2.Astraia



 残り時間はあと三十分。教室から見える時計を気にしながら、陽兄弟は深早の向かった方向へと走る。
 囚人側はひとりでも捕まった状態でゲームを終了すれば敗北となる。時間に余裕はなかった。
 走った先にある踊り場付近で緑髪の男と、桃色の髪の女が見えた。その姿は陽兄弟と同じ騎士団の九澄始と槇下結未華の姿に違いなかった。
「おーい、始!」
「ああ、如月。それにちょうどよかった、睦月も」
 睦月が、始にちょうどよかったと言われた理由はすぐにわかった。
 彼のとなりには呼吸をすることすらつらそうな青ざめた顔の結未華がいたからだ。
 手を放してしまえば今にも倒れそうなほど、疲弊している。
「……解毒」
 睦月は自身が必要とされているだろう理由を簡素に述べる。
 結未華の右足首には牙のようなものが食い込んだふうな深い傷があり、皮膚の色が変色している。そこから毒が侵入していることは容易に想像できた。
「そう。さすがにこのゲーム、個人個人が動けないとつらいからさ」
 治癒の蘇生が使えるエネルギーカラーは数種に限られており、睦月が必要とされている理由はまさしくそれだ。彼は光のエネルギーを持っている。
 いくら結未華が暴れん坊だとしても、四体になんらかの負傷があれば十分な力は発揮できない。
 睦月はなにも言わずに結未華に手をかざし、口を開く。
「<わが光の息吹を糧に、この現へ悠久なる御加――」
 如月達の歩いてきた方向からど、ど、ど、と強大な力の迫り来る音が睦月の耳に差し込み、思わず詠唱の声が止まってしまう。
 すこし遠くから、確実にこちらを仕留めに向かっている力の気配はすさまじい早さでこちらに近づいてきている。
 やはり「先ほどの声は無意味なうめき声」などではなかった。
 ――あれは、あの男の詠唱の声だったのだ。
 まずいと思い睦月が音の方へ振り返ると、九澄始がすでに後ろにまわっていたのがわかった。
「睦月はそっちに集中しときなさい。こっちはどうにかするから」
 そう格好をつけて始が笑うと、睦月はそれに一切表情を変えずに向き直って、詩を唱えなおす。
 睦月が背を向けたほう、始がいままさに見つめているほうから獰猛な竜の姿が見えた。
 腹が空いているのか、我を失っているかのように直進してくる。
「あれは<クエレブレ>! 蘇生できる力が残ってたなんて……」
「如月にしちゃあ手加減しすぎじゃあないの? <わが風の息吹を糧に、現へ再臨せよ――堕落した軍竜、応龍>!」
「この現へ悠久なる御加護を――癒しの御使、ラファエル>」
 始と睦月が唱えたのはほぼ同時だった。
 <クエレブレ>と<応龍>は大きな口を開いて、牙をむき出しにしながら激突する。
 衝突によって旋風が巻き起こり、それは身動きと視界を奪う。
 睦月の蘇生した<ラファエル>は結未華の解毒と怪我の治癒を済ますと、天にのぼっていった。
 結未華は始と交代して肩を貸していた如月を振りほどく。自力で立てるほどにあっという間に回復した結未華は、虫の居所がわるそうな顔のまま睦月に簡素に礼を言う。
 未だ競り合いが続いていた二匹の竜は、始の蘇生した<応龍>が押されはじめ、危機は逃れられないでいた。
 <クエレブレ>は低く唸り声をあげると、牙を食いしばる。牙と牙のすき間からはわずかに紫煙が漏れている。
「まずいよ! 毒煙が……」
 如月が紫煙に気づくと、始は<応龍>に指示をして<クエレブレ>に体当たりをさせると、口の中の煙を吐き出させてあっという間に風でかき消した。
 その間に睦月ははっとなにかに気づいたようで、詩を唱え始める。
「<望まれし乙女、シャナ>」
 可憐で、か弱そうな妖精は蘇生されると、<クエレブレ>のほうへと浮遊する。
