2.Astraia



「見つけたぞ!」
 柏真たちが階段を降りようとしたその時、駆け上がってきた男に指をさされる。
 なんて災難続きなんだと柏真は心底思い、敵を退けるために<雷切>を蘇生する。
 柏真と同じく面倒そうな顔をした妃央は刀を敵に向け、簡単に言い放つ。
「柏真。さっさと片してこの場を去るぞ」
「……なめやがって!」
 遠回しな挑発にまんまと引っかかった敵は刀を両手に持ち替え、一直線に妃央を狙う。
 階段を駆け上がる敵を余裕そうに待ち構える妃央は、敵の足が階段の二段目に差しかかった辺りで、敵の頭上に刀を落とす。
 降ってきた刀を受け止めた敵は、足場が悪いせいでうまく刀を押し返せずにいた。
 ぎちぎちと刀が交差するなか、妃央は薄ら笑いを浮かべて、さらに敵を煽りはじめる。
「さすがは雌犬様のお供でいらっしゃる。主人とそっくりだな」
「くっそ……調子づきやがって!」
 煽動に見事乗っかった敵は妃央の刀を勢い任せに押し退け、重心がぐらつきつつも階段を上がって妃央に斬りかかろうとする。
 妃央は刀を弾かれた反動ですこし後ろに仰け反り、体勢を崩してしまう。――しかし、彼女はそこから隙が生まれるような騎士ではなかった。
 敵が斬りかかるよりもすばやく体勢を立て直し、刀を喉元の近くに突きつけた。そのまままっすぐ向かってこようものなら刀が喉を食い破るだろう。
 刀を察知した敵は無理やりに動きを止めた。そのことでからだの重心はさらに不安定になり、階段は一歩、踏み外された。
 ふわりと浮いたからだを、持ち直すことは誰かの手を借りないかぎり不可能に等しい。
 逃げられてしまうことを敵が悟った表情をした瞬間、男の手は何者かによってつなぎとめられた。
 つま先がぎりぎり階段につく。目の前には身を乗り出して、敵の手をつかむ高塔柏真の姿があった。
 柏真は妃央のようにしたり顔なんかせずに、優しくみえる瞳をまっすぐに向けて、緩く弧をえがいた唇を開く。
「ただ落ちるだけじゃあ、つまらねえよな?」
 柏真の手から放たれた雷は、敵の身体を麻痺させるには十分すぎた。
 ばちばちと、柏真にしか耐えられない電流は青白くひかり、敵は白目を剥く。
 そしてきわめつけに、掴んでいた手を離し、階段から落下させる。
 頭から落ちた敵は、踊り場で倒れてぴくりとも動かなくなった。
「おい、貴様。まさか蘇生不能(ゲームオーバー)にしたわけではあるまいな」
「んなわけねーだろ。……多分」
 柏真は階段をおりて、敵の身体を蹴りあげて仰向けにする。
 R2Pを人体にかざすと、その騎士の情報が空中に小さなパネルとして出てくる。その情報によれば敵の戦意はいまだ継続中だ。
 看守を蘇生不能にした場合、囚人側に重たいペナルティがあるため、柏真はほっとしてかざしていた左手をおろした。
「ただ気絶しているだ……」
 柏真の言葉は半端なところで途切れ、息の詰まるような感覚に陥ってそのまましゃがみこんでしまう。
 大げさに咽ぶほどではないが、まるで黒煙を吸ってしまった時のような違和感が喉に生じ、柏真はすこしだけ咳払いをして喉をととのえる。
「どうした」
 刀をしまいながら悠々と階段を降りてくる妃央は柏真の異変をすぐに察知する。
 柏真の顔を横から覗きこんでくる妃央に、近寄るなと言わんばかりに妃央の眼前に掌を向けて拒絶する。
「……からだに毒がまわってきてるみたいだ」
「そうか。深早か睦月を探してどうにかせねばな」
 平然と妃央は述べると、敵のからだを跨いで階段をさっさと降りていく。
