるような面持ちで摘発のターゲットを伊江色恋朱にうつす。
「伊江色恋朱さん、あなたは過去に素行の悪い他校生徒とつるみ、警察に補導される毎日を送っていたようではありませんか」
「はあ?! なんでそんなこといまさら……」
「陽睦月さん、授業の欠席が多く、先生からの評判が悪いそうですわね。ラグナロクに出ていてよろしいのかしら」
「……」
 少女は口々にRainsに選ばれた騎士の問題点を吊し上げ、指摘する。
 もともと口数の少ない睦月が黙秘していることはともかく、恋朱は完全に肯定してボロをだしている。
 恋朱の焦った顔に気をよくしたのか、少女の目は別の人間をうつし、一枚ページをめくる。
「棺乃深早さん、あなたに騙されたという報告があとを絶ちません。その頭脳を使ってなにをしていらっしゃるのかしら」
「私がなにをしようがあなたには関係ないわぁ」
 深早は自身のくせ毛をいじりながら視線も合わせず、しかし一応は答える。
 他人からとやかく言われることに対してなんの感情も抱かない性格の深早には彼女の攻撃はまったく効果がないようだ。
「九澄始さん、女性関係でのもめごとや金銭トラブルを多数抱えているようですわね。まったくふさわしくありませんわ」
「残念ながらすべて解決してるんだなこれが。情報が遅いんじゃあないですか?」
 始は胡散くさい笑顔で答えたあげく、嫌味まで添える。
 マイペースな深早の物言いと、始にこけにされたことが癇に障ったのか、少女は苛立った様子でまたページをめくる。
「陽如月さん、多数の女性から金銭を受け取っている姿を目撃されています。刑法に触れているではなくって?」
「いやだなぁ、ぼくはただくれるって言うからもらってるだーけ!」
 異性の前でしかかわいい素振りを見せない小狡い女のようにあまえた声をだして如月は返答する。
 その横にいた弟の睦月が、いかにも頭が弱そうな振る舞いにがっつり引いていることに、兄は気づいているのだろうか。
「くっ……! 高塔柏真さん、あなたは喫煙しているそうですが、そんな人間が学校の代表でよいと思っているのかしら」
「……たぶんそれ理事長も知ってます」
 柏真は喫煙というフレーズを出され、思わずぎくりとしたが、絡むとやっかいなのは目に見えているので適当に非を認めた。
 数々の経験からして、こういう挑発行為は流すにかぎると踏んでいる。一部を除き、売られた喧嘩は聞かなかったことにするのが柏真の信条である。ほんとうにごく一部を覗いてのことであるが。
 少女は手帳を閉じると、先程までなんとか余裕を保っていた様相があっという間に崩れ始めており、わなわなと震えているのがわかった。
 そして先程までとは打ってかわって、するどい目つきで槇下華未結を睨みつける。まるで威嚇しているようだったが、する理由はわからなくもない。
「槇下華未結、あなたはご自分の立場をわかっているのかしら!」
「家のことは私個人のことと関係ありません……。それに、私がラグナロクに参加してはいけないという決まりはありません」
 弱々しく、しかし自分の意見をはっきりと述べた華未結の言葉は少女にとって面白くなかったらしく、少女の手に握られていた手帳は歪んでいた。
 少女の下唇は己に噛まれて真っ青になっており、いまにも千切れてしまいそうだった。
 それほどにRainsの言動が許せないのか、はたまた自身のプライドが傷ついたことが許せないのか。
「も、もう許せません! このわたくし、仙桃綾子が、責任を持って正義の法のもとあなた方に罪を償わせます!」
「上等だ。この妃央様が貴様のような程度の低い人間に裁かれる者ではないことを思い知らさせてやろう」
 見えない火花がばちばちと弾けているような空気感が緊張をもたせる。
「ゲームの方法は『看守と囚人』。もちろん、わたくし達が看守。あなた方は脱獄囚ですわ」
「囚人を逃した情けない看守の汚名を自ら被ろうとするとはなんとも愉快だな」
「おっ、おだまりなさい!」
 ああ言えばこう言う、とはまさにこのこと。妃央はよっぽど雌犬もとい仙桃綾子が気に入らないのか、発言のすべてに茶々を入れる。べらべらと次から次へと出てくる罵倒語は尽きること知らずである。
 看守と囚人は、簡単にいえば鬼ごっこの一種とほとんど同じで、看守役は逃げ出した囚人役の過半数を時間内に捕まえることができれば勝利となり、囚人役は制限時間内に全員が捕まらなければ勝ちとなる。しかしそれ以外の場合はノーゲームとなる。
 R2Pを用いた戦闘のゲーム方法は子どもの遊戯がすこし改められたものがポピュラーである。どの国でも、年齢でも、分かりやすい、覚えやすいのが特徴的である。
 それゆえ幼い頃からR2Pを手にする子どもは多い。R2Pを使うことでコミュニケーションの輪が広がり、あらゆるものへ自然と興味が湧き、かつ身体を動かすことがほぼ必須となるので、子どもにとってはよい遊び道具になるのだ。
「……ゲームは一時間。必ず、あなた方からRainsの座を……い、いえ、敗北の言葉を引き出してみせますわ!」
「アンタ、この座がほしいのか?」
「……なんですって」
 仙桃綾子が声の聞こえた方へ視線を合わせると、そこには先ほどまで存在していなかった槇下結未華がいた。
 華未結の時とは異なる、目に戦うことへの興味を宿らせた眼差し。付け入る隙のない雰囲気。
 綾子は訝しげな結未華の言葉を再度聞き返す。
「アンタが勝ったらこの座をやるよ」
 まるで犬に餌をやるように結未華はその言葉を口にすると、綾子を挑発するように蔑みの笑顔を浮かべるのだった。