 彼女の姿に気づいた<クエレブレ>は乱暴をやめ、小さな声音で唸ると、彼女とともにこの世から消えてしまった。
 睦月はふっ、と溜め息をつくと、力が抜けたのか、膝から崩れてその場に座り込んでしまう。
「いまのは……」
 呆気にとられたかのような顔で始は睦月に尋ねる。
「……<シャナ>は雄の<クエレブレ>が見惚れた妖精。それが目の前に現れたら攻撃をやめるかと思って」
「思った通りまるくなって帰っていったってわけね。助かったよ」
「……べつに」
 騎士が自分のエネルギーカラーの蘇生についての知識を求められるのは必然であるが、他色のことまで幅広く把握している騎士はあまり多くはない。
 なぜなら、自身のエネルギーカラーだけでも膨大な、とても一生では覚えきれないほどの蘇生が存在するからである。覚えていても、せいぜい自分の弱点の色か、著名な蘇生だけというパターンが大多数の騎士に当てはまる。
 陽睦月の知識量はRainsの中でも多く、あらゆる蘇生に対する対抗策も当たり前のように覚えている。
 睦月が授業に欠席している時はだいたい図書室におり、あらゆる本を知識として植え付けている。授業をさぼって図書室で寝ているわけではないのである。
「あたしは行くからな。あの犬っころ、ペナルティがあろうとぶっ倒さなきゃあ気がすまねえ」
「えっ、ちょっと待って、結未華ちゃん!」
 如月が呼び止めた時にはもう遅く、廊下をさっさと走って行ってしまう結未華は振り向きすらしなかった。
 団体戦ということがわかっておらず、個人プレーをしたがる結未華に説得はきかないのかもしれない。
 如月はまったく、と呆れ気味に溜め息をついて、結未華が歩いていった方向とは正反対へ歩き始める。
「お前はどこへ行くんだ、如月」
「深早ちゃん探して恋朱ちゃんのところへ行かないとね。恋朱ちゃんを助けないと負けちゃうし~」
 如月は楽天そうに言うものの、言葉の節々から負けたくはないという思いが伝わってくる。
 この戦いに負ければ辞退を強いられる可能性は非常に高い。
 理事長が決めたといえども、本人たちがノーと言わされてしまった場合には人選も変わってしまうだろう。
 この戦いはまさに、八つの椅子をかけた椅子取りゲームだ。しょせんは蹴落としたもの勝ちなのである。
「恋朱ちゃんを捕まえたのは仙桃綾子だろうから、手錠の鍵も持っているだろうね」
「みんな目指すところは同じってわけね」
「睦月はどうする?」
「…………だるいから、休んでる」
 壁に背中をつけてすっかり座り込んでしまっている睦月はエネルギーを大量に消費しすぎたようで、今すぐに動けるような状態ではなさそうだった。
 蘇生する対象が大きければ大きいほどエネルギーを消費し、エネルギーを消費した分だけからだにも負荷がかかる。
 睦月のように蘇生を多用するタイプはエネルギー切れを起こしやすい。
「敵に見つからないように気をつけろよー」
「…………」


 高塔柏真は三階の廊下でひとり、敵と対峙していた。
 敵も自分と同じく雷のエネルギーカラーだったため、一緒にいた相性の悪い妃央は先に行かせた。
 自分が犠牲となって逃しただとかそういうわけではない、と柏真は自分の心のなかで勝手に言い訳をして相手の出方をうかがう。
 敵は柏真を睨みつけ、怨念のこもったような口ぶりで啖呵を切る。
「お前さえいなけりゃなあ……Rainsの座は俺のものだった!」
「は、はあ」
 負けを認めているようにもとれるその言葉に、柏真は拍子抜けしてぎこちなく相槌をうつ。
 Rainsも含め、騎士団のだいたいはエネルギーカラーが偏らないように騎士を構成するため、二番、三番手による怨恨も生まれやすい。
 柏真も、せめて同色の騎士には絶対に負けないつもりで今まで頑張ってきた。そしてその結果、Rainsに選ばれた。
 恨みを買いやすい立場だということはわかっていたが、ここまではっきりと逆恨みされたのは初めてだった。
「だが今はもう一番だとか二番だとかはどうでもいい。俺の目的はただひとつ。誰でもいいからRainsから引きずり下ろすことだ!」 
 そう威勢よく男は叫ぶと、槍で柏真の心臓を狙う。
 柏真はそれを左へ避けて相手の懐へ潜り込み、ばちばちと青白い雷の走る左手で脇腹に打撃を加える。
 男のからだは電撃の重たさに槍を落としかけ、筋肉を痙攣させる。がしかし、男はそれでもなお槍を握り直し、空振りした槍を柏真の腹へ叩きつけるように振るう。
 相手の懐へ潜り込んでいたせいですぐに逃げ出すことのできなかった柏真はその攻撃をまともに食らってしまい、おそらくそれは男の通常時の力の半分以下であっただろうが、あたりどころが悪かったせいもあって肉体にはひどく響いた。
 声に出てしまいそうな嗚咽を口の中で押し殺して、柏真はよろけながら男から距離を置く。
 同色を相手に普通の電圧電流の雷では効果が薄いのか、男はへらへらと笑いながら槍を杖がわりにしながら背筋を伸ばした。まるでまったく攻撃が効いていないことをアピールしているかのようだ。
「わかるだろ? 雷が俺に効くと思ってるのかよ!」
 男の言うとおり、同色の攻撃を受けても、大げさに騒ぎ立てるほどのダメージはない。それどころか、相手の蘇生を吸収して、エネルギーを自分のものにしてしまう特性をもった騎士もまれに存在する。
 雷そのものが武器の柏真より、打突武器を持っている男のほうが圧倒的に有利にみえる。
 それでも柏真は男にひるむことなく、両手から雷を放出させる。
「――ああ、効くさ。俺の稲妻はお前らのとはわけがちがう!」
 先ほどよりも高圧な雷が柏真のからだを駆け巡る。
 エネルギーカラーは同じ雷でも、騎士によって電気抵抗の値は差異がある。
 その身ひとつで雷を生成できる柏真は、通常の人間をはるかに上回る大きさの電気に耐えられる。
 つまり柏真は、自身の耐えられる大きさまでの雷を生成できるということだ。
「おっ、おい、まて! そんな高い電圧の……!」
 同色でも、自身が生成する雷がその騎士の電気抵抗を上回ればダメージを与えることができる。
 男は柏真の言っている意味がわかったのか、ひるんで後退りをはじめる。
 柏真は男が手にもっている槍の柄を掴み、一気に雷を放出する。男は慌てて槍を離したが、左の小指からわずかに雷が伝い始める。
 先ほどの比ではないぐらいの雷が男のからだに流し込まれる。
 男は白目を剥いて仰け反り、がくがくと脚を震わせてその場に倒れこんだ。
 倒してはいけないため、柏真は雷を流すことをやめ、はあ、と溜め息を吐く。
「くっ……そ、こんなことなら……あっちの蛇女を捕まえておけば……ッ!」
「……妃央を?」
 男が吐き捨てた言葉に、この場から立ち去ろうとした柏真の足が止まった。
 そして、まるで人が変わったような、鋭く荒んだ眼差しで左手首を思いきり踏みつける。
「あぐッ……!」
「妃央をどうするって?」
「捕まえるって言ったんだよ! 水のあいつならたやすく……」
 柏真の問いに男が答えている最中に、掌が上に向いていた手を、むりやりに手の甲が上になるよう転がして、また踏みにじる。
 ごりごりと聞こえる骨が冷たい廊下にこすられる音。柏真は冷徹な声音でそのまま続けた。
 瞳孔の開いた柏真の瞳には、もはや目の前の人間はうつってはいない。
「そんなこと、させるわけないだろ」