 別行動をしてどうにかなるわけでもないので、柏真も妃央と一緒に深早を探すことにした。

「んん~、こんなところかしら」
 棺乃深早は注射器を陽に照らし、透明な液体を眺めながら呟く。
 誰のものとも知らない生徒の机に腰掛けながら、腕まくりをしてあった左腕に注射針を刺した。透明の液体は押し出されて深早のからだに吸収されていく。
 これは毒に対する抗体だ。
 少しでも毒に耐えられるようにととりあえず打ったが、毒の濃度が強ければ長くは持たないだろう。
 深早はまったく隠れる様子もなく、両腕を上に伸ばしながらあくびをする。
 そろそろこの場から立ち去ろうかと教室の出口に近づくと、近くを走る音がした。
 眠たそうな目で廊下を覗くと、足音の主がすぐに見えた。
「深早ちゃん! 大変なんだよー、恋朱ちゃんが捕まっちゃってさ! 僕だけじゃ助けらんないし、女の子探してたんだよー!」
 出会ってすぐに長々と喋りだしたのは陽如月だった。
 細身で身長も平均そこそこ、きれいな黒髪に大きな瞳、そして声のトーンの高さ。彼のほうが自分よりよっぽど女性としての値が高そうな気がしたが、それを口に出せば怒るのは目に見えているので、深早はその点に触れることはしなかった。
 しかしいくら外見が中性的な如月といえども、つねに男性不信全開の伊江色恋朱を助け出すことは不可能に等しかった。
 看守側に捕縛されてしまえば、手枷と足枷をつけられてしまい、それを解除するには看守の持つ鍵が必要となる。
 鍵を入手できたとしても、触られることにすら嫌悪を感じる恋朱には手枷の解錠すらできない。如月が女騎士を探していた理由もうなずける。
「仕方ないわねぇ、あんまり動きたくないんだけれどぉ」
「もー、そんなこと言わないで……」
 如月の声を遮るように、ドォン、と向かいの教室から爆発音が聞こえて、如月のちょうど横に何者かが吹っ飛んできた。
 一気に沸き起こる煙と眠気も吹き飛ぶような音に深早の目はわずか大きく見開き、めり込む壁と割られた教室の窓を交互に見る。
「あらぁ、睦月」
「…………」
 吹き飛んできたのは如月の弟、右目を隠すような前髪をしている陽睦月だった。
 相も変わらずむすっとした顔の睦月はさっさと窓の割れた教室の方へ弓矢を向ける。
 ぎりぎりと引っ張った矢をなにかに定めて睦月は打つが、煙のせいでまったく標的が見えない。
 それでも、矢は命中したのか、煙の中からわずかに声が聞こえた。
「深早ちゃんは先に恋朱ちゃんを探してて。僕らはかるーくのしてから行くから!」
「はいはぁーい」
 大して期待をしていなさそうな声音で深早は返事をし、明らかにどこかから拝借したのであろう茶色のスリッパを滑らせながら歩いて戦中を去っていった。
 如月は深早の後ろ姿を見送って、右手中指に嵌められているリング状のR2Pを百八十度回転させる。
「……ただ気絶させるだけ。わかってるよね?」
「…………わかってるって」
 兄の言葉に睦月は気怠そうに返事をした。如月はそんな弟の態度に嫌な顔ひとつせず、敵のほうへ向き直る。
 ひとりは煙の中、窓枠を越えて敵に接近する。机も椅子もなにもかもがぐちゃぐちゃに散らかっているのは視界が悪くてもわかった。
 わざと足のつま先を机にぶつけると、がたっ、と小さな音がした。
 しんとする静寂にその音は敵の耳にも入ったのだろう、考えた通り、得物が右上から降ってきた。
 すかさずそれを避けると、空気だけが斬られてその場の煙が少しだけ薄くなって、敵の顔が煙越しに見える。
 その隙を逃さず、顔面めがけて右脚を円を描くように振り上げる。敵の男は身長が高く、脚は敵の顔には届かなかったものの、左肩に直撃してわずかによろけた。
「二人いるのはわかってるんだ! 先にてめえを捕まえてやる、一年!」
 煙が少しずつ晴れて、顔が明らかになった瞬間、敵はそう叫んだ。
 彼の者の右手中指には、黒水晶のようにきれいなR2Pが装着されているが手の内に隠されており、誰もその色を見ることはできない。その色は、彼に流れる生命が兄弟とは異なる「闇」であることを表していた。
 見かけで人を判断した敵は、未だ目の前にいる彼の正体に気づいてはいない。
 まんまと黙れている敵を目の前に、右目を隠すように前髪をわけている陽兄弟の片割れは、三日月のような口をしてにたりと嗤った。
「<わが闇の息吹を糧に、貴女をとこしえの時間から呼び起こすこと許し給え――食人の母、ラミアー>!」
 水たまりのような黒い円から、ふたつの青白い手が生えた。
 その手は敵の脚を掴むと、ぎしぎしと骨を軋ませるほどの強い力で闇に引きずり込もうとしている。
 突如あらわれた<ラミアー>に男は汗がどっと噴きでる。手を引き剥がそうと、上から何度も何度も槍の柄を落とすが、青白い手の力は弱まらない。
 それどころか血肉に爪が食い込み、ぷつ、ぷつと血の粒が傷口からこぼれている。深く肉に突き刺さっていく爪は、肉がはさまり、血で汚れている。
 まだ本来の力をみせていない<ラミアー>を必死の形相で相手にしている男を見ながら、蘇生の主は髪の毛を手櫛でととのえていた。
「ざんねんだなあ~、僕がわからないなんて」
 左目を隠すような前髪に直している陽如月は、煙が晴れてきて明らかになった目の前の男をあざけり笑う。
 根気強く仕留めようとしてくる<ラミアー>に力負けした男はその場に倒れこんでしまい、手までもふかい闇へ引きずり込まれそうになっている。
 必死でもがくその姿はまるでカラスに片足でねじ伏せられているか弱い雛のようだった。
 男の力が弱まってきたころ、美貌の<ラミアー>が顔を出した。美貌とはいっても、その形相は食べ物を目の前にして飢えている化け物そのもの。
「<わが光の息吹を糧に、とこしえの時間から此処に姿を見せ給え――雄に見初められし末娘、奇稲田姫>」
 兄に前線を任せ、後方に位置していた陽睦月が唱えた蘇生により、敵の頭上へ針のような鋭い歯をした半月の挿櫛が落下した。
 歯と歯の間に首がはさまり、いよいよ身動きがとれない。
「その格好のままで<ラミアー>に骨の髄までしゃぶられてるといいよ。このゲームが終わるまでね」
 如月はそう言って敵にわざとらしく目配せするが、敵はうめき声をあげるだけで、如月の言葉など耳に入っていないようだ。
 手足をすでに捕食され、芋虫のようになってしまった敵はもう、ゆっくりを食される苦痛を強いられるだけの生き物となっている。
「……これじゃ、敵が蘇生不能になるのも時間の問題……」
「ペナルティ当たる前に勝てばいいだけ! さっ、深早ちゃんを追いかけないと」
 如月はペナルティを心配する睦月の不安を払いのけ、棺乃深早の去っていった方向へと歩き始めた。
 手足をもがれた肢体の敵は、助けを求めるように悲鳴を上げる続ける。
「…………」
 兄の後ろを追いかけていた睦月の足が一瞬止まる。
 自分たちがさっきまでいた場所からはいまだ敵のうめき声が聞こえる。それはただの無意味な声ではない。そんな気がしたのだ。
 騎士は手足を千切られようとも鼻をそがれようとも騎士であり続ける。そのものに口がある限